2007 師走

◆ご無沙汰いたしました。ちょっと旅に出ておりました。早いもので今年も残すところ10日あまり。私にとりましては結構、重苦しくなりがちな一年でしたが、周囲の皆様に支えていただき、快適に過ごすことができました。ありがとうございました。

◆徒然草第112段に曰く、 「人間の儀式、いずれの事か去り難からぬ。世俗の黙し難きに随ひて、これを必ずとせば、願ひも多く、身も苦しく、心の暇もなく、一生は、雑事の小節にさへられて、空しく暮れなん。吾が生既に蹉蛇(さだ)たり。諸縁を放下すべき時なり。信を守らじ。礼儀をも思はじ。この心をも得ざらん人は、物狂ひとも言へ、うつつなし、情なしとも思へ。殷る(そしる)とも苦しまじ。誉むとも聞き入れじ」と言う生き方にも打たれますね。

◆23日は有馬記念。自分の好きな馬を買って一年を締めくくる日。私は、単勝「メイショウサムソン」。馬単、彼から、ウオッカ、ダイワメジャー、ポップロック、ダイワスカーレットを本線に、ロックドカンプ、ハイアーゲーム、チョウサン、まで手広く。さてさて、いかがなりますことやら。

◆忘年会たけなわ。そうそう、屋久島の芋焼酎「三岳」をお忘れなく。これ絶品ですぞ。1升約4千円。どこで売っているのかですって。さあ、お探し下さい。柏のぶらい庵に行けば飲めますぞ。飲んでみておいしかったら一報下さい。そっと教えて差し上げます。ではでは、これから夕餉の仕度にかかりますので。

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2007 冬 たっぺっこ

◆寒さが厳しいと言っても、幼少期の冬と比べたら問題じゃありません。なにせ、部屋の中でもマイナス7度はありましたね。あばら屋ですけどね。太平洋岸ですから雪は少ないのですが、風が冷たくて厳しい冬でしたね。今でも両手にしもやけの傷跡が残っています。

◆夕方、小川の一部が田んぼに流れ込むような作業をしておきます。そうして、日の出前には起きるのです。町中の田んぼが凍って(氷のことをたっぺっこと言います)、大きな天然のスケートリンクが完成しています。登校時間まで滑りまくるのです。朝食ですか、どのタイミングで食べたのか覚えていません。下校してからも滑るのです。

◆ただ滑るだけでは飽きちゃいますから、アイスホッケーに興じるのです。道具は全て手作りです。そうそう、スケートは長靴にゴムバンドで括り付けるものでした。種類も、ホッケー用、スピード用、フィギャ用とあり、好みのものを履いていました。

◆温かい日が続くと氷(たっぺっこ)が緩み、田んぼに落ちちゃうのです。中には胸まで入る田んぼがあったりして、危険も伴うのです。それでも夢中でしたね。雪が降ったときは、山に入ります。ソリ遊びです。自分たちでコースを創ります。初心者コースから地獄コース(上級者コース)まで、自分の力量に応じて挑戦しました。

◆夕方、林の中の雪道に、うさぎ獲りの罠を仕掛けます。ハリガネの一方を木に固定し、投げ縄のよう「わっか」をけものみちの(?)中央に置いておきます。そこを通ったうさぎの首がしまると言う罠です。残酷ですか。食べましたね、カレーライスなんかで。臭みがありましたけどね。とまあ、遊びは全て外。遊びを工夫して、皆で遊びましたね。

◆日向ぼっこしながら私の作務衣を縫うおふくろ様の背中を眺めながら、過ぎ去ったあの日のあれやこれを思い浮かべては、感傷的になってしまう私です。老いたのでしょうね。

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2007 初冬 続々 おふくろさま

◆たまには外につれて行きませんと退屈でしょうし、見聞を広めてもらわなくてはなりません。「いや、すごい広い店だね」「すごい人だね」「安いんだね」などと言いながら一通り歩きます。「腰が痛くなった」というので一休み。やれやれと視線を遠くに移しながら、ドトール・コーヒーとジャーマンドックをおいしそうに召し上がるのでございます。

◆風呂を勧めますと、「一番最後でいいよ」と、気を使っていますが、順番なんかいいのです。身の空いている人から入りましょうよ。こうして、8時ごろに床に就くように過ごしております。そうそう、狭い我が家ですから、おふくろ様に私の部屋とベットが取り上げられてしまいました。もちろん、好天の日はふとんは必ず干してあげています。

◆家族の名前を一覧表にしてあげました。孫の名前はしっかり覚えているのです。よく顔をだすひ孫の名前も覚えました。トラねこの「チャチャ」は「トラちゃん」と呼んでいましたがやっと「チャチャ」と呼べるようになりました。娘たちの連合いの職業もインプットしたようです。

◆さて、どのような感想をお持ちなのか分かりませんが、やっぱり故郷が恋しいのでしょう、寂しそうな表情は消えません。ときどき、泣いているのかも知れませんね。長いこと一人で生活させてしまいましたから、感情の表現など、私には物悲しく感じられる場面もありますがいたしかたがありません。少しずつ、豊かになってもらえるようこちらが努めるしかありません。

◆「もう帰りたい」と言い出すのかもしれませんがいずれにしましても来春、桜だよりとともに故郷に帰るつもりでおります。なんとか元気なおふくろ様をみなさまにお見せできますよう、支えて行こうと覚悟を新たにしているところでございます。引き続き、留守中、いろいろとご面倒をおかけしますが、よろしくお願い申しあげます。

◆さてお袋様のお話はこのぐらいにしまして、感動した人物二人を紹介しておきます。一人は、さいたま市立三室中学校2年 木戸一樹くん。第57回全国小・中学校作文コンクール 中学校の部 文部科学大臣賞受賞「父の背中 ~家庭人としての男性のあり方について~。お読みになりましたか。大人たちよ、姿勢を正してチャレンジして行こうか(11月27日 読売新聞朝刊に掲載)

◆もう一人は、山形県高畠町 上和田有機米生産組合 遠藤五一さん。4年連続米作り日本一。遠藤さんの作った米は、5kgで6000円以上の値がついているらしい。彼の米作りと生き様を見ていたら、いくら高くても遠藤さんの米を食べたいと思う。日本の稲作農家よ、がんばりましょうよ。米が大好きですよ(11月26日 12C カンブリア宮殿) 

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2007 初冬 続 おふくろさん

◆拝啓 ご近所の皆様。旅立ちに際しましてお世話になりながら、お礼が遅くなりましたことをお詫び申し上げます。お蔭様で、こちらに来てからひと月が過ぎようとしています。日増しに順応力を高め、食欲も旺盛になり、ほっと一息ついているところでございます。

◆おふくろさまの一日を紹介しますと、7時ごろに起床をし、身支度を整え、洗濯物を脱衣場に出し、リビングの低位置に鎮座してBS2で朝の連ドラを鑑賞なさいます。その前後に、私は叩きをかけ、掃除機を回します。まあ、その時の汚れ具合で掃除が先か食事が先かになりますが。山の神様は最初の洗濯を起動させ、朝食の準備に入ります。

◆孫たちは、通園バスが迎えに来るまで我が家で過ごしています。襲来される前に朝食を済ませるよう心がけておりますが、食事中に襲われることの方が多くなってまいりました。「おばあちゃん おはよう」と大きな声でおふくろ様に声をかけてくれます。満面に笑みを浮かべて「おはよう」とは応えていますが、長いこと一人暮らしですから、あまりの賑やかさに驚いているのが正直なところではないでしょうか。

◆9時になりますと通園バスが迎えに来ます。見送った後、おふくろ様の散歩の時間です。15分ぐらいでしょうか、歩いてきます。「開かなかった足の指が伸びたよ。正常な形になった」と喜こび、見てみろと言います。成果が出てきたのも励みになるのでしょうね。どんな寒い日も欠かさず続けています。

◆「歩いていたら、声をかけてくれた人が居たよ。おばあちゃん、おはようございます。散歩ですか、寒いですから風邪など引かないように気をつけて歩いてください、だって」へぇ、耳が遠いと思っていましたが聞こえるんですね、優しい言葉は。後日、Sさんに、「お母さんだとすぐに分かりましたよ。そっくりですから」とお言葉を賜りました。ありがとうごまいます。

◆で、帰宅するとテレビの前から動きません。そこで「俺の作務衣を縫ってもらえないか」と言いますと「いいよ」と言うではありませんか。生地を購入し、一式を渡しますと陽だまりで黙々と縫い始めたのでございます。現在、ほぼ上着が完成し、紐をつけるだけになりました。「そんなに急がなくてもいいよ。ゆっくりやってよ」と言いますが聞こえる様子もありません。こうして、陽は西に傾いて行くのでございます。

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2007 初冬 ウオーキング

◆先日の帰省の折、防寒用の帽子を買って来ました。今朝、あまりに寒いので着用して歩いていたら、ゴミ出しに出て来られた主婦の方に笑われてしまいました。こんなに素敵な帽子なのに。まあ、この辺では居ないなあ、まるで北極圏の住民のような帽子を被ってウオーキングしている人は。

◆加えてリックサックを背負っているのです。どうしてかと言うと、ウオーキングの楽しみが増えたからです。コース沿いの農家が「新鮮野菜」という旗を掲げていました。のぞいてみると朝収穫したばかりの野菜が並んでいます。どれも100円。だいこん・ほうれん草・小松菜・春菊・にんじん・じゃがいも・しいたけ・かき・ブロッコリーなどなど。

◆ビニール袋は置いてあるのですが、長距離を歩く手前、手は空けておきたい。そこでリュックにしました。バス停に並ぶ勤め人は、一様に怪訝な眼差しを向けます。リュックの口から大根の葉がにょきっと飛び出し、歩くたんびにゆれる。全身を覆い尽くしている身では、全てが気にならない。どう、このウオーキングの完璧なる美しき姿勢は。てなもんであります。

◆そうそう、驚きの発見がありましたぞ。日本経済新聞と毎日新聞・サンケイスポーツが百円と言う簡易スタンド(自動販売)があるのです。軽トラで現れるオヤジさんがバス停2箇所に設置し、立ち去るのです。一紙10部ぐらいずつでしょうか、7時半に通過するスタンドでは、日経とサンスポは売り切れの日が多いのです。でもね、「百円」とは書いていないのです。「即百」とだけ書いてあるのです。二つのスタンドで60部、6000円の売り上げなり。儲かるのでしょうね。で、これってルールに反しないの?

◆途中、橋の上から眺める富士山が最高なのです。いつも、ああ、あの麓で3年間過ごしたっけ、山麓の宿舎から中腹の青年の家まで毎日、歩いて通ったけと懐かしんでいるのです。御殿場は我が家の第三のふるさと、いや、第二のふるさとですかね。さてさて、明日の朝もはりきって歩きますぞ。

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2007 初冬 おふくろさん

◆「冬の間だけ、こっちで過ごさない」と語りかけたところ、「良いよ。おら、行っても良いよ」とお応えになるではありませんか。こっちに来ることをあんなに拒絶していた方が。ではでは、家内の賛同も得ていたことだしとお迎えに伺いました。

◆帰省するたびに清掃センター通いです。捨てるものが山のようにあるのですから。家の中がおふくろさんの衣類で溢れ返っているのです。「いつ着るの」と腹立たしく問いかけても、都合の良い難聴は,そんなときほど聞こえにくくなるようで「ああ、何言ってんだがわがんね」

◆こん畜生と思って居ると近所の人たちがやって来て、「どこの家でも年寄りの物持ちの良いのには困っているのし」「おらいの義母は、俺の衣服などは、俺が死んでから捨ててくれ」などの話で盛り上がるのです。「死んでからで良いんだから。捨てるのは」ああ、そうですか。朽ち果てそうな家でも、何も物を置かなければ、清々として、住みたくなる空間になるのに。

◆で、やってきたおふくろ様は、私の部屋を占拠。居間のテレビにかじりつきで動こうともしません。そこで、「おふくろの仕事と生活習慣にすること」と言う箇条書きの文を認め、上意であるぞ突きつけ、部屋に掲示したのでございます。なにせ、来春、郷土に戻らなければならないのですから、多少の厳しさは耐えてもらわなければなりません。

◆ですが、田舎の方々は、お袋様は、二度と再び戻っては来ない、もう一人暮らしは無理だと確信しているのです。その証拠に、冬季だけ息子のところに言ってくると言う話を聞きつけた在所の方々は、餞別を手に、見送りに来てくれたのです。

◆私があわてましたよ。ずっと私のところで生活させる気はありませんから。それなのに、みなさん、今生の別れと。いや、来春、必ずつれて帰りますからと大きな声で訴えてまいりました。ですが、10日ほど一緒に暮らして見ますと、この生みの親は見ているだけで涙が止まらないほど老いてしまっていたのです。その上での上意書なのでありますが。続きは徒然なるままに。

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2007 秋 京都 その2

◆どうです、このところ映画館通いに忙しくありませんか。暮れから新年にかけて話題作が目白押しでは。そう言えばMOVIXは、10日がポイント2倍ディーですぞ。「オリヲン座からの招待状」主演 宮澤りえ、今一つまらない映画ですが、宮澤りえの抑えた、さわやかな姿の演技が良いね。大スターに一直線。

◆さて、京都その2。地下鉄烏丸線で終点「国際会館前」に。そこから定期バスで大原に行ってまいりました。月曜日の大原は静かでした。三千院から寂光院とまあ、定番の路を歩いてみました。豪勢な石垣と苔むす庭、広大な自然林、三千院は人を引き付けて止みません。

◆焼けたのですね寂光院の本堂は。再建されたのですがなぜか痛々しくて。地蔵菩薩立像や建礼門院像・阿波内侍像も消失したのですね。お話を伺ったのですが再建への熱ある声だけがひびく本堂かな。

◆最後に三十三間堂。飽きることのない本堂(国宝・南北65間(118m)、ここに31体の仏像(国宝)と1001体の観音像(重文)が安置されている。中で仏像を拝観しても、外から本堂を拝観しても飽きることがない凛とした美しさがありますね。

◆長かった旅に終止符を打つべく京都駅に。安藤忠雄さんがコンペで敗れた駅舎か。今の姿が好きな方も多いのでしょうが、私は今一ですね。隅々まで生きていなくちゃ。まあ、そんなことより、このまちに、いや無理ならこのまちの近くに住んで、月に一度で良いからウオッチングしていたいまちですね。

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2007 秋 奈良

◆快晴の日曜日。奈良国立博物館を長蛇の列が取り囲みました。あとで分かったのですが、午後から入場するのが得策です。来年、行かれる方のために参考まで。いずれにしても、許されるなら、毎年、鑑賞しておきたい催事ではないでしょうか。

◆奈良時代に、国や郡、大寺院などには「正倉」と呼ばれる倉庫が建てられ、穀物や種々の財物、道具類が収められていたのだそうです。その正倉がいくつも集まった場所が「正倉院」だそうです。で、現在、正倉院と呼んでいる校倉の建物は、東大寺の正倉院に建てられていたいくつかの正倉の一つが残ったものなのだそうです。

◆専門的なことは他に委ねる事にして、印象に残っている品は、「紫檀金鈿柄香炉(したんきんでいのえこうろ)」「金銀平脱皮箱(きんぎんへいだつのかわばこ)」「緑地錦几汝区褥(みどりじにしきのきじょく)」の3点と当時、日常着用していた衣装です。現在と遜色ない高度な技術に驚きの連続でした。本当を言うと、欲しい品ばかりなのです。

◆大仏殿から回壇院へ。ここの四天王は最高です。四隅に時国天(東)・増長天(南)・広目天(西)・多聞天(北)と並びます。国宝です。四天王に顔や腹・背中を踏まれ苦しげに絶える邪鬼がまた傑作です。NHKBS2で、7時45分から再放送している「古都の風」のタイトルに映し出されているのがこの邪鬼です。どうぞ、ご覧下さい。

◆ならまちを散策して奈良を後にしました。日曜日、このまちも大変な人でした。でも、奈良には住みたくなる魅力がありました。このまちには住みたくなる昔ながらの住宅がありました。

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2007 秋 高松 パート3

◆基調講演は文科省のOBで大学の先生。分かりやすくお話されていました。でも、やっぱり、どうも・・・。語り口、表現方法、価値観など、だんだん距離を置きたくなってくるのですよ。

◆私が言うことではないのですが、学者を始め、リーダー全般に「異質な集団の中にどれだけ入ってゆけるか、異質な集団をどれだけ理解できるか」と言うような学習が苦手なのではないでしょうか。

◆優れたリーダーは専門的な領域の実力はもちろんですが、豊かな感性と社会性は不可欠の要素と考えますがいかがでしょうか。生活者としての姿勢を保持していない学者はだめですね。和田さんにじっくり教えてもらわないといけません。

◆分科会、これまた何故、地区大会も県大会もブロック大会も全国大会も同じ内容を繰り返すのですかと言いたくなるのです。まあ、仕事の話はこのぐらいに。

◆高松の賑わいは瓦町から方原町にかけて連続して分布しています。ライオン通りと言う飲食街の焼き鳥屋さんで食べた「つくね」は絶品でしたね。感動の一品でした。もちろん、いも焼酎も大好きな品が揃っていましたので大満足の夜でした。

◆仕事も無事終わり、いよいよ高松を離れると言う時に、鍛えているこの足が筋肉痛でどうしようもない状況に陥ってしまいました。さて、どうしてでしょうか。

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2007 秋 高松 パート2

◆宿が「全日空ホテルクレメンテ」。全室オーシャンビュー。屋島を正面に望み、眼下に高松港。ここから、小豆島・女木島・男木島を始め、広島や大阪・九州方面などを船は結んでいるのでした。宇高連絡船は、とっくに廃止されたのだろうぐらいに思っていた私には見ていて飽きない光景でした。

◆島々に向かう船は午後6時代が最終便でした。フエリーは一晩中、30分おきぐらいに発着していました。出航するとすぐに次を目指す車が並びます。沖縄行きのバスが降りてきてどこかに向かいました。高知にでも行くのでしょうか。港は24時間、動いているのですね。

◆船を降りると自転車とバイクの駐輪場があって、そこからまちに散っていくのです。夕方は、そこに車を納めて、船に向かうのです。なんか、時間がゆったりと流れるのです。屋島、港、船、島々、穏やかな海面、オレンジ色の外灯、全身赤色の灯台。

◆そんな光景を時間も気にせずじっと見つめる至福のひと時。で、お前、単なる観光で行ったのじゃないだろうですって。そうなんですよ。実は仕事なのです。全国大会に参加する仕事なのです。で、どうだったのかって。2日間で半日ずつプログラムが組んでありまして、合計7時間ぐらいの大会なのです。

◆ところがあなた、そのうち1時間をセレモニー(挨拶・来賓紹介・表彰式など)に使うのですよ。同じような主催者の愚行を講師に呼んで頂いた私が講演の中で批判したことがありました。「うちにはうちのやりかたがあります」と、二度とお呼びがかからなくなりましたが。

◆でもね、参加している人たちがたのまれて参加した様子で退屈そうに鎮座しているのです。「せっかく時間を都合して参加したのに、何これはと何故発言しないの」って言わなきゃだめですよ。何にも変わりませんよ。などと語りかけたことがありました。

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2007 秋 高松 パート1

◆ご無沙汰しました。高松に行ってきました。高松は何十年ぶりでしょうか。昭和40年代の半ば、宇高連絡線で四国に渡ったことがあります。そのときは、県内で始めての(たぶん)四国一周旅行団の一員としての旅でした。

◆新幹線で岡山に向かい、マリンライナーという快速電車で瀬戸大橋を渡るとそこは四国。あっと言う間の時間です。それにしてもこの電車、ものすごい勢いで飛ばすのです。脱線するのではないかと言う位に。讃岐富士に代表される独特の山並みが讃岐平野に浮かびます。

◆高松はきれいなまちでした。空気が全身にとってもおいしいのです。屋島は整備されていました。屋島寺は巡礼の人や参拝客で大盛況(?)の様子。豪華な造りの建物が並びます。栗林公園は、観光客が絶えません。十分堪能できましたが、半分が整備中のようでした。

◆うどんです。3回チャレンジしました。最初は、金毘羅さんの参道です。店の選択を間違いました。咳き込むほどの不味さでした。2回目は、高松一賑わうと言う「うどん一番」さんに寄ってみました。行列です。安いのです。おいしいのです。3回目は、駅の構内で最後のうどんをと思いました。ところが、うどんの専門店がないのです。一般的な食堂の店しかありません。外から見ただけで止めました。結局、海を渡って岡山の駅うどんを食してまいりました。

◆高松は、駅周辺に郷土を表現するような商店が見当たりません。駅周辺エリアの開発は進んでいるようですが、若者受けするような、どこにでもあるような店が並んでいました。

◆このまちの交通手段は、何と言っても自転車です。アケード街であろうが道一杯に自転車が広がり群れとなって歩行者を襲います。車は左などと言うルールはありません。自転車が人を避け、人が自転車を避けて交差します。

◆で、私のとっては結構、発見があったのです。それはパート2で。

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2007 秋 ビストロ コトコト ココット

◆柏南の卒業生で野球部出身の窪田くんがとても素敵なお店を出しました。お店の名前が「Bistro cotocoto cocotte ビストロ コトコト ココット」。場所は、柏2-7-9 グランディール柏の2階。旧水戸街道に面し、巻石堂病院の斜め前方。電話04-7168-6510。

◆「一番の自慢は、生産者の顔が見える安全+安心な千葉産の食材。健康+元気をくれるお料理をご用意いたします!」と言うことで、Lunch-menuが900円、Dinner-menuとして、手ごろな値段の料理を豊富に揃えています。おいしいですぞ。ご家族やお友達で、ぜひ、ご利用下さいます様に。

◆開店したのも知らずにおりまして、つい先日、窪田くんの同級生や友人たちと利用させていただきました。おいしい料理と心地よい団欒についつい赤ワインを5本も空けてしまい、後遺症を背負うことになりました。私の体の宿敵は、防腐剤。飲んだら必ず一週間以内にのどから唇にかけて、口内炎が多発します。

◆誰も同情なんかしてくれません。「自業自得でしょう」で終わりです。でもね、誠実で努力家だった男前の窪田くんがプラス精悍さを加えて立ち振る舞う姿に感動した結果ですからね。事業自得でよしとしましょう。

◆ところで、10月も下旬。明日から1週間ほど旅に出てまいります。さて、どのようなことが報告できますか。あっ、ところで「早朝のホストクラブ」御覧になりましたか。日の出から午前10時までの営業とか。いや、出勤前に寄って元気をもらってと言う女性たち。月収300万・月の売り上げ1千万の優男たち。うひょー・・・。

◆窪田くんのお店に行きましたら、励ましてやってください。加えて、私との話もしてあげて下さい。では、シティ・ウオッチングで深まり行く秋を探りに行きましょうか。

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2007 秋 今日は肌寒い

◆急に寒くなりましたね。家に居る時は、靴下も履かなかったのですが、どうにも足元が寒くて、靴下にレックウオーマーで過ごしました。物置からオイルヒーターを出したり、足温マットを買い込んだりと、老いた体を労わる準備の一日になってしまいました。

◆そうそう、山遊亭金太郎師匠から楽校の皆さんにご案内便が届いていたのです。お伝えするのを危うく忘れるところでした。「10月11日から20日まで、新宿末広亭(新宿三丁目)の夜の部のトリ(主任)を務める事になりましたので、皆様お誘い合わせの上、ご来場下さいますよう、お待ちいたしております。ぜひお寄り下さい」と言う内容です。なにとぞ、お誘い合わせの上、お出かけ下さいますように。木戸銭2700円でございます。

◆戸田さん。今から25年ほど前、県内から応募してきた80名の小学生から高校生が班単位(一班6名ぐらい)で房総半島を野宿をしながら踏破する「フロンティア・アドベンチャー事業」(以後、フロアド)で運命的な出会いをしたのです。そして、幕張メッセで第1回の全国生涯学習フェスティバルを開催することになり、さらに、関わりあうことになったのです。

◆最初から共感できる感性をワンサカ持っておられて、とてもとても、既成の概念でしかものを考えられないセクションでは受け入れてもらえない企画ばかりでしたね。10泊11日のフロアドでも、コースは班毎に自由。守らなければならないのは、11日中、3回の食材の受け取り。その場所で、連絡や確認を行う以外は、リーダーと班員の責任において行動する。それを大人たちがそっと見守る。

◆思い出しますよ。「あの人(B教授)を辞めさせてくれませんか」と私の上司。どうも、思考や言動が気に入らなかったようでした。「いや、私が全責任を取りますから、課長はお顔をお出しにならなくても結構ですから、やらせてください」と生意気な私は団長でした。

◆戸田さんのおかげで、画期的な事業が実施できたのです。既成の枠の中で踊らせるのではなく、自分たちの考えで、英知を出し合い、試行錯誤を繰り返し、協力し、時には言い争い、苦しみながらも成就して行った子どもたち。

◆山中でよばれたお風呂とアイス、ご馳走になった絞りたての牛乳、などなど。川魚もたこも掴まえて料理しました。参加者はもちろん、戸田さんと私をも大きく飛躍させてくれた事業でしたね。楽しかったのです。感動がありました。あの事業に参加した子どもたちはどのように成長したのでしょうか。会いたいですね。

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2007 秋 まだ半袖で

◆秋風に乗って飛んでいましたので、ちょっと休ませていただきました。東京都美術館で「フェラディアフィア美術館展」が開催されていますが、御覧になりましたか。前売券を欲しいと思ってホームページをのぞいたら、なんと、PCで購入できるのですね。私の頭は古い古い。プリンターで印刷してOKなんて、なんと便利な世になったのでしょうか。

◆拝啓 ○市社会教育課 さま。先日T大のA教授が講演にまいりましたでしょうか。教授から「終わってからの懇親会には、ぜひ、裕次郎さんもご一緒に」と言うお話があり、スケジュールに入れておいて下さいと連絡がありましたので、メモはしておきましたよ。ありがたいお話ですが最初からお言葉だけでと思っていました。で、結局、講演はどうなりましたか。

◆先日、地区の社会教育振興大会が開催されました。休憩時間に懇談をしていますと、会場のあっちこっちの薄暗がりに見覚えのある顔・顔・顔。でも、じっと固まり、声をかけてもらっては困ると言う体勢で佇んでおられるのです。・・・。

◆小学校の通学路を熱心に掃除されている熟年の男性。あまりにも雑草の束が重そうなので「持ちましょうと」と声をかけましたら、「あっ、いいですよ」と。通学路にも立って指導をしておられる人なのですが、子どもには笑顔で語りかけますが、挨拶しても大人には・・・。

◆スポーツの秋。王さん、また選手権の切符を失いましたね。気の毒。ボウシング、後味の悪いタイトルマッチでした。北の海さん、相撲協会の危機管理能力は?。ゴルフ、桃子とさくら、片山と谷口、いや、久しぶりで熱が入りました。

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2007 秋 さあ 外へ

◆まだまだ暑い日が続いておりますが、いかがお過ごしでしょうか。お蔭様で、まだ半袖で出かけております。秋物が並ぶ季節ですが、来夏用に激安の品を買い求めています。生きているかも分かりませんのに。何とあほなと笑いながら。

◆竹橋の国立近代美術館で10月21日まで「平山郁夫 祈りの旅路」展を開催中。前売り券をお求めでない方は、PCで割引券を印刷して行かれると。ご自身が解説されている音声ガイドを利用された方が良いでしょう。作品そのもの解説も必要なのでしょうが、動機・出会いなどのお話がなお一層の感動を呼び起こしてくれます。大らかで静謐な舞台に立たせていただきました。

◆その足で、日本橋三越へ。伝統の「日本工芸展」を。私自身の感性が鈍っているためか、平山画伯の作品鑑賞の後遺症か、いつもの感動が重くて困りました。梯子をすべきではありません。日暮里の「竹かご 翠屋」さんの作品を確認して帰路に。

◆毎年、初詣は「谷中 七福神巡り」。で、このかご屋さんに寄せていただき、竹の箸と飾り物を求めてくる正月が十年以上続いています。宮城出身のご主人の代から息子さんへ代替わりの時とお見受けしています。ご主人曰く、「菅原文太さんは、まとめて買いに来てくれます」と。作品鑑賞方々、お出かけになってみてはいかがですか。

◆秋、筑波山。たまにはM市の教育長さんのようにご自身の足で歩いて登られてはいかがですか。筑波山神社かつつじケ丘から登り、男体山を目指し、下山は、裏筑波を真壁へも良いですよ。舞台づくりのお寺「峰寺山 西光院」にも足を延ばして。そう言えば、真壁はあの浅野家の領地だったのでは?

◆先日は、運河の曼殊沙華が話題になりました。今、松戸の江戸川河川敷でコスモスまつりが開催されているようです。心をくすぐる季節へ、そして足を運びたくなる「点を線に」

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2007 初秋 中秋の名月

◆北小金の東漸寺で月に恋を語る催事を開いたことがありましたね。あれは結構な盛り上がりで、楽しいひと時を過ごせました。あの時のかぐや姫は、いずこにおいでになるのでしょうか。まあ、今夜の十五夜をじっくりと堪能しましょうか。

◆福田さんが総理に。森・小泉・安部・福田と現町村派で引き継がれて。さてさて、大先生方のいろんな生き方があってこうなるのですかね。例えば、この四人だけを対象に、総理に誰をと問われたらあなたは誰を。何故この順番になったのでしょうね。

◆S大学の学生に「日本の殺人事件の4割は家庭内殺人になってきました。あなたは、その原因をどのように考えていますか」と問うたところ、「親子のコミュニケーションがとれていない」「子どもに寂しい思いをさせている」「家庭の環境が悪化している」「狭い環境にしか目を向けていない」「一番身近にいるからと言って、愛し合っているわけではないのかも」「思ったことをはっきり口にしないから」などの回答でした。あなたは。

◆「高齢者虐待 息子が36% 年1万2628件 被害 8割が女性」 ああ、私もおふくろを虐待しているかもしれません。「捨てろって言っておいたじゃないか」「何故捨てないんだよ」「掃除をしに帰省するようなものじゃないか」 早速、高木さんから「それ、かもじゃないよ。虐待そのものだよ」と言う声が聞こえてまいりました。

◆誰も見てはくれないブログを時々綴っていると、突然、「読んでいますよ」って便りが来るのです。「えっ、本当に。じゃ、少々、まじめに」とそのときは思うのです。お敬ちゃん。10月の同級会、私は隅のほうに正座して「本当にお世話になりっぱなしで、申し訳ありません。残された人生もよろしくご指導下さいませ」と挨拶をするつもりです。

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2007 初秋 この暑さ いつまで

◆いや、暑いですね。寝苦しい夜が続いております。体調はいかがですか。季節の変わり目、どうかご自愛下さい。この夏、冷たい飲み物を取りすぎた反動か、最近、胃腸の調子が今一ですね。

◆児山さんからのご案内「LEW TABACKIN NEW YORK TRIO」のライブが、9月24日、1st stage 17:30~18:00、2nd stage 19:30~20:00、東京駅丸の内北口新丸ビル B1Fのshoppinng zoneのベーカリー「POINT ET LIGNE」で開催されます。チケットは店頭で販売されています。お急ぎ下さい。

◆少し遠出をお考えの方、11月18日、岡崎市のシビックセンターコンサートホールにで、「特別講演会 内田修ジャズコレクションの可能性を探る」と題して、児山さんの講演とシンポジウム・ジャズライブが開催されます。ご希望の方は、往復はがきで、10月1日から19日までの期間に申し込みが必要です。要項の必要な方は、事務局までご一報下さい。

◆衣料品業界「アラサー」向け秋冬商戦。アラウンド・サーティーを「アラサ」。1975年~79年ごろに生まれた世代を指すのだそうです。この世代は、80万人~90万人と数は少ないものの、社会に出て購買力が増し、流行を作り出すパワーも強いのだそうです。この世代に焦点を当てて商戦が展開されるのですか。そのファッションを早く拝みたいものです。

◆「落語は業の肯定である」立川談志。この人と出会う機会を大事にしておきたいものです。

◆欽ちゃん野球がクラブチーム(?)日本一に輝いたらしい。9回2アウトで3点ビハインド。ここから見事に逆転したという。打席に向かう打者へ一言、「ありがとうと言いたい人の顔を思い浮かべて打って来い」と。根性ででもない気力ででもないこの一言。

◆「寒い時期だけでもこっちで過ごさないか」とお袋に問いかけたら、「迎えに来てくれるのなら、いいよ」だって。やっと、そんな気になってくれましたか。紅葉の時期に迎えに行き、そろそろ桜がと言う頃に、と思うと私もにんまり。

◆来年の山登りに向け、トレーニングを始めました。内容は、内緒。登りたいのは「会津駒ケ岳」「塩見岳」。さてさて、どうなりますことやら。

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2007 初秋 大学も新学期を

◆そろそろ各大学とも、夏休みは終わりでしょうね。なかには千葉大のように、7月一杯授業で、8月・9月を休みにしている学校もあるのでしょうか。大学生たちの夏休みってどのようなものだったのか聞いてみたいと思っています。

◆最近の新聞の見出し一覧。「分からない漢字調べるには辞書よりケータイ 10~30代で多数派に」「携帯 ドコモ契約約2万件減 ソフトバンク18万件増 KDDI 15万件増」「全国コミュニティシネマ会議 ミニシアター苦境」「人生相談 20歳代の女性から 10歳年上の夫に先立たれたくない どうしたら・・」「阪神首位に」

◆アサヒビールが中国山東省で営む無農薬農園の試み。企業の国際貢献として注目。中国の生産現場に変革をもたらすのか。良いじゃないですか。さあ、アサヒを飲むぞ。

◆再々再・・放送「開高健 モンゴル大紀行」幻の魚 いとう を求めて。何度見ても、どこか深いところで感動を共感できる作家。遊び心いっぱいで、茶目っ気たっぷりなこの人。幸せな生涯だったのではないでしょうか。いつかのサントリーの元旦の書の話、覚えていますか。思い出しては隠微に笑っています。

◆書道家のT先生を見習って「室内移動書斎」として「魚河岸の買出し用 竹かご」をかっぱ橋道具街で求めてきました。いや、大満足。それを持って狭い家の中を移動しては作業。「まあまあ、今度はどちらに買い物ですか」と冷やかされながら。

◆口内炎に悩まされ続けて三十年。日大の歯科では、大勢の研修生の前で「こんな大きいのは、めったにないので」と。東大病院では「これ以上気にされるのでしたら、精神科へ」そんな、あほな。野球のノックバットを数時間握り締めて6年を経て発病。何か関係あったのでしょうか。痛い、頭まで。

◆12チャンネル、田舎に泊ろうを毎週のように見ています。先週は、多良間島に谷村新司さんと千住明さんが現れた。小学校の体育館でお礼のミニコンサート。ゲストは、お世話になって感動を体験。泊めた方も感動。見ているこっちも「人間っていいなぁ」ってほろり。そして、生きる酵素をもらって。

◆まもなく、「流山の歴史と文化を訪ねて」「筑波山登山」「マリオネット・コンサート」などの企画が登場と風の便りに聞こえて参りました。楽しみに。

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2007 夏 最終章に

◆いよいよ新学期がスタートしました。うちの幼稚園児たちも張り切って登園。さて、どのような2学期になりますことやら。

◆「世界陸上 女子マラソン 土佐礼子さん 死闘を制しての銅メダル」感動をいただきました。5位に落ちてからの冷静なレース運びで逆転。北京五輪代表・家族に対する想い・日本代表としての意識などなど思いはいろいろだったのでしょうね。お疲れ様でした。

◆女子1500mのジャマル選手(バーレン)22歳。強かったですね。画像で一目見て、美しいなあと惚れちゃいました。側でいろんな方が見ておいでですので、言葉に出しませんでしたが、いや、うっとり。勝ってよかった。

◆しかし、TBSの織田裕二と中井美穂には、疑問。うるさい・聞き取り難い・競技を堪能できない・くどいなど、不快を感じた場面が多かった。まあ、チャンネルを変えて忍んだけど。

◆ゴルフ、石川遼くんのフォームと感性に乾杯で完敗。これからが楽しみ。どうしたらこのような子どもが育つのですか。横峰さくら、プレー・オフで敗退。おやじは、どのような気持ちで見ていたのか。

◆「広島 前田智徳選手 2000本安打を達成 プロ野球史上36人目 18年目で達成 広島ひとすじ」と活字がおどる。新聞から察するとこうなる。「ホームゲームのときは、リハビリを球場でするので帰宅は午前0時ごろ。帰ってすぐにアイシングなど、体のケアに入って、終わってから食事をとる。それから素振り。毎日、午前3時・4時まで続く。そのあと、そのバットを枕のように抱いて寝る」 広島ファンならずとも応援せずにはいられない。

◆幼稚園から帰ってきた孫たちが元気いっぱい。エネルギーがありあまって、俺をいじめることはなはだしいの。さてこの元気は、週末まで持つのか。

◆今年もマリオネットにお会いしたいですね、皆さん。

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2007 夏 月日は

◆8月も今日でお仕舞い。体に優しい時間が過ぎ去って行きますね。さてさて、今日も世界陸上テレビ観戦を楽しみに。こんなに陸上競技が面白いとは、再認識させられている毎日です。たしかOさん、陸上をおやりになっていたのでは。しかし、世界陸上の話題には触れようともしませんね。たぶん、何かを連想させられて・・・。そう。

◆男子200Mもタイソン・ゲイが制しましたね。男子走り幅跳び、いや、最後の一跳びで再逆転。女子ハンマー投げ、1位と2位の差は2cm。男子棒高跳び、日本の澤野選手、無念でしたね。

◆さあ、今夜は、女子200m決勝 アリソン・フェリックス(人気があります)対ベロニカ・キャンベル。110mハードル決勝 劉翔 対 ロブレス。そして男子400m決勝。見逃せませんね。

◆「レミーのおいしいレストラン」(映画) 子どもの反応はいかがですか。難しいというのか、大人を対象としたアニメなのでしょうか。家族揃って楽しんでいただこうというアニメなのでしょうね。

◆読売に「先生の夏休み 魅力の研修」と題した記事。そうですよね、先生たちの企画で、挑戦してみる、良いじゃないですか。ちなみに、10泊11日で野宿をしながら房総半島を旅するとか、チャレラン大会の開催とか多様な社会参加体験や海外研修など、感性や社会性・人間性を豊かに培ってくれることならなんでもOKにされては。

◆中教審の小学校部会が小学校の授業時間数を30年ぶりに増やすことを決定。具体的には、国語・算数・体育を全体として10%増やすこと、総合的な時間を減じて英語の時間を設ける事。で、授業時間の確保は、夏休みを短くしたり、放課後の時間を活用するなど教委や学校にお任せしますと。

◆総合的な学習の時間を削減するのは理解できませんね。21世紀を生きる子どもたちの学びの礎となり、学びの発見とか、学びの楽しさなど、学校知の学習とは比べようもなく必要なものと思いますが。

◆で、どこかで、「私立に通わせていますので、今更・・」「そんなことしてもらわなくても、うちはいいわよ。塾で十分。」「助かるわ」「そうよ、もっと学習時間を増やしてよ」あーぁ・・格差社会から沸き起こる声・こえ。

◆2008年版 カレンダーが販売される時期になりました。どうですか、土門拳記念館の「土門拳 古寺巡礼 京」(A2版)1700円、富山和子がつくる 日本の米カレンダー 1300円などは、ネットで見てください。送料を考えると、希望される方、楽校でまとめて購入しては、事務局いかが。

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2007 夏 涼しいね

◆世界陸上テレビ観戦。孫曰く、「日本は、どうして負けるの」

◆東北新幹線 八戸~新青森 平成10年開業予定。日本一早い新幹線が走るらしい。そう言えば、新青森駅周辺のまちづくりが話題になりましたよね。雪かきの費用を節約するために集落は集中させて構築すると。是非、見たいですね。新しいまちを。

◆文部科学省「遊びながら基本動作習得 幼児の体力 比較調査」研究を始めるのだそうです。比較調査より、日常的に運動遊びができる環境整備に力を注いではいかがか。

◆さくらパパに姫井ゆみ子さん。いや、読んでみたいですね。2誌に提供した相手の素顔も見たいですね。

◆テロ対策特別措置法なる法律を知っておきましょうかね。

◆格差是正の施策。地方の声を聞いて政策を進めようと急に言い出されても。「本当の豊かさとは」を具現化するための試練の世紀を経なくては・・・。

◆「ジス・イズ・エルビス」に感動。42歳でなくなるとは・・。

◆安藤忠雄 連戦連敗より。「結局、コンペの役割。あるいは意義は単なる芸術コンクールとしてではなく、その社会性にあるのだと思います。ある課題に対する建築家それぞれの提案の中から最も適切なものを選び出す、その過程で、時代の抱える問題と、進むべき道への手がかりが見えてくるのです。次代の文化を方向付ける指針といっても良いのかもしれません」

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2007 夏 秋の足音

◆世界陸上大阪大会。男子100M 第一人者 朝原宣次 35歳。競技人生の最後に見せた涙。感動。

◆男子100M チャンピオンに輝いたゲイ。そして、夢を引き継いできた人間ドラマ。

◆レポーター 小谷美可子。あのシンクロの不運に泣いた女王。ふーん、このような女性だったのだ。一度、戸隠で見かけたことが。

◆小池百合子。15年で5つの政党を渡り歩いた政治家。能力、高いのかな。何の?

◆今度の内閣は「構造改革を立ち止まって考える内閣」自民党二階総務会長の弁

◆ハンマー投げと砲丸投げ。砲丸の重さは同じ。一般男子7,26KG 女子4kg。直径2,135Mの円の中から34,92度の角度のライン内側に入ったのが有効。そうそう、ハンマー投げはワイヤーの長さが男子1,175~1,215m 女子1,16~1、195m。

◆祭りが終わった後の踊り手はどのような精神状態なの 江野ちゃん。

◆前岩手県知事 増田寛也。総務相で入閣。面白い人事。岩手は小澤一郎のお膝元。

◆自遊人のことを書いていないと怒りの発言は高木さん。「そう、そりゃどうも申し訳ありませんね。・・・」

◆夏休み 七光台温泉は若者で賑わっています。高校生・大学生のグループにお孫さんを連れたお年寄り。もうすぐ二学期。

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2007 夏 いろいろ

◆田舎のお袋との会話。「新聞代がもったいないから、テレビだけで良いんじゃないの」と私。「だって、チラシが入ってくるだろう。それを見て買い物を頼むんだから、必要なんだよ」とおふくろ。なるほど、そうだよね。

◆小津安二郎監督「彼岸花」を鑑賞。松竹黄金期の豪華キャスト。佐分利信・田中絹代・有馬稲子・山本富士子(大映)・久我美子・桑野みゆき・佐田啓二・高橋貞二・笠智衆・浪花千栄子・桜むつ子・高橋とよ。その中の一場面で「子どもを育てるって難しいもんだよ。結局、子どもには負けるよ」

◆「私は貝になりたい」(テレビドラマ)で絞首刑に処せられる直前の中村雅俊のセリフ「やさしい人は損をしますね。他の人も自分と同じで、やさしい人だと思ってしまいますからね」

◆世界陸上、女子1万メートルのティババ(エチオピア)の最後の1周に驚きと感動。女子100m予選、47歳オッテイの存在感。100分の1秒差で予選落ち、為末の無念さ。当分、世界陸上から目を離せません。

◆「井上康生 屈辱の1000日 家族の秘話」あの悪夢から必死に立ち上がろうと努力を重ねている家族。この9月14日から、リオデジャネイロで開催される世界柔道選手権大会が最後のチャンス。康生がんばれ。

◆義弟が東京マラソンに出場したいと言うので申し込んだら5倍。さて、どうなりますか。

◆「ジュニア・ジャズ・クラブ」はやっとこ、スタートできる運びとなってまいりました。近日ご相談を。 

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2007 夏 無錫(むしゃく)

◆20年前の夏、洋上研修と称し、県内の青年400名と中国を訪問していた。10泊11日の船旅で上海を中心に、蘇州と無錫が主な訪問地だった。中でも無錫は太湖遊覧と湖上交流会の舞台としていた。上海港に接岸するやあぶらぜみの大合唱に迎えられ、中国での旅は始まった。

◆ちょうどその頃、T観光が新しい観光地として無錫に焦点を当て始めたときで、「無錫旅情」と言う歌もヒットさせていたように思う。先遣隊で6月に訪問した時、無錫のホテルは工事中で下見もできなかった。蘇州に到着した私は訪問団をホテルに誘導し、夕食を済ますとすぐに、ホテルの確認と部屋割りの作業のために、車を調達、深夜の国道を無錫に向かった。

◆8月22日、読売の夕刊は、一面を割いて太湖の水質汚染を伝えた。「中国の水質汚染 深刻化」、につづいて、「中国第三の淡水湖 太湖(たいこ)」と並び、アオコの広がる太湖の写真が紙面を飾った。

◆無錫の街を縦横に運河が走る。早朝、小船で遊覧していると、小桶を抱えた人が運河向かって何かを捨てる。いっせいに捨てる。「あれは?」と通訳に問うても無言である。たぶん簡易トイレなのだろう。しかし、運河では、子どもが泳ぎ、野菜も洗う。住民にとって運河は家そのものなのだ。

◆時は流れ、人は都市に集まり、近代化が進展する。太湖周辺も環境汚染から逃れられなくなってきたのだろう。飲料水のボトルが飛ぶように売れていると言う。太湖の影響は、下流の上海を始めとする華中全域におよぶはずである。

◆太湖にでっかい夕日が沈む。大自然の壮大な景観を借景に、日中青年交流会の感動は夜遅くまで続いた。あの時の青年たちは40歳代を生きている。生きる舞台は違っても運命の共同体であることに間違いはない。文明は全てを飲み込んで疾走する。

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2007 夏 第89回 夏の高校野球

◆佐賀北高校の見事が逆転劇で幕を閉じた夏の高校野球。こんなに、じっくりテレビ観戦できたのは久しぶり。全試合を見たわけではないが、良いチームだと思ったのが広陵・駒大苫小牧・帝京・常葉菊川・大垣日大。佐賀北の進出は予想していなかった。が、帝京戦で認識を新たに。

◆駒大にも帝京にもおごりがあった。実績や練習の成果としてのものなのだろうが、画像を通して気になったのは、かすかなに匂う魂の陰りである。広陵・菊川・大垣・佐賀北には、透き通るようなきらめきがあった。

◆監督さんの采配も観戦の楽しみだった。駒大は、野球の技術では図抜けていたかもしれないが、野球を中心とした過ごし方への指導が不足していた。帝京は、スクイズに拘った。菊川は、徹底して送りバントを嫌った。あの一手が違うものだったら、勝敗の行くへは違っていた。結果論である。

◆4対0で終わらせては、この子どもたちにかわいそうではないか。1点でも返して、終わらせたい。3年間の練習をぶつけて終われよ。という思いの終盤だった。そこで飛び出した逆転満塁ホームラン。

◆野村くんは、泣かなかった。審判も人である。一試合に謝った判定をすることもあるだろう。でも、あの場面で、塁に出てくれと日本中から声が上がっていたのだ。だから、あの審判に、私は感謝している。広陵関係者には申し訳ないが。

◆県立高校が頂点を極め、爽やかな風が日本中を吹き抜けている。ありがとう球児たちよ。さあ、来年を目指して、練習を再開しよう。

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2007 夏 虫取り

◆いや、夜中でも蝉が鳴く。猛暑の真夜中、蝉が鳴く。しかも、アブラだけではない。今年は、ミンミンゼミもかなりの数だ。田舎で蝉取りをやろうとしても、かなりの山にはいらないと難しい。ところがここでは、一本の木に鈴なりだ。「うまいだろう、じぃじぃ」と孫ちゃんは、10匹なんて、すぐに採っちゃう。

◆夜でも明るいから鳴くのだろうか。気温も関係しているのかな。そう、小さい頃、ミンミンゼミをつかまえるのは難しかったな。涼やかなところで鳴いていたので、かなり山に入らないと取れなかった。カナカナは夕方、比較的高い枝で鳴いていた。これも、あまり取ったという記憶がない。

◆早朝、孫たちを連れて、昨年、成果があった流山の古間木にカブトムシを捕まえに出かけた。ところが雑木林も都市化が進行し、バラ線で囲まれ、きれいに管理されるようになっていた。結局、カミキリムシと、アブラ、カナブン、赤とんぼだけに終わった。

◆雑木林や海など、非日常的か環境(?)に子どもを立たせるとおもしろい。「恐い」「立ち止まる」「動けない」「触れない」「使えない」「見えない」などなど。しばらくすると、見えてくるらしい。質問してくる。できそうな行動を取りはじめる。

◆山・海・川が遊びの舞台だった私とは全く異質な環境で育っている孫たちと接していると、豊かな自然と触れ合える、日常的な環境を用意してあげることが大切だとしみじみ想う。どうですか、大人も子どもも、非日常的な環境に立って、思考し、行動してみては。何かが見えてきそうな気がします。

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2007 夏 白内障の手術

◆猛暑の夏休み、いかがお過ごしでしょうか。ずいぶんとご無沙汰してしまいました。もう、覘く人もいないでしょう。まあ、ちょっと綴ってみて江野ちゃんや通ちゃんからコメントがあれば、また続けようとしましょうか。

◆田舎のおふくろさんが県立T病院で、白内障の手術をしました。両眼です。こちらの都合もあるので病院に問い合わせましたら、手術は毎週水曜日、両眼なので右を済ました一週間後に左目を、それぞれ1泊2日で、とおっしゃるのです。ふむふむ、さすれば、2週間は滞在しなくてはなりませんね。

◆それでは、例年の帰省をかねた小旅行の日程の中で対応することにしましょう、と言うことになりました。三女と孫の幼稚園児二人も同行することになり、多様な想いの旅がスタートしたのでございます。

◆右目の手術は1時間30分ほどかかりました。先生曰く、「硬くなっていて、細かく砕いて取り除いてみましたが、完全にとりきれない部分があります。でも、少し時間が経てば完治します」と。相当に進行していたのでしょうね。我慢せずに、早めに見ていただくことが第一のようです。

◆左目は、40分で済みました。夢中でDSに取り組んでいましたら、先生が「終わりましたよ」とにっこり。翌日、「左は良く見えるよ。右目は、まだ黒い昆布のようなものがちらっと見えるのさ」と85歳のおふくろさん。

◆「まだ、一人で大丈夫だから」「ここから離れたくないから」、台所を任せっきりだったので「料理の仕方を忘れてしまったよ」をはじめ、言いたい放題のおふくろさんは、まごの歌と踊りに満面の笑顔で応えていました。近所の皆さんの「元気だから心配ないから」という声を複雑な思いで聞きながらふるさとを後にしたのでございます。

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◆一昨年の春、友人から電話があった。「来年春、浦安に、医学部と学芸員を養成する部を併設する新しいR大学が誕生する。そこで、○○○○概論を担当してもらえないか」と言う趣旨であった。二つ返事で快諾した。その後、準備室から開校に向けて、文部科学省に履歴書や授業概要など提出しなければならないので至急お願いしたいと言う連絡は頻繁にいただいた。

◆風の便りに、開校したらしいことは知った。だが、肝心かなめの大学からは「おかげをもって開校した」と言う一通すらなかった。なんだ、開校のために必要とされたのかと思っていた。そう思っていたら、この春、「8月か9月の1週間の間に、一回90分、12回の講義をいただきたい」「ついては、毎週土曜日に2~3講座ずつか、第5時限(4時以降)にやってほしい」と連絡が入った。教科にも、履修するものにも、担当に対しても、根本的な考え方が間違っていないか。

◆昨年までお世話になった大学は、外部に依頼する時、依頼先の希望を優先してカリキュラムを組んでいた。こうまでして、望まれるのなら、やるしかないと思うのが自然だろう。ところが、R大学は、学内で都合のいいところを食べた後を選んで欲しいと言うのである。友人には悪いが断った。俺でなくても、担当できる人はたくさんいる。他に頼めば済むことである。

◆そうこうしているうちに、S大から「秋から手伝っていただけないか」と言う電話をいただいた。一応、お話を伺いに訪ねてみることにはした。報告は後日させていただくことに。

◆下記の催事案内を依頼された。馬場住職の語りも心を打ちますぞ。ぜひ、お誘いあわせの上、ご参加下さい。混雑が予想されますので、お早めにお出かけ下さい。
  「坂田明 サックスの音色と語り」
  日時:7月14日(土)午後1時30分から
  場所:我孫子市 真栄寺  我孫子市新木3128
  電話:04-7188-9202
  参加費:無料
 

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授業参観 その2 うるさいなぁ

◆木曜日。今日は、私らが参観に来ることを孫は知っていましたから、いつ来るのかとそわそわ、さかんに後ろを気にしている様子です。そーっと、教室の一番奥の窓側に陣取りました。国語の時間でした。「を」を学習していました。先生は、黒板にきれいな字で「つっつきのを」と大書して話を進めて行きます。やっと私らに気がついた孫の顔一面にうれしさが広がります。黒板のすぐ前に座っている孫が授業そっちのけで手を振ります。一年生ですもの。

◆「はじめて聞いたけど、をは、つっつきのをと教えるのか」「先生、あがっていて、間違っていることに気がついていないんじゃないの」「あたらしい教え方なのかな。普通、くっつきのをだけどな」と話しておりました。

◆一年3組、32人。多種多様。先生が何を言おうが子どもには届きません。10数えるうちに静かにさせようとします。これが何回も繰り返されます。心配なのでしょうね、後ろの列の子の親は付きっ切りで、こうしなさい、こうでしょうと必死です。先生はさすがです。声が大きいのです。どんなに騒がしくても隅から隅まで響き渡るのです。

◆20分休みです。「外で遊びましょう」よ放送が入りました。孫は、話もそこそこに、ボールがなくなるからと飛んでゆきました。クラスの男子でサッカーです。校庭を縦横無尽に走り回ります。ボールのキープ率が抜群です。ちびのクセに、やるじゃないか。生き生きしているのです。

◆3時間目は国際教育(?)でした。授業の前に、「つっつきのを」を間違いだったと訂正されました。やっぱり「くっつきのを」でした。さて、中国からの留学生が登場し、中国のお話と折り紙教室が展開されました。打ち合わせが不十分だったのでしょうね。充実させる必要がありそうです。で、出席している親は、全て女性。母親と祖母なのでしょうね。今のお母さんたちは高齢出産なのでしょうね。体格の良い、貫禄溢れる人でいっぱいです。

◆ずっと立ちっ放しなので疲れてきました。先に帰って孫の帰りを待つことにしました。下校後は、孫と水元公園に釣りに行くのです。体力を堅持して、生き生きと行動しませんとね。さて、帰ってくるまで横になっておこうか。

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授業参観 その1 あっぷあっぷ

◆「N(小学校一年生の孫)の授業参加日があるの。出席できないかな」と娘からの電話。孫が通う葛飾区立H小学校が、木曜日から土曜日までの3日間、一時間目から下校時まで好きなだけ参加くださいと参観日を設けたのだと言う。共稼ぎの娘夫婦は土曜日は参加できるだが、木・金は無理。で、時間があるのなら出席してもらいたいと言うのです。

◆行こうじゃないか、可愛い孫のためにも。と、ラシュの終焉近い千代田線に乗り込みました。ところが隣に、でっかい、豪勢なショルダーを側面に携えて無神経な痴女、いや失礼、才女らしき女性が馬橋から乗り込んできたのです。普通、混雑する車内では、つり革に陣取った方なら、カバンは体の前面に安置させ、迷惑のかからぬ態を装うのが良識ある振る舞いではありませんか。

◆しかれども、この女性は、なんら周囲に気使う振る舞いの様子はありません。横っ腹は痛いの、窮屈は倍増するの、ひたすら我慢したのであります。乗っている時間はほんの10分ほどです。我慢できる時間であります。で、金町駅に到着、さぁ降りようと出口を目指しますが、カバンが邪魔をして動きが取れません。そこで、そっと(あくまでも、そっーと)カバン様を窓側に押し、空間をつくり、無事ホームに降り立ったのでございます。

◆そのとたん、「なにすんだよ、頭にくるな」と女性の声が聞こえてまいりました。私の後を家内が続いていたわけでして、カバンを押された女性は体勢を建て直し、空間を遮断したのだそうです。そこで、家内は押しやるしかなく、少々手荒にドアに向かったらしいのです。いや、残念でした。才女のご尊顔をじっくりと拝見できなかったのです。

◆小学校に向かいながら、「お嬢さん、素敵なショルダーですね」って、言ってあげた方が良かったのかなって思いました。えっ、えのちゃん、これもセクハラですか。うーん、汗臭い男との境目にカバンを置いて身を守る。常識的な礼儀作法ですか。えっ、その女性の痴漢行為防護策によって何事もなかったと思えば気も休まるでしょう、ですか。やれやれ、皆様、毎日のお勤めお疲れ様でございます。盛夏に向かいます。ご自愛下さい。

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子どもの学びを支える方策

◆「放課後子ども教室」なるものが文部科学省の肝いりで展開されているのだそうです。まあ、前々から子どもの居場所作りなどの事業が展開されていましたのでその延長線上にある事業なのでしょうか、そのうち、あなたにも手伝って欲しいと要請があるかもしれません。

◆K市では、この中に、学力支援(?)、どうしても算数が分からない子、塾に行けない子などを対象に希望者を募って、放課後塾を展開するのだそうです。既に6校で実施中とか。で、この指導者をボランティア登録者名簿から選出してお願いしているようであります。

◆高齢者や熟年の方々を始め、多くに人に関わっていただけると効果があがるでしょうね。ただし、留意しなければならないことは、学力格差を広げないために大人が力を注ぐことも大事でしょうが、青少年同士が教えあい・学び合うという機会づくりをあらゆる場面で用意することではないでしょうか。

◆21世紀、格差社会が拡充されてゆく中で、大人と青少年が、青少年と青少年が学びの関わり合いを学びの一過程とし、青少年が夢と希望に向かって挑戦して行けることが魅力ある国際人を育み、豊かな社会を実現することに繋がると思うのです。いかがでしょうか。

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新聞・テレビ・梅雨入り

◆いよいよ梅雨ですね。今年は空梅雨にならなければいいのですが、ちょっと心配ですね。あじさいが見ごろを迎えているらしく、電車の中でも本土寺に向かう人(ほどんとが高齢者軍団)が見受けられますね。そうですか、あじさい寺と呼ばれているのですか、ふーん。南無阿弥陀仏。

◆yorimoに応募したら、モネ展のチケットが当たりました。早速、出かけてまいりました。本日は、読売の貸切日で一般のお客さんは入場できないのだそうです。建物は、黒川記章さんの作品だそうです。正面入り口で、「そんなこと・・・」とお帰りになる人もありましたよ。さてモネ展、すばらしかったですよ。動けないのです。最初の一枚目から、移動するのが嫌になるのです。じっと、そこに留まっていたいのです。

◆「日傘の女性」はもちろん、「かささぎ」はいかがでしたか。雪景色ですよ。まばゆいばかりの雪景色でした。「モントグイユ街、1878年パリ万博の祝祭」、あの歓喜に沸く、旗・旗。あのタッチに感動ですね。「積みわら」「睡蓮」「ロンドン」の連作(?)。晩年の太鼓橋、モネの家。いや、感激の連続でした。まだの方は、ぜひお出かけ下さい。

◆ところで旅番組を眺めていましたら、野辺山が出てきました。40年前、N高の林間学校は野辺山だったのです。一面のレタス畑でしたね。確か、その当時の栽培農家の年収は2千万から3千万、お金を笊につるして入れてありました。使いたいときにそこから持ってゆくとか言ってました。「息子は、カナダ旅行に出かけています」ともね。

◆真夜中の売り上げが勝負なのだそうですね、テレビショッピング番組は。21時から3時までの6時間がゴールデンタイムなのだそうです。24時間、生放送でショッピングの番組を流し続けている局をありました。しかも、1時間単位で次から次へと商品が案内されるのだそうです。1本約1万円の腕時計を5千本、約1時間で完売していました。

◆こんな時代を生きているのですね。そう言えば、読売の人生相談に、「引きこもっている子どもが、ネットで買い物ばかりして困っている、どうしたらよいのか」というのがありました。さてさて、客足が遠のいたと嘆いている商店主さん、待っているばかりの時代ではありませんぞ。

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眼高手低

◆最近、千代線より、つくばエクスプレスを利用することが多い。都内に出るにも早いし、快適である。秋葉原の乗換えがちょっと長いけれども、座って往復できるし、極楽極楽。おかげでこの3週の間に、三社祭とか南千住の天王祭を見物できた。それにしても、エクスプレスの「浅草駅」は利用するのが楽しくなるような工夫が凝らしてあるよね。まだの方は、一度どうぞ。

◆江戸川沿いを自転車で走るようになってから、地域が良く見えるようになってきました。先日も、「矢切の渡し」まで走ってみました。河川敷のゴルフプレイヤーを楽しみながら、渡し場まで行って、ちょっと、何これは。船頭さんが経営しているお店があって、周辺にベンチが置いてあるのですが、これが、傷んでいるなんて言うような代物ではありません。松戸の行政なり商工会なりが、何とかしたら。

◆男はつらいよのビデオ鑑賞。 第23作「翔んでいる寅次郎」のマドンナは桃井かおり。「拝啓 おふくろ様」「幸福の黄色いハンカチ」など、この人の舌足らずのような甘ったれて、どこか不満げな、常識が抜けていて、不良っぽく、そして男運は薄そうな演技。実際とどれだけ違いがあるのか分からないが、この人、なかなか魅力に溢れた女優さんであるとを再認識。今後、じっくり見てゆくことに。

◆テレビ東京を結構見ている。旅番組はもちろん、「田舎に泊ろう」なんて、よく感動の涙を流しながら見ている。でも、一番好きな番組は問われたら「カンブリア宮殿」と「ガイアの夜明け」と答える。自分の不得手な領域が少しずつ解消され、更なる興味・関心を抱かせてくれる番組なり。

◆最近、孫の興味・関心に変化が生じたのです。3歳の孫は、変わらずウルトラマンなのですが5歳の方は、あしたのジョーを見たいと言い出したのです。で、「じぃじぃは、マーチャン(私の長女)が男だったら名前を丈とつけようとしていたんだってね」とのたまわるのです。そう、あしたのジョーは、大好きだったのです、私が。

◆「今、カヌーを浮かべて楽しんでいるんですよ。皆んなが、どうしているだろうかって言うので電話してみたのですが」賑やかな笑い声の混じる留守電が入っていた。聞いていて、場とメンバーの顔が浮かんでくるのです。遊んでいる時の少年のような笑顔が渦になって。久しくぶりで、乗ってみるかな。

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泣けちゃうな

◆N教授から丁重なお手紙をいただいた。それから1週間経った頃だったろうか、電話が入った。一杯やりたいが時間を取れないかと言う。事の始まりから相談してくれていたら・・・、何故とも。この人は、一見、荒々しく見えるが全てに、大胆で細心、そしてどこまでもあったかい人なのです。

◆県は、昭和61年から洋上研修を開催、上海に青年400名を派遣していた。船は2万トン級、日程は11泊12日。その6回目ぐらいに講師をお願いしたのが付き合いの始まりである。正確に言うと、その前の年だと記憶しているがある催事でパネラーとしてご一緒させていただいたのがきっかけである。洋上研修は拘束が多いし、収入にならない。「しかたがないな、あんたのたのみじゃ」としぶしぶ引き受けていただいた。

◆この人、根っからの自遊人である。上海に上陸するや否や、「自由に散策してきたいから、表敬訪問などは遠慮したい」との賜られた。私は、どうにか団長を説得し、彼は連日、散策に出かけられた。夕方、うれしそうにお帰りになる。市民生活が見事に描かれたスケッチブックを抱え、購入してきたという小学校の教科書など山のように抱えて満面の笑顔である。

◆ここ数年は、子どもの安全を守るため「危ない公園」を改善しようという提言などでちょくちょくテレビとか新聞に登場される。飲んでは、奥さんのこと・子育てのこと・学校のことなどをよく話し合ったものである。けれども、あるとき、「仕事での付き合いは、止めよう。時間もお金ももったいないよ。個人的な付き合いだけにしよう」と真剣に言い出された。

◆多忙な時期を迎えておられた事もあって役所の仕事は煩わしくなってきたのだろう。それからは、年に数回、お会いして懇談してきた。長男が不登校になったときも孤軍奮闘して学校とも渡り合ったらしい。その長男も、今は弁護士になっていると言う。この人の生き様が魅力的なのだ。飲み会の最後は1時間半のカラオケ。歌わない彼は、にこやかに付き合い、「時々、やろうよ。ねぇ、二人で飲み屋でもやろうよ」とタクシーに身をゆだねた。

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一年生

◆この春、一番上の孫が中学3年生になり、一番下が幼稚園に入園しました。で、一族全員が揃うことはめったになくなったのです。キャンプに行こうとしても中学生が合宿で欠席です。で、母親も留守にすることができずに欠席します。だんだん、こうして縁遠くなるのでしょうか、思うとちょっぴり寂しい気持ちになりますね。

◆3歳児も、4月は、同じ幼稚園に通う年長組みの兄と喜び勇んで通園バスにに乗り込んでいたのですが、5月になったら様子がおかしいのです。渋々出かけるのです。表情が曇りがちなのです。幼い顔一杯に、疲労感をにじませて、なんとか出かけて行きます。帰ってくると私の家にやってきます。「じじ、パソコンで、ウルトラマンを見せて」とねだるのです。

◆これ、ただじゃないのです。NTTとの契約で5話1週間、420円ぐらいするのです。でも、この子にせがまれると、だめだとは言えません。母親が「お風呂に入ろう」と呼びに来るまで遊んで行きます。1軒隣に住むこの子は幸せです。祖父母が手の届く所に居るのですから。

◆週末に遊びに来る長女の一人っ子は、小学1年生です。両親が共働きのため、学童でお世話になっています。連休明けに、こう言うのです。「じぃじぃ。たまにさ、学校から直接、家に帰りたいの。だから、僕の帰りに合わせて家に来てくれない」「そう、良いよ。喜んで行くよ。でもさ、どうして、そう思ったの」「うん。友達がまっすぐ家に帰るのを見ると、僕も帰りたいなぁって思うんだ」

◆朝のウオーキングで、小学校の近くを通りかかったら、日傘を被り、頭から顔を手拭で覆ったランドセル姿の男の子が目に飛び込んできて思わず立ち止まってしまいました。よく見ると、すぐ後ろにおばぁちゃんらしき人がついていて、校門の近くまで来ると手拭を取ってあげ、日傘を受け取りました。

◆私自身は孫に厳しく接する方なので過保護には育てませんが、でも、さりげなく愛をささげようと強く思うこの頃なのであります。皆さん、心配いただいているようですが、私、役割を果たしながらも、真っ黒に日焼けして動き回っていますからご安心下さい。では。

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足をのばして 鶴岡・酒田紀行

◆おふくろが白内障の手術をしたいと言うので打ち合わせに帰省した。担当のお医者さんが「手術は急がなくて良い」と言うので7月か8月にお願いすることにした。ついでと言っては親不孝かもしれないが、5月の東北、爽やかな風に誘われて鶴岡と酒田まで足を伸ばしてみることにした。

◆去年の5月に訪れた富樫さんの山形「薬師祭」は、今でも心に残っている。連休空け、五月晴れの山形。山桜・残雪・新緑、そして縁日と旅仲間。今でもあの旅を思い出しては微笑んでいる。今回は、日本海を背景にしたがあの風土を味わってみたかった。そして、鶴岡は藤沢周平さんの故郷、酒田は商港であり、ドラマおしんの舞台。そして、ぜひ見たいところが・・・。

◆鶴岡では、庄内藩の御用商人として幕末には城下第一の豪商だったと言う風間家の住宅「丙申堂(へいしんどう)」も見ごたえがあった。建物などは訪問されて堪能頂くとして、展示物「明治36年 山形県納税一覧」なる番付表を紹介しておきます。高額納税者が46円、風間さんは488万円と記録されている。富を競い合った酒田の本間家と段違いの存在が窺えます。

◆酒田の駅前に観光協会が運営する貸し自転車(無料)がある。土門拳(酒田市の生まれ。全作品を酒田市に贈呈)記念館まで約5k。市内散策を兼ね、最上川の橋を渡り、訪問。年4回程の展示替えがあるらしい。ちょうど「古寺巡礼 ~艶~」を開催中であった。感涙。

◆ちょっと気になったことがある。ここでも、ボランティアの方はにこやかに対応されていた。ところが職員?学芸員?いや、ともかく、側に近づくのをためらった。各地の観光地でお目にかかるのだが、仕事に慣れると往々にして受ける応対。土門拳の作品に囲まれていても感性が鈍るのでしょうか。

◆キャッチ・フレーズの夕日が水平線に隠れ、地酒の酔いが、やわらく身を包んでくる。突然、テレビの画面に引き込まれた。これは、「薬師祭」の植木市の賑わいではないか。懐かしくて食い入るように画面を追った。そうか、この近くに、薬師寺の跡取り息子の、あの人が来ているんだ。たいして離れていないところで、僧侶の姿をした彼がにこやかに鎮座し、手招きしているような気がした。

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現代美術館にディマスを訪ねて

◆初夏の日差しを浴び、ディマスを訪ねて東京都現代美術館に行ってみませんか。東西線の木場で下車し、木場公園を北に向かいます。まず、迎えてくれるこの公園に癒されます。T県の公園とは比べようもない、美しさと手入れの良さが伺われます。さて訪ねるのは、現在、世界的に最も注目を浴びている女性アーティスト「マルレーネ・ディマス展」。1953年、南アフリカに生まれ、現在、アムステルダムに在住し、活躍をしている、美しき(たぶん)画家であります。

◆彼女の作品に触れ、私の常識なんか、ものの見事にすっ飛んでしまいました。大胆で繊細、鮮烈。その構図、色彩感覚。全てに感動を与えて頂きました。パンフに曰く、「いま私たちの怒りや悲しみ、死や愛といった感情をリアルに表現してくれるのは写真や映画になってしまった。かっては、絵画が担っていたそのテーマをもういちど絵画の中に取り戻したい」と。

◆彼女の作品鑑賞の機会を青少年に与えたら、彼らは、生涯、絵画を友として生きるのではないでしょうか。私?私は、虜になってしまいました。ポストカードを部屋中に飾り、終日眺めています。当分、幸せな時間が持てそうです。そうそう、実は、常設展示館で岡本太郎さんの「明日の神話」が特別展示されています。でかいのなんのって、横30メートル、たて5,5メートル。この絵は、数奇な運命を辿って今日に至ったのだそうです。

◆現代美術には、なかなか足を運んでいただけないのでしょうか。閑散としているのが残念に思います。帰路、深川江戸資料館・清澄庭園に足を運び、人形町を散策してみました。「この通りには、ぬくもりと活気がある」と途中、何度も思いました。「散策している喜び」と、このようなまちに「住んでいる人の幸せ」を思ったとき、ふと、「不易と流行」が過ぎって行ったのです。

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ブルーグラスの夕べ

◆事務局からご案内が届いていると思いますが、久しぶりの楽校(事業)を22日(日曜日)に京北ホール(柏駅東口下車、徒歩1分、京北スーパー6階)で、開校する運びとなりました。午後2時30分開場、3時開演です。参会費は、軽食・ドリンク付き、会員1500円、会員以外の方は2500円です。

◆今回は、「ブルーグラス(Bluegrass)」を楽しんで頂こうと思います。「ブルーグラス」とは、アコースッテクなアンサンブルを奏でるストリングハンド音楽で、基本的な楽器編成は、バンジョー、マンドリン、ギター、ベース、フィドル(バイオリン)、ドブロ(ハワイアン・スティール・ギターは発展したもの)の6種類。多くの楽曲にソロの歌とハーモニーが伴い、様式美スタイルとバンドメンバーの各個性のインプロバイス(アドリブ)と技量を楽しむ音楽でもあるそうです。

◆とにかく、実際に見て、聞いていただくのが一番です。さて、出演いただくバンドは、その技量と個性が、いまや日本の最高峰と評価されている「本間正敏とダッキーズ」です。実は、本間さんを中心とした素人のグループです。このグループは、フォークやラテンもこなす、マルチなブルーグラス・スタイルのバンドとして、マイク1本を中心にメンバーが入れ替わり立ち代り演奏を繰り広げる迫力あるスタイルが見所でしょうか。

◆本間さんは、柏市に在住ですし、メンバーの皆さんは、仕事の傍ら、演奏活動を楽しんでおられます。先日、銀座のライブをのぞいてみました。久しぶりのバーボンを片手に実に楽しいひと時でございました。いや、本間さんのマンドリンには驚きです。詳細な紹介は当日、ご本人たちから伺う事にいたしましょう。

◆久しぶりで皆様にお会いできるかと思うと胸が高鳴ります。どうか、ご家族・友人など、お誘いあわせの上、ご参加下さいます様に。また、この場をお借りしまして、冬の陣のお礼やら、今年の楽校運営についてお話をさせていただきたいと考えております。それでは再見。

◆あっ、一つ忘れるところでした。当日、会場作りやら、機材の運搬で人手が必要です。お昼頃から関わっていただける方は、事務局までご連絡下さい。

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春宵ボケ話 その2

◆春や春、春はあけぼの。あまりのボケ話で嘲笑を勝っていたところに、友人のKが現れた。Kが、「それもひどい話だけれど、自分も忘れられない傑作(?)な経験をしたことがある」と話し始めた。

◆松戸駅で始発電車を待っていた。ふと、前方に目をやると最前列に並ぶ同級生のHを発見した。いや、何年ぶりだろう、こんなところで会うとはと無性に喜びが湧き上がってきた。よしゃ、一つ、びっくりさせてやろう。あいつは、最前列だから乗車したら、ドアに近い席を確保するだろう。よしゃ。

◆後頭部をのぞくと、予想したとおり、ドアに近い席に鎮座したではないか。しめしめ。乗車してすぐ、Hに背中を向けてまん前に立ち、彼の膝の上に腰かけた。すると彼は、背中を押すではないか。なんのなんの、こんなことですぐに顔を向けては。このこの久しぶりであったのにすぐに顔なんか会わせるもんかと言う堅い決意でまたまた座った。すると、「何をするのだ」とか言って、一回目より強く押し返してき。

◆なんのなんの、久しぶりで会う、懐かしいお前をうーんと驚かしてやらねば。このこのと三度目のお座りをした。すると、ものすごい力で押し返し、「いい加減にしてくださいよ」と友人がのたまわった。「この。くださいよだと。俺だよ」と振り返って、正面から見やった顔は、「あっ」、まったくの別人だった。「しまった」横顔なんかそっくりだったのにと思っても遅かった。車内は爆笑。顔を真っ赤にしたKはひたすら謝って、少し距離を置いた空間に移動したらしい。

◆三回も続けたことに表彰状をあげたいぐらいである。一日に一回、こんなことが日常的にあるようでは「変人」の部類に入るのだろうが、月に一回ならいいのではないか。こんな場面に出会えたら、ひと月はにこやかに過ごせそうだ。とげとげしい世の中に、腹を抱えて笑えることがあまりにも少なすぎはしないだろうか。でも、待てよ、もしかして、近日中にまた、失態を報告するようになっては。しばしの間、自重して過ごすことにしよう。

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春宵ボケ話

◆まごちゃんは春休みです。「温泉にちれてって」と言うおねだりに心を動かされ、七光台温泉に連れてゆきました。久しぶりの温泉です。あまりにも久しぶりなので、下の孫は、大きな風呂におどろき、後ずさりしてなかなか入ろうとしなかったそうです。まあ、孫たちは女性軍に任せ、私一人、のんびりと楽しめるのが常であります。

◆さて、かけ湯の後に、ひとまず、サウナでじっくりと汗をかくことにいたしました。ちょうど高校野球も中盤を迎え、熱戦を繰り広げていますので、観戦しながらのサウナは快適なひと時であります。10分も入ったでしょうか、次は露天風呂に向かいます。体を、湯の流れている板の上に横たえて休ませ、火照りをしずませます。冷めたところで露天に入ります。

◆いよいよ洗い場で全身洗浄にかかります。入り口のところにある洗面道具置き場から自分の器を持って程よい空間に席を確保します。さて、体から洗うかと、道具入れをのぞくと、石鹸箱、かみそり、歯磨きセットといつもは用意しないのもが目に入りました。「何と、気が利くことよ」。まずはボディソープを存分に注いで、隅から隅まで念入りに洗います。

◆次は、石鹸箱から石鹸を出して「いや、やけに汚い石鹸だな」と十分に洗ってから使おうと石鹸の表面を十二分に洗い流し、顔を洗います。いよいよ、頭髪です。「うっ、シャンプーとリンスがない。家を出る時は、確かに入れたのに。さては、相方が持っていってしまったのか」と、備え付けのシャンプーに手を伸ばした瞬間、脳天を電撃が走った。

◆これは、俺の道具入れではない。人様のである。なんという。隅から隅まで洗い清めた道具一式がひと様のものだったとは。あわてた。急いで道具置き場に返しに。そして自分の物を持って、そそくさと定位置に。これだ、これが俺の道具だ。シャンプー・リンスもそこそこに、上がり湯を浴びて脱衣場に。ちらっとサウナをのぞくと、持ち主らしき人、野球に夢中の様子。

◆ああ、春。ああ、歳。ああ、天然。その日、夜まで、笑いころげて過ごしたのです。ごめんなさい。すみませんでした。

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参った 参った

◆春爛漫。桜も満開。あっちこっちで花見の宴が真っ盛りでございます。六義園の枝垂桜が見事に咲き申したと言う放送に出会い、急ぎ向かったのでございます。ところが駒込駅から人の波。もしかするとと思うまもなく大行列。入園するのに30分以上はかかりますとのこと。仮に入園しても、その先は押して知るべし。目的地を切り替えました。

◆小石川植物園を目指したのでございます。東京大学の教育実習施設なのだそうです。入園口は正門、一箇所のみ。白山駅か茗荷谷駅からが便利で、駒込から歩きますとおよそ植物園を一周して、入園することになります。周辺は共同印刷をはじめ、印刷関係の会社が密集しております。さて、入園前にお腹を満たしておく必要があります。園内に食事所なんてありません。お酒。とんでもありません。飲酒は厳禁です。そんなもんで、正門前の蕎麦屋で天ぷらそばを食してから入園と決めております。

◆いや、正解でした。上品(?)な花見客で溢れていました。数種類の桜に、しなみずき・さんしゅゆ、とさみずき、はなずおう、ちょうせんれんぎょ、もも、みつばツツジなどなど、私には覚えきれませんが、これに木々の若葉の美しさを入れますと、都心にこんな別天地があること事態、驚きです。近くに住んでいるのでしたら毎日、訪れたいところでしょうね。ちなみに入園料は300円。門前のたばこ屋さんで購入するのです。

◆いやはや、マスコミの影響力のすごさを実感した次第でございます。で、自分の足で春を探そうと愛車のプジョー(自転車)を車に積み、江戸川土手のサイクリングに向かったのでございます。びっくりしました。土手の両側を菜の花が埋め尽くしているではありませんか。数キロに渡って、菜の花でむせかえる道が続きます。さあ、急ぎ、訪れてみませんか。流山電鉄の流山駅で降りて探索するか、運河駅で降りて江戸川の土手を目指し、南流山駅か松戸駅まで歩くのも良いでしょう。春の一日を存分に楽しむハイキングはいかがでしょうか。

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草津温泉紀行

◆草津温泉,2泊3日の旅を楽しんできた。上野から特急「草津・水上号」で、一路、吾妻線の長野原草津口を目指した。この路線電車の旅は始めてである。昨年の夏、車で2泊3日のドライブをした。一日目は、戸隠を探索し、湯田中温泉に宿泊。翌日は、志賀高原で遊び、四万温泉に投宿した。この時は、草津温泉を通過しただけだった。

◆草津口に到着、最後尾の車両からのんびり歩いてゆくと、JRバスが待っていた。一台目のバスは満車で二台目に乗るようにと言う職員の案内に従った。大きな荷物は車体サイドに収める。利用者数に応じてバスの運行台数を決めているのだろうか。しかし、土日でもないのに、このように大勢が押しかける温泉とは。道路にも道端にも雪はない。が、近くに見える山々は白一色である。

◆上越の湯沢あたりでも雪不足でスキーが出来ないのだそうだ。そこで、この草津にスキー客が集まってきているとのこと。車の旅ならばスキーを積んでくるんだったと悔やんでみても遅い。今回は温泉だけが目的だから、とにかく湯に入ること。しかも、この「奈良屋」という旅館は一ケ月も待たされた宿。存分に楽しまなければ。

◆お湯は、大満足だった。体にやさしい。一風呂浴びてから散策に出かけた。大変な人である。どこから集まってくるのか人の波である。試食してと、温泉饅頭差し出されるので、口に運ぶ。ガラス工芸の店、土産物の店、大露天風呂、喫茶店など、温泉だけでも、退屈しないのかもしれない。日光湯元温泉の寂れ具合とは対照的な賑わいである。

◆一日、36000ℓという、日本一の自然湧出泉なのだそうだ。温泉施設が豊富だ。西の河原露天風呂、大滝の湯、ベルツ温泉施設、テルメテルメ、草津ビックバス、などなど、次回に伺うときは水泳パンツも必需品だろう。

◆ここには、あきが来ない工夫がある。豊かな温泉があり、自然がある。資本の投下がある。しかし、なによりも湯元との違いは、多様な世代を呼び込むための、関わる人の創意工夫と熱意ではないだろうか。

◆いや、なんのかんのと言っております私は、家に帰ってから飛んだ目にあってしまいました。体の中の毒素と言いましょうか、まるで吹き出物のように、ふつふつと湧き出てきまし無数の突起物に、1週間ほど、身もだえし、七転八倒し続けたのであります。「かゆい、かゆい」と。いや、温泉のご利益がありました。ありがたいことでございます。

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菅沼キャンプと台風

 ◆奥日光湯元温泉も雪が少ない。それでも頬を打つ風は痛いほどで、耳まで覆う毛糸の帽子を深めに被って散策に出かけた。平日のスキー場に客の姿は見えない。静まり返った山間に不似合いな曲がながれている。さすがに金精峠や白根の頂上に向かってはどっしりと雪が覆っていて2000メートル級の山容は冬山の威厳を見せている。

 ◆そう言えば、30年も前になるだろうか、峠を越えた菅沼でキャンプをしたことがある。400名の大所帯で、お盆過ぎのもう夏休みも終盤を迎えるころだったように記憶している。引率の仲間も熱気溢れる連中で、普段から何をするにも、楽しいことこの上なかった。菅沼は私が、尾瀬や清津峡の帰りに利用しており、一度はここでキャンプをさせてみたいと思っていた。

 ◆運の悪いことに、台風が接近中と言う予報の中の出発となった。まあ、直撃はないだろう、多少の雨はプログラムを変更して展開しようと話し合い、一団、嬉々として菅沼に向かった。台風が来るなんて嘘じゃないかといえるほどの天気に恵まれ、二日目の白根山登山も無事終了。楽しい楽しい夕餉の準備をと言うあたりから天気が急変した。大風と大雨になった。

 ◆テントに水が流れ込むようになった。急遽、仲間とショートパンツ姿で側溝を掘って歩いた。夜の移動は危険だ。なんとか凌いで朝まで持たせなきゃと言う思いで、堀まくった。朝になっても雨は止まなかった。台風本体はこれからやって来るらしい。撤退しかないなと判断し、夜明けと同時に大急ぎで荷物をまとめさせた。

 ◆バスの中で「外で話していたこと、全部聞こえていたんだよ」と笑いながら子どもが問いかけてきた。えっ、本当かい。大雨と風で聞こえないと思っていたから、内緒話を大声で交わしながらの作業だった。今でも、このときの内緒話が子どもたちの嘲笑とともに宴席をにぎやかし続けている。

 ◆この夏、菅沼のロッジに泊って、白根に登ってみたくなった。そして、湯元の温泉寺で熱湯のような風呂に挑戦してみようかな、それとも、森のホテルの露天風呂に身を沈めるかな。どうせなら、戦場ヶ原のハイキングにも出かけてみよう。さわやかな緑の風を全身に浴びながら。そうだ、あの子どもたちも誘ってみようかな。

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続々前略 おふくろ様 奥日光 湯元温泉の旅

 ◆日光 湯元温泉に行ってきました。と言っても、最初から湯元を目的地に決めていたわけではないのです。花の季節でもあるし、ひとつ南房総バスツアーに参加してみようと申し込んでおいたのです。ところが定員に満たないので中止とのこと、相方が楽しみにしていた旅がなくなるのも気落ちするだろうと、ならば雪を見に行こうじゃないかと相成ったわけでございます。  

 ◆湯元のお湯に浸かって、光徳温泉でクロスカントリーに挑戦する、こりゃいいや、よし、行こうじゃないか。と勇んで出かけたのです。雪道で往生するから、東武の特急と路線バスで行きましょうということになりました。車内は卒業旅行の女子大生群と隣りあわせで喧騒の渦の中、日光に到着。ところが、どこを見ても雪はありません。いろは坂も日陰に残ってはいますが、車道はまったく雪の影響がありません。  

 ◆戦場ヶ原も光徳温泉も雪はありますが、クロスカントリーに挑戦したくなるような雪はありません。結局、湯元温泉までスノータイヤもチェーンもまったく必要のない道でした。今回は、休暇村こ宿泊しました。湯元のお湯は、最高です。何度でも訪れたくなる白濁のお湯なのです。そうそう、訪問する機会がありましたら、源泉の側にある温泉寺で日帰り入浴を経験されていかがでしょうか。熱いのがお好きな方はぜひ。水道の栓を全開しながらゆだっている愛好家は結構いますぞ。  

 ◆湯の湖も凍結しているのは僅かです。男体山も、申し訳程度に雪を抱いてはいますが、この夏は水不足だぞーって言っているような様相です。でも、やっぱり寒いのです。で、観光客はパラパラです。日光市内も、中禅寺湖畔も、湯元も寂しい限りです。なぜですか、東武電鉄さん。東照宮も、旅館組合も、電鉄さんも、思考力が鈍っていませんか。拝観料・催事・街並みなど、心地よさを演出する努力を怠ってきましたね。豊かな自然におんぶしているだけでは、限りがあるでしょうね。  

 ◆休暇村に親孝行な息子さんが91歳になるお母さんを連れてこられていました。車イスを押し、食事の世話をし、何をするにも注目の的でした。お風呂だけは、皆さんのお世話になっているようでしたが、この親子のそばを通る時に誰もが声をかけていました。前略 おふくろ様、俺にはこのような所作ができるのでしょうか。恥ずかしい限りです。  

 ◆そうそう、この奥日光で、忘れられない出来事があります。その話は、次回のお楽しみに。

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続 前略 おふくろ様

◆バスツアーで河津に行ってきた友人から厚揚げを頂きました。沼津インター近くの土産物店で買ってきてくれたらしいのです。さてと、どの場面でどのように口に運ぼうかとほくほく顔で思案していると、インターホンが鳴りました。いつもお世話になっている指圧の先生の奥さんが「河津と松崎に行ってきたので御裾分け」と干物を持ってきてくれたのです。大きな金目ダイが袋からはみ出しそうに鎮座しているではありませんか。

◆前略、要するにどの酒で誰と迎え撃つかであります。「三岳」にしようか、それとも「酔仙」にしようか、いっそ、ワインかビールにしようか。一人で飲むのはちょっと寂しいから婿殿でも呼ぶか。いやいや、ちびりちびりと長期戦で行くか。と、果てしなく、ウキウキと思案していますと昨年訪ねた河津の桜が、松崎の風景が頭の中で広がって、あそこに泊って、あの港でカヌーを楽しみと、心はもう、次の旅に出ているのであります。

◆そんな夢を追いかけているところに「何をしているのよ。今日は、餃子ですからね。いつものように刻んでこねて下さいよ」と台所から職務命令が出されます。台所って言えば、いや、前略 おふくろ様が創られた昭和50年代の始め、八千草薫は愛しいほど輝いていましたね。料亭「川波」を舞台に、萩原健一をはじめ、梅宮辰夫も桃井かおりも、その他、室田日出男・川谷拓三・小松政夫・大滝秀治・風吹ジュン・志賀勝・木ノ内みどりなど、引き込まれるほど魂が入っていて魅力的でしたね。

◆倉本さんの脚本がまた、いいんです。間が絶妙で、料理で言えば、まるで調味料のようで、役者さんたちも心理描写の演技が大変だっただろうなと思われます。私も時間を見つけては、台所に立つようにしております。いつ、離婚を申し渡されても良い様に、いつ、先立たれても良い様に。そして、週一ぐらい私の料理で団欒が持てるように、努力して参りたいと思っております。いつか料亭「川波」の調理場に立てることを夢見て。

◆あっ、そうそう、入院しておりましたMさんが無事、退院いたしました。本当に良かったです。また、あのチャーミングな笑顔に出会えます。前略 おふくろ様、まだまだ寒い日が続きます。風邪など引かぬよう、お過ごし下さい。花の季節には、帰郷したいと思っております。では。

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試験の季節

◆中学生らしきグループがK高校の通学路を行き来している。そう、受験の季節なのだ。多分、今日は、合格発表か面接試験があるのだろう。向かっているグループはにこやかに嬉々と映る。が、帰りのグループは今一、様子が違う。後姿に疲労感や押し黙って思い遣っているような重さある。15の早春、初めて味わう体験。この体験は、この子ども達にどのような人生を用意してくれるのだろうか。

◆それにしても、21世紀の経済的大競争時代を生き抜くために、豊かな感性を培い、その土台の上に確かな学力を身につける事が望まれている子どもたちは大変だ。大学全入時代の幕開けとは言え、幼児の段階から競争の舞台に立たなければならない。加えて、子どもの時から「情報化・国際化」や「格差社会」を背負って人生に立ち向かわなければならないなど、私の青少年時代とは大違いである。

◆格差って言えば、昔も存在した。昭和30年代、私の田舎でも裕福な家庭では、子どもに学歴を積ませたいと、東京や仙台・盛岡へと進学させることを競ったように思う。一方で中学卒業と同時に、職人に弟子入りし、東京や北海道へと向かう男子、集団就職で東京に向かう女子など、親の価値観や経済的理由で進路が分かれた。小さな町で幼稚園・小学校・中学校と席を同じくしていた同級生との別れは、悲しみと不安を伴った記憶として鮮明に残っている。

◆あの時、北に南に散っていった同級生も地元に戻って生活する者が増えた。帰郷するたびに同級会が開かれ、あの時のままの顔に年輪を重ねた風貌で集う。卒業して約50年弱、それぞれの人生が投影される宴。この年齢になっても魅力的な同級生たちは、今を楽しんでいる。関わりたくないことが山ほどあると言う。でも、自分らしく向き合って行く事が必要だと説く。「けっして裕福ではないが、まだまだ豊かな自然と地域があるだろう。ここに身を任せて過ごしていると、楽しいんだ」。

◆若者よ、受験の結果に一喜一憂している時ではないぞ。「どこの学校をでたのか」などと言う評価の束縛から自由に生きよう。格差を乗り越える生命力を持とう。人生、いつでも「何ができるのか」とか「どのような生き方をしているのか」が問われている社会を生きてゆくことを忘れずに。仕事でも遊びでも喜びや豊かさを創造し、魅力ある自分を育んで行ってくれるように期待しているよ。健康で幸せな人生を祈念して。

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再見

◆身勝手な理由で、休業させていただきましたことをお詫び申し上げます。休業中は、悪天候や寒さ厳しき時節にも拘わらず、足を運んでいただくなど、温かきご支援を賜りました。心底より御礼を申し上げます。

◆お前さんも一段落しただろうから、そろそろ開店してくれという要望(実は、励ましでして、ありがたいことです)もありますので、ご声援に手を差し伸べてもらいながら、芽吹きに備える、草木の心境で歩みだすことにいたしました。変わらぬお付き合いの程、よろしくお願いいたします。

◆四十数年働いてきた身を鎮座させると、鈍重なる重みが全身を支配し、身も心も鉛のごとくなり、まして、戦場の疲れもあって、四季折々の花々を借景に、女神に甘え、しなだれかかった日々を過ごしたいと言うのが現在の正直な気持ちでございます。

◆ところが現実は、甘くはありません。身を横たえている暇などないのでございます。長時間過ごすことになる書斎を納得できる空間に整えることをはじめ、自立した日々に向けて雑用に積極的に取り組まなければなりません。市役所の支所だ、社会保険事務所だ、郵便局だ、銀行だと「やさしい社会人への第一歩」学習は、己の意思に関係なく展開されます。ご指導いただく先生は、いたわりと同情と軽蔑の眼で調教師のごとく振舞う山ノ神。おお、願わくば神よ、弁天様を差し向けては下さらんか。

◆そのような時間を過ごしておりましても、ふと、戦友がなつかしくなるのでございます。そろそろ、慰労会でも開かなくてはいけませんね。電話、電話と、Mさんの奥様に向かって話を切り出すと「実は入院しているのですよ」「えっ」思わず不安が過ぎり、絶句して言葉が出てこないのです。「どうしたのですか」「実は、2月1日に、急に心臓が苦しいと言い出し、救急車で・・」やっぱりそうだったんだ、爆弾を抱えていると言っておられたもの。

◆70歳を超えているMさんは、若い人に一番人気のあったおじいちゃん。その笑顔、やさしさ、茶目っ気、穏やかで優しい声。そして、艶っぽさ。周囲を和やかにしてくれる人でした。駅頭でチラシを配るのも一番上手。Mさんは、他の人の3倍、いや5倍ぐらい多く配ることができるのです。こういう位置に立って、このように渡す、それがコツですとにこやかに話される。ご一緒させていただくと、寒さを忘れさせてくれた人でした。

◆「お疲れになったのですね」そうだよね、結果が、疲れを増幅させたのだよね。私の責任なのです。急いで、病院に駆けつけ、久しぶりでお会いできたMさんは、弱弱しい笑顔で静かに発せられます。肉体的疲労もありましょうが精神的疲労が大きいのだと推察されました。「Mさん、すみませんでした。ともかく、ゆっくり養生して元気になってください」

◆お会いできなかった奥様から電話を頂きました。その声が、心が、想いが、とっても温かいのです。電話を終えて、思わず涙してしまいました。Mさんの家族が育んでいらっしゃる愛情が、そして他人に対する思いやりが心を打ちました。突然、打ち上げの時のMさんのスピーチが耳に響いてきたのです。

◆Mさん、早く元気なってください。また、一杯ご一緒させて下さい。そういえば、自遊人の皆さん方にお礼を申し上げる席を設けておりませんね。すみません。今しばらくお待ちいただきとうございます。斬新な(?)企画を検討しているところでございます。お待ちいただきとうございます。とりあえず、本当にありがとうございました。

◆いろいろな人間模様を映し出しながら季節は春に向かって歩んでおります。とりあえず、再開のご挨拶とさせていただきます。

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土曜日・日曜日

 ◆久しぶりの日曜出勤。休日になると、朝の駅前は対外試合に出かける中学生で一杯だ。改札口から通路、どこでも横一杯に並び、通行のじゃまになる。「おい、中学生。マナーも練習のうちやろう」これも練習のうちだろうと思うのは私だけなのだろうか。

 ◆土曜日の朝は、一週間の疲れを背負った、少し眠たげな通勤・通学者とお出かけする人が入り混じって、いつもより温かげにゆったりと楽しげな空気が流れる。他人との空間が程よく取れることも快適な構成要素になっている。
 で、一日中ざわめき、活気がある。行動に時間的・精神的に余裕があるのだろうか。夕方になっても、夜になってもざわめきが続いている。

 ◆日曜日の夕方は、けだるそうな人が目立つ。家路を急ぐのか、疲労困憊の様子で、足どりも重そう。さあ、明日は仕事だぞ、と言うより、やれやれ、休日も終わったなぁと言う感じなのだろう。車内の大半は仮眠中。酔っ払ってホームで寝ている人もちらほら。

 ◆そう言えば夕方、車内でビールや焼酎・日本酒を飲んでいる人をよく見かける。いままで我慢していたんだと言う具合においしそうに飲んでいる。家まで我慢できなくて飲むのか、家では飲めない事情があるのか、他人に飲む姿を見てもらうのが無上の喜びなのか、中毒なのか、いずれにしても周辺の人にとっては、臭くて迷惑。

 ◆携帯の着信音。あわてて開けると、テレビ電話で映像が送られてきたらしい。映像だけで会話をするのも難しいが、他人の迷惑にならないし、これはこれで良いのかもしれない。携帯に向かって手を振っていたら、対面の中年に「アホと違うか」と言うような目を向けられた。
 さてと、馬券もマイナスだし、藍ちゃんも今一、ディープも負けた。今週、良いことあるのかな。

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ばっぱ おしっこ

 ◆同僚だったKさんが「ALWAYS 三丁目の夕日」のDVDを貸してくれた。物語は昭和33年の東京を舞台に展開されている。ビックコミックオリジナルを愛読していたのでどのような映画になったのか興味を持っていた。
 Kさんは、DVDを手渡しながら「必ず泣きますよ」と言った。画面に、自分が育った時代がそのままセピア色に広がっているような気がした。二次大戦から朝鮮動乱へと、復興へ手探りの時代、貧しかったが、豊かさに向かって、地域社会に生命力がみなぎり、隣近所が助け合い、関わりあっていた時代でもある。

 ◆我が家は、30年ごろまで風呂は、銭湯かもらい風呂だったように思う。隣近所が自分の家と同じだった。祖父母をはじめ、子どもにも家の仕事があり、誰もが働いていた。豊かさに向かって挑んでゆくことや助け合って関わりあうことに嬉々とできる時代だったのだろう。
 娯楽は、芝居と映画とラジオだった。祖母は、芝居と映画が大好きだった。 

 ◆畑一面に菜の花が広がり、田んぼを蓮華が埋める。ゆったりと時間が流れる夕暮れどき、畦道を祖母に手を引かれ、映画館に向かう。町にたった一つ、芝居小屋と映画館を兼ねた木造の劇場があった。桝席に陣取り、芝居や映画を楽しんだ。私が「おしっこ」と言うと、祖母がさっと大き目の缶詰の空き缶を差し出す。それに済ます。

 ◆今、自由になる時間ができて映画のデパート「MOVIX」に出かける機会が増えた。「それでもボクはやってない」「武士の一文」「幸せのちから」「ドリームガールズ」とゆったりとした座席で鑑賞できる環境がなんとも快適である。が、シートに身をゆだねながら、あのころの、木造の、なんとなく湿気が匂っていた劇場を必ずなつかしむ自分がいる。田植え前の畦道を、菜の花や蓮華に囲まれ、「おぼろ月夜」を歌いながら、祖母と行く光景が浮かぶ。そして、「ばば、おしっこ」と語りかける自分がいる。

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どんな歌だったの

 前回、啄木の短歌は、どのような気持ちを歌っているのでしょうか、資料を手繰りながらお伝えしたいと思います。

 「さりげなく 言いし言葉は さりげなく 君も聴きつらむ それだけのこと」

 紅葉の山寺を駆け抜ける風が全身に心地よく、時が止まって欲しいほど静謐に流れ、「俺、待つのって案外、平気なんだな」「ふーん、私はどうでしょうか」とかの言葉を交わした季節は流れていった。で、この歌は、
「さりげなく貴方を思う、私の気持ちを伝えた言葉は、きっとあなたにもさりげなく聞こえたことでしょう。ただそれだけこことです」と言うような歌なのでしょうか。

 「かの時に 言いそびれたる 大切の 言葉は今も 胸にのこれど」

 焼き焦がれるような思いを寄せながら時を共有した二人にも、どうしても言葉にできなかった事がある。自分を知り、深く相手を理解しているからこそ、飲み込んだ言葉だったかもしれない。過ぎ去り時間をポルトガルギターの旋律が辿る。
 「あの時に、あなたに言いそびれた大切な言葉は、今も私の胸に残っているけれども」

 「山の子の 山を思うが ごとくにも かなしき時は 君を思へり」

 故郷を離れて幾年月が流れたろうか。何かにつけても忘れがたきは、故郷の山河であり、海であり、友と過ごした自然でありましょう。幾度となく、励ましてくれた故郷と言う舞台に寄り添って行きたい。そこには、愛しさと温かさがあり、安らぎがある。まるで、貴方と一緒なのです。しばしの時間、身を委ねて、さあ・・・。
「ちょうど山の子どもが山をなつかしく、恋しく慕うように、私は、悲しい時、貴方を懐かしく、恋しく思うのです」

最後の一句は各自のご解釈に委ねて。

 「時として 君を思えば 安かりし 心にはかに 騒ぐかなしさ」

 平凡な日々や幸せな時を重ねている、ある瞬間、ふいに、過ぎるものが襲う。人との出会いや、活字や映像との出会い、自然探訪やまちを散策中に蘇ってくる恋しさや愛しさがある。忘れていた人が自分の中で断ち切りがたい想いが一杯に広がって行く。
 「何かの拍子にときたま、あなたの事を思うと、穏やかであった私の心がにわかに胸騒がしくなってしまう、悲しさよ」

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うーん この歌は

 石川啄木 「一握の砂」 忘れがたき人々 から。

 さりげなく 言いし言葉は さりげなく 君も聴きつらむ それだけのこと

 かの時に 言いそびれたる 大切の 言葉は今も 胸にのこれど

 山の子の 山を思ふが ごとくにも かなしき時は 君を思へり

 時として 君を思えば 安かりし 心にわかに 騒ぐかなしさ

 わかれ来て 年を重ねて 年ごとに 恋しくなれる 君にしあるかな

江野ちゃん、高木さん、八木さん、和田さん、ご感想をお寄せくだされ。

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あんこー 椿は

 第31作「男はつらいよ 旅と女と寅次郎」を観た。マドンナは都はるみ。画面いっぱいに、31歳の都はるみが輝いていた。その後の彼女が、苦悩を抱えて引退したことを思えば、山田監督の洞察力に敬服するものである。
 今、私が惚れこんでいる歌手の一人が都はるみである。ただ、デビュー当時は嫌いだった。引退後、再び舞台に戻ってからの彼女が好きになった。理由は、歌に味わいを感じるようになったからであろうか。 

 リアス式の港を牡蠣の養殖棚が埋め尽くす。夏の間に、家族総出で牡蠣の殻に着いたしゅうり貝などを取り去る作業を繰り返す。船にドラム缶を積み、薪をくべ、熱湯をつくる。牡蠣棚に結んである養殖牡蠣のロープを海中から引き上げ、熱湯の中に浸ける。そして、また元に戻す。これを一日中、繰り返す。全て、人力でこなす過酷な労働である。

 熱湯で口をあけたしゅうり貝などを目指して魚が集まる。「あじ」「さば」「さより」など、群れて寄せてくる。ガラがけと称して、釣り針の返しのない針を3本合わせ、糸でくくって1本の針を造る。それを3本ほどつけたつり糸を竿に着装し、迎え撃つ。群れの中に落とし込んだら、思いっきり引き上げる。ばちばちとばね上がる魚群をバケツに落とし、忙しなく格闘する。何分もしないうちにバケツは一杯になってしまう。

 こっちが夢中で格闘している姿を家内の両親はにこやかに見つめている。一服しながら釣り糸をたらし、「ひらめ」「どんこ」「たこ」時には「ぼら」を楽しんでいる。
 チリ地震による津波が三陸を襲って防波堤の強化が始まろうとしていた頃、昭和30年代の終わりから40年代の初め、まだ、家内の実家は牡蠣の養殖を本業としていた。
 夏休みで帰郷すると毎日のように、仕事に出かける船に乗せてもらって牡蠣棚に向かった。この頃の夏が無性に懐かしく、最も楽しかったように思う。

 この、極上の楽園を毎日毎日、船が出港して行く。午後の決まった時間に、港の近くの沖合いを目指し、「イカ釣り船」が群れをなし、リアス式の港を後にする。音量一杯に歌謡曲を流し、出航する船団がつくる波と歌謡曲が牡蠣棚を襲う。牡蠣棚が大きく、そして小さく揺れる。
 ねじり鉢巻の漁師が、己を高ぶらせ、明朝までの漁を支えてくれる歌は毎日決まっていた。リアス式の湾一杯に広がる歌は、都はるみの「あんこ椿は恋の花」だった。

 

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のんびりしたい時

 ちょっと、のんびりした時間を過ごしたい時、身近なところから本を引っ張り出してながめる。一度、通過しているのだが、再会は色々だ。ながめながら、この人の作品はこれ一冊でいいやとか、違うのも読んでみようかとか思う。
 最近、めっきり読まなくなって、背表紙とにらめっこをしている。で、ちょっと時間があると興味を感じるところをながめる。そう、最近は、吉行淳之介「やわらかい話」、関川夏央「昭和が明るかった頃」、佐藤正午「きみは誤解している」、松山巌「くるーり くるくる」、清水辰夫「道草ばかりしてきた」、日高敏隆「春の数えかた」、荒川洋治「忘れられる過去」などの作品を行ったり来たりしている。

 上原隆さんの作品、新潮文庫の「雨の日と月曜日は」を引っ張り出してページをめくる。「サウダーデ」というタイトルのエッセィに「マリオネット」が登場する。赤坂の「ノヴェンバーイレブンス」と言う店で、大学時代の友人、女性と男性、そして上原さんが酒を酌み交わしながらマリオネットの演奏を堪能している。女性は学生時代から中心的存在で美しかったし、今も美しい。そして、彼女と彼女を囲む男たちの人生が語られる。降りかかる不幸に涙もするが、どこか、すがすがしい悲しさがあり、嫉妬したくなるような友情がある。

 「ポルトガルギターを弾く上で、最も重要とされるのは、ポルトガル語でサウダーデだといわれています。サウダーデとは、失って二度と取り戻すことのできないものや、去ったひとへの懐かしさとか、日常ふいに心をよぎる哀愁とか郷愁をいうんです」という文に出会いました。 
 この一文は、マリオネットのコンサート用チラシに表現した、ポルトガルギターに寄せた私の思いと一緒だったように思える。
 なんだか、この秋、マリネットに会いたくなってきた。

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難しきこと 多かりき

 ◆金太郎さんの落語会は、ご協力を頂きまして無事、開催できました。師匠には、粗末な会場の設定で不快な思いをされただろうと反省しきりでございます。お詫び申し上げます。お話は、一つ目が、「徂徠豆腐」。荻生徂徠が困窮を極めていた時、助けてあげた豆腐屋と立身出世を果たした徂徠が焼け出された豆腐屋に恩を返えすという人情話でございました。これには、思わず涙、涙でございました。
 二つ目のお話は、「ぜんざい公社」という、まあ、役所のだめさ加減をたたき売りしたような、痛快な創作落語でございました。金太郎さんの真骨頂が垣間見られたお話だったと思います。

 「落語なども催事に取り入れてくれ」と言う声に応えたかったのですが、相も変わらず、出欠の返事も届かない状況が続いています。疲労困憊の事務局。
 それはともかく、金太郎さんを応援して参りましょうよ。

 ◆「どうしても、図書館はボランティアを受け入れなければなりませんか」とWさんがおっしゃる。
  「いや、そんなことはありませんよ。例えば、現在の図書館職員集団として望まれるサービスに対応できるというというのなら、それはそれで良いのでしょうね。」
  「最近、行政が安上がりのサービスとして導入し、片手間でできる部分をボランティアと称してやらせているのが気になるのだが」
  「うん、確かにね。目立ちますよね。図書館に限らず留意しなければならないことは、施設としての使命はもちろんですが、専門領域といわれる職場は閉鎖的になりがちでしょう。閉鎖的な環境は、視野や思考を見失う恐れもありますよね。言葉を変えて表現しますと、図書館行政もまちづくりの担い手なのではないでしょうか」
 正直な話、わが図書館行政は、欠陥多しと認識した方が明日につながるのでは。

 自己評価や外部評価制度を具備した展開が望まれているのではありませんか。

 ◆「とんかつ小笹」の「にんにくとんかつ」は絶品。裏通りに新装開店して半年が過ぎる。移店前は、ランチサービスで800円のとんかつを提供していたが、それを止めたらしい。途端に客足が遠のいたという。高級な店という思惑が広がったらしい。何度足を運んでも満席で食べれなかったと言う人もいるが、私などはいつ行っても最初の客らしい。
 どうですか、一度、友人と1200円のにんにくとんかつを。そして、正直な感想を言ってやってください。

 ともかく、お疲れ様でした。次回は、10月、「野田の文化を訪ねて」でお会いしましょう。

 

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銚子紀行 雑感

 年に2度、仕事で銚子に行く。いつもは寒い時期ばかり伺っていたが、今年の初回は残暑厳しい初秋の訪問となった。片道3時間、鈍行の旅である。移動に時間がとられるので、断りたくなるぐらいである。ところが、仕事先に垣沼さんという方がいて、思いやりの心根がこっちに響いてくる。気配りにたまらない心地よさを感じる。加えて、100人ほどの研修生が待っていてくれる。だから、遠いなぁと思いながらも出かけることになる。施設は人だと改めて思う。
 
 途中、「椎柴」という無人駅が気になった。駅舎がベニヤで無造作に閉鎖され、廃墟そのものである。この駅舎を朝晩利用する人がいるはずだ。高校生が希望を胸に学びに向かう。夕暮れどき、一日の疲れを癒しに家路に向かう。必ず通るこの建物が、なぜ、こうも無残な姿なのか。励ましとか、お疲れ様という空間を演出できないのか。やすらぎのある、誇れる無人駅は地域で作れるのではないだろうかと気になって仕方がなかった。 

 垣沼さんの職場も、今年から委託管理され、企業が受託し、運営することになった。しかし、垣沼さんは継続して働くことになり、またお会えできると思うと私としてもうれしい。そんな気持ちと新しい運営の姿を見たくて、出かけてみた。

 玄関に「さあ、新学期」がんばりましょうと筆書きで、ふちを「お花がみ」で彩られた掲示が出ている。心打つ詩が掲示され、定期的に手書きの施設便りも発行されていた。変わったなと感じた。快と感じる空間が演出されている。
 理由は、学校長に小学校の校長を努めておられた堀井さんが就任されたのだ。堀井さんは書道を専門領域とされているらしい。堀井さんの学校経営の手腕とと垣沼さんの持ち味が相まって魅力ある施設づくりが展開されていくと確信し、帰路に就いた。伺う楽しみがふえた銚子紀行は心待ちの旅に変わって行きそうだ。

 仕事が終わって、参加者から駅まで送りましょうという申し出があったが、施設の方ですでに用意しており、丁重に辞退した。題材にした徳島県上勝町に足を運んだことがある人で、休憩時間にお話をした人だった。

 帰路、成田まで、帰宅する高校生と一緒だった。銚子駅で乗り込んだ普通電車で、濃茶のスカート姿の女子高生群団と隣り合わせになった。髪を染め、眉を擦り込んでいる。この地方ではお山の学校と呼ばれている高校の生徒らしい。通路を挟んで両側に陣取り、電車の轟音より大きな声で話し、笑う。うるさいが長い時間ではないだろうと思い、我慢することにした。案の定、この一団の最後の二人が小見川で降り、静寂が戻った。
 今度は、小見川から三人の女子高生が乗り、隣り合わせた。マンガ本を読み始める子、携帯を操作する子など、おとなしく、先ほどの集団と大違いの質素さである。三人は、佐原で降り、入れ替わりに、どおっと高校生が乗り込んできた。私の前に三人の黒い制服姿の女子生徒が立った。鞄類を床に置き、世界史の教科書を開き、話しが弾む。そのうち、真向かいの二人掛けの席が空き、二人が座り、一人が立った。成田で降りるまで、ローテーションで席を譲りあい、すがすがしいほどの笑顔で語らっていた。
 途中、何処の駅からか定かではないが高校生の男女が乗ってきた。女の子が私の左肩側の手すりにお尻を乗せ、話し始めた。佐原からの三人ぐみは、寄りかかることもせず、すくっと立って話しをしていたことが、とても意味のあることとして私の中に広がった。

 風のない初秋の空が夏の熱気を伴って青く広がり、刈り入れの済んだ田んぼに、稲わら焼きの煙が立ち上る。
 高校生よ、夢に向かって挑んで行け。たくさん人と出会い、学ぶこと、生きることを身につけて行け。好奇心や探求心を旺盛に、その眼(まなこ)をきっと見開いて行けよ。

 

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図書館の秋

  ◆K図書館の運営委員会でボランティアに活動機会を提供しようと言うことになり、職員の共通理解を図ることや今後の進め方について意見を求められた。
 まず、提供しようとする理念を伺いたいと思った。原案を拝見すると提供する領域は「配架」と「図書整備」となっている。要するに、返却された図書を書架に戻すことと、破れた本を修復することである。
 「私なら応募しないな」と言うのが正直な感想である。「再検討いただくほうが良いと思います」と言うことでお引取り頂いた。
 活動機会を提供することは施設の心臓の部分まで入ってもらって結構です、ぐらいの覚悟が必要である。専門職と言われる司書の専門性や社会性、施設の存在意義が問われてくると思う。

 ◆A市で新しい図書館を整備することになり、用地の選定に着手した。これまでは、行政が決定して推進するのが一般的であったが、初発から市民と創っていこうと言う方針で望むことになった。まず、行政内部で適切な候補地を拾い上げ、検討を加えた。これを原案に地域社会で意見を交換してもらい、候補地を絞り込んで行く。
 しかし、懇談会を4回開催したがまとまらなかった。それぞれ、住居に近い場所が良いと主張し、最終決定は行政でやってくれという結論で幕を閉じた。
 政治は刻々と変化する。いや、急激に変化する。時を失する取り戻せないこともあるのではないのか。不易と流行ではないが、時代の推移を展望した広い世界観が求められよう。開かれた行政、自立した市民。新しい時代のまちづくりに魅力を創造できたところだけが生き残れると言うのは過言だろうか。

 ◆M市の中央図書館は、整備計画が持ち上がってから数十年経過した。大学の隣接地に建設するという計画は、いつのまにか霧の彼方に消えてしまった。こうなると、交通の便が良くない地位を選んで整備するしかないのだろうか。
 小学校との複合施設としての整備は、保護者や地域社会が反対し、駅前の一等地は商店街が反対する。
 己だけの繁栄が何をもたらすのか、日本中のまちづくりを見てくれと言いたい。
 この図書館を心待ちに何十年も運動している人たちがいる。熱心に運動している人が老いてくる。
 「もう、図書館の充実した他のまちに転居した方が良いのでは」と話を向けると、
 「だって、だめです。私についてきてくれてる人がたくさんいるのですよ。逃げられませんよ」と笑みを湛えた目でたしなめられた。

 ◆20年以上も前になるが、県立中央図書館整備計画が持ち上がったことがある。どこに整備するのが良いかを問われた時、
 「駅ビルの中」と発言したら、「ふざけるな」と怒られた。
 老朽化し、壁面落下などの悩みを抱えた中央図書館は、いまだに健在である。

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言い過ぎたかな

 千葉県教育委員会が主催する「千葉県教育の戦略的なビジョンの策定に向けたタウンミーティング」は、これまでに我孫子市、君津市、鴨川市で開催されている。
 
 君津市でのタウンミーティングに講義依頼があった。話し合いの主題は「家庭教育と学社融合」であり、「家庭の教育力を高めるためにPTAとして何ができるか」と設定されていた。
 それを受けて「家庭教育や学校を核とした地域コミュニティづくり」を中心に話を進めることにした。話は、「親として合格点か」「社会性豊かな教職員や学校か」「21世紀のまちづくりの課題」「ボランティア活動のすすめ」などに絞り、約50分間、話をした。詳細は省くが強烈過ぎたらしい。「家庭での役割や地域社会の一員としての役割を果たしているか」とか「自分は欠陥の多い人間と認識しているか」など、遠慮会釈なくしゃべらせてもらった。

 終わって10分科会に別れ、話し合いがなされた。巡回し、話を伺ってみたが、構成人数が多いこともあり、話が盛り上がらない。参加者の多くが教師とPTAの幹部なのだろう。一般市民は参加してくれたのだろうか。指名制で単発の意見が続く。
 地域柄、コミュニティが息づいているのだろうか。貴方の心配はご無用ですと言うのなら良いのだが。
 いずれにしても、ビジョンに生かしていただければ幸いであろう。 

 第一回を担当した我孫子市の有志(女性軍)は、寸暇を惜しんで協議を重ね、多大の成果をあげたようである。グループ構成人数をできるだけ小さくし、参加者一人一人の意見を重んじ、主体的な参加を引き出したらしい。成功の秘訣は、人間ネットワークである。  個々の特徴と限界をわきまえた上での信頼関係を土台にした文化度の高い人間の関り合いが生み出せる成果とも言えよう。
 大きな成果は、市民と学校教育関係者の距離が縮まったことではないかと推測している。

 財政的基盤が弱体の自治体において、魅力あふれる公教育を創造することは緊急、必須の課題である。学校や教育行政が、サービスの主体である児童・生徒や保護者を旧態依然の経営で対応すると言う時代から能動的に関わりを模索し、地域社会が一体となって生涯学習活動に取り組む姿勢に脱皮し、あらゆる教育資源を有機的にネットワークし、コーディネートする、そのような役割を担う人材が地域のあらゆるところに存在するようなコミュニティの再構築によって子どもが育ち、大人が成長できる。 

 加えて、グロバリーゼーションの進展は、基礎基本を身につければ職に就ける時代を葬り去った。経済的な理由や不十分な学習力のまま、思うような学習機会を得られず、人生のスタート地点に立つなどと言うことがないような支援も必要であろう。
 考えてもみると、複合的な理由が山ほど出てきそうだが、地域において教育を共有し合う土俵作りが早急に望まれていることは確かである。住んでいいまち 訪ねていいまちづくりと魅力ある教師、魅力ある学校の存在はイコールだと思う。

 開かれた行政による、そして、社会性・社会力豊かな関係者によるビジョンが策定され、稼動することを期待したい。

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秋の足音が聞こえませんか

 職場の屋上に萩が1本。薄紅色の花をつけ、見頃になってまいりました。 そして、手賀沼沿いのひまわり畑が見ごろを迎えます。来週、お立ち寄り下さい。見事ですよ。前の担当者が関さんと言って、とっても温かな人で、「好きなのを採って良いですよ」と言ってくれるのですが、躊躇していると、さぁーと分け入って大きな束を抱えて出てこられる。そう、関さんってひまわりが似合う人でした。そうそう、確か有料でしたよ。1本いくらか、調べておきますが、でも、安心してお求めいただける値段でしたね。訪れる時間とお天気によってひまわりや景色が違って見えますのでお考えの上、お出かけを。

 金太郎さんの落語会(金太郎の会)が28日の夜、池袋の東京芸術劇場小ホール(JR池袋西口徒歩2分)で開催されます。楽校のメンバーで応援団を送ろうと言うことになり、募集しています。17時30分開場、18時開演。前売り券を用意しましたので事務局に一報下さい。金太郎さんの芸を堪能してまいりましょうか。

 児山先生がアメリカからお帰りになった様子です。12月の催事に向けて本格的が取り組みが始まりますので、ご支援・ご協力のほどをお願いいたします。
 ゴルフ三昧だったはずで、さらに腕をあげてお帰りになったはずです。教えを請わなければなりませんので、早速、申し込みをしてみました。が、いまだに返事がありません。どう、されたのでしょうか。

 1週間ほどになりますか、研修会の席で江野ちゃんに会いました。何か今一、元気がありませんでした。夏バテなのでしょうか、踊りすぎなのでしょうか。あの新松戸まつりで踊っていた雄姿はどこに行ったのでしょうか。元気な姿を見たいものです。

 9月9日、「とんかつ 小笹」で金太郎さんの落語会を開催します。第一部が落語。これだけの参加でも結構です。ご案内が行きますので、お誘いあわせの上、ご参加下さい。第二部が句会と懇談会。そして、関浦さんの95歳の誕生日会です。あわせて、小笹の新築移転祝いを兼ね、小笹を貸切って、めでたく展開したいと思います。

 いよいよ、ジュニア・ジャズのスタートです。実行委員会(部会)開催が呼びかけられると思いますので、よろしくお願いします。具体的になりましたら、詳細に報告いたします。

 

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早稲田実業の斉藤くん

 高校野球が好きだ。自分が携わっていたこともあって、時間があればテレビ観戦をしている。
 2週間ぐらい前になるのだろうか、なにげなくテレビに目を向けたら、涼しげな顔が映し出された。良いじゃないか、これが高校生だよ。爽やかな青年だよ。こんな子が、活躍したら日本中に爽やかな風が吹くぞと思った。
 朝の打ち合わせで紹介をした。
 「涼しげなピッチャー、早実の斉藤君を見てください」と、短めに言ってみた。

 余分な言葉を省いたのは、個々の直感を重んじようとする心配りからである。
 朝のさりげない挨拶から一日が始まるが、良い意味で、他人の変化が感じ取れるようになって欲しいと思う。目を相手に向けているが、何も見ていないのか見ようとしない日とが増えているように思う。誰かが口にしたことで初めて気づき、じゃ見ようかなとなる。
 学習プログラムの開発や市民サービスに関わってい行く時、求められる資質を考えると見ようとする姿勢が大事ではないだろうか。とまあ、自分に言っているわけでもあるが。
 進学校の授業と一緒で、領域以外のことは話す時間もないし、興味・関心もないというのに似ていないだろうか。

 その後、打ち合わせでまた「斉藤くんは、涼しげで良いね」って言ってみた。すこしうなずきの輪が広がった。少しは見てるんだなと思った。
 結局、早実は決勝戦まで勝ち残り、昨日、駒大苫小牧と15回を戦って引き分け、再試合が今日、行われる。
 どっちのチームもすばらしい。鍛えに鍛えられたチームである。見ごたえがあった。駒大の田中くんも完成度の高い、素晴らしいピッチャーである。一人で投げてきた斉藤君の方が少し分が悪いと言うのか、疲労の蓄積が心配される。

 でも、この両校が、この夏巻き起こした気流は、全国民に感動と夢や喜びを与えてくれた。青少年の懸命な姿を渾身を込めて応援しよう。
 斉藤くん、田中くん、今日は日本中が君たちを応援しています。そして、君たちこそが同世代、いや後に続く世代に与える感動が21世紀の日本をつくるといっても過言ではないと確信する。

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Sが亡くなった

 今日は飲みすぎたなぁと思った。二つ目の会合に参加できないほど出来上がってしまった。なにしろ天井が回る。
 やっとの思いでたどり着いた。疲れていたのだろう。自分としては珍しく酔っ払ってしまったらしい。内の人は酔っ払いが大嫌いである。が、今夜は妙にやさしい。
 「あのね、先ほど、Sさんの息子さんから電話があって、父が亡くなりましたと言うのよ」酔っ払いの頭は、Sを探して彷徨う。誰だっけSって。同級生にいたなぁ。
 「誰だっけSって」
 「年賀状を見て電話しているんだって。父の先生じゃないかと思って電話をしましたって」
 年賀状、父の先生、S。まさか、
 「えっ、じゃ野球部のSか」
 「一応、通夜と告別式を聞いておきましたので」とメモを渡された。

 Sは、まだ40台の後半に入ったばかりではないか。間違いじゃないのか。
 父親の郷里が岩手で自分と一緒だった。私が南で父親が青森に近い所だったと思う。お会いしても、恥ずかしげに、訥々と語られ、こちらに出てこられて苦労された様子が伺われた。最初は出稼ぎで来ていたらしいが、そのうちにこちらの生活に移したと言う。経済的に決して豊かじゃないが子どもにはそれなりの学問をさせておきたいと言う。同郷もあるが、この父親の生き方を好ましく思い、応援しなくてはと思った。
 私は担任として、また野球部の監督として3年間、Sと共に過ごした。Sは、小柄で、色白。まじめな、根気強い、協調性のある生徒だった。学業の方も上位の成績を修めていた。新設校の一期生として、野球部を選択、野球は決して上手くはないが3年間、こつこつと努力を重ね、「ライト」と言うレギュラー・ポジションを獲得した。私に何かを言う時も父親と同じように、恥ずかしげに話した。

 20代の前半に、きりっとした働き者らしい、きれいな嫁さんを連れて現れた。Sでも恋愛はできるんだ。俺の心配なんて無用だったのかと無性にうれしかったことを覚えている。
 そのうち、野球部のOB会に顔を出さなくなった。同級生からの話では、幼子を3人残して嫁さんが家を出たらしいと言うことだった。
 何年か後に直接,Sに聞く機会があった。「働いているうちに好きな人ができて・・・。戻ってきてくれるよう頼んだのですが・・・」
 それから、20年ぐらい経つのだろうか。休日もなく、体に鞭打って働いていることは知っていた。再婚もせず、いや、できずに、男で一つで子育てと両親の面倒を見ながらの生活を続けた。

 夜中にふと目が覚めて、悔しくて、悲しくて泣いた。Sのような奴こそが、長生きし、子どもらと一緒に、幸せな老後を過ごす権利があるだろうに。なぜ、奪ってしまうのか。
 通夜の晩、3人の子どもに会えた。長男、次男、長女。それぞれと手を握りながら
 「残念だけど、お父さんの分まで、力をあわせて、生きて行ってくれ」と言ったら、
 「父が一生懸命働いていた姿を忘れませんから」と、長身のSに似た風貌をした長男が泣きながら力強く握り返してくれた。 
 棺に収まった彼の顔は、いがぐり頭の高校生の時の顔だった。
 Sよ、安らかに眠ってください。

 俺がそっちに行ったら、Oも居る、Tも居る、そしてSも。また、みんなで野球をして楽しもうよ。仲間に入れてくれよな。
 

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帰省 その4 七夕まつり

 8月7日。この日のために半年を費やした地域住民の傑作,それが山車「七夕」である。春先から飾り作り作業は毎晩続けられる。今は、当番制のようだが、私が子どもの頃は毎晩携わったものである。
 いつか紹介したように、集落ごとに、異年齢の閉鎖的な遊び集団が大人の世話役の助言の下に七夕を創造して行く過程は、地域の教育力そのものであった。
 「おーい、明日は、やぐらと台車を固定する藤づるを採りに行くぞ」なんて言われた時はうれしさの頂点だった。山に入れる。引っくず(木材をのこぎりでひいた後の木屑)の山からカブトムシの幼虫を見つけ出す。成虫を捕まえる。おみやげ付けだもの、前の晩から眠れない。

 りんご泥棒のお話もしたが、この集団の遊びは、七夕作りを中心に四季を通して多彩に連動されていた。山、川、海、沼と自然を舞台にした遊びが豊かに展開された。冬は寒さに閉ざされて遊びにも支障があったのではと思われるかもしれませんが、他の季節とまったく変わらなかった。
 晩秋から初春にかけては、道が悪いこともありますが、寒さ対策であったのでしょう、長靴を常用するのが決まりのようなものでした。で、サッカーにスケートにそり、すべてこの長靴が主役でした。
 厳冬期、田んぼに水を張って、たっぺっこ(氷)をつくり、朝から晩まで、手づくりのアイスホッケーを楽しんだ事などは今でも鮮やかに蘇ってきます。

 この七夕まつりを通して子どもも大人も関わりあう。知り合う、認め合う、励ましあう、支え合うなどの時間は、引きこもりや不登校、いじめとは無縁の地域社会を作り出している。教育長さんが「T小学校では、不登校もいじめも一つもないのですよ」と話してくれた。
 まつり半纏に身を包んだ子どもと大人が「よーい、よい。よーい、よい」の掛け声を掛け合って出車を引く。山車の上で、青年が勢い良く太鼓をたたく。横笛のお囃子連中が出しの周りを同行する。夜は電飾が彩を添える。
 昔は2日間の行事だった。少子化で引っ張る人がいなくなったらしい。
 目の前の山車を世話役の同級生が忙しげに誘導し、移動してゆく。懐かしい思いで見物しているうちに、「よーい、よい。よーい、よい」の掛け声をあげて、電飾に飾られた山車を引いている小学生の自分が現れた。

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帰省 その3 港まつりと花火大会

 「今、帰ってきたぞ。明日は温泉でも行くか」と、郷里へ向かう途中で義姉に電話を入れた。
 「ばぁ、何と急だごど。それよりか、今晩、港まつりで花火大会だぞ」
 「あっそうが。ほんでぇあ、いがねばわがんねべちゃ。参加するがらな」
 いつもなら、帰省した日は我が家に泊り、翌日、家内を実家に送る行程をとるのだが、今回は変更。だって、O市の港まつりや花火大会などというものは見たことがなかったので急遽、参加を決めた。花火だから、早くても7時ぐらいに出発すれば良いのだろうと、おふくろさんが沸かしてくれた風呂で汗を流してと、感激の湯船にどぼーん。うー、底の方は水でねぃが。そこに、家内が飛んできて、
 「5時には出発するから、急いで来てくれって」
 「なんでよ。花火だべ、暗くなってからだべよ」
 「そんなことを言っても、すぐに来いって言ってるから上がって、準備しないと」

くそ、なんで花火が5時からなんだ。心の篭った冷水風呂から上がって、花火スタイルに着替え、急ぎ家内の実家に。
 「ただいま」
 「まあ、挨拶は後でいいから。これ持って」
 「なに、シートに敷物?。場所取りか」
 「そうそう。それに、まつりはもう始まっているのさ。踊りとが鹿踊りとか虎舞い、見事だから、それも見るのさ」
で、5時なんだ。聞けば、花火は8時かららしい。おいおい、3時間も何、踊りを見ているのかよ。7時間も運転してきて疲れた体はどうしてくれるだよ。

 「東北最大級の港まつり」と名づけた催事を見物しましたよ。疲労困憊の体に鞭打って。あらゆる団体や企業・商店・集落・学校などの方々による楽しく、工夫された盆踊り。見るより踊った方がはるかに楽しそう。その後に、伝統の郷土芸能の披露。そして、電飾を施した漁船の旋回。船上歌謡ショー。シートの上に車座になって飲む缶ビールと屋台で仕入れた焼き鳥の山。あっと言う間に8時がやってまいりました。もう、周囲はヒト・ひと・人で立錐の余地もありません。トイレなんて夢のまた夢。我慢するしかありません。40分間に5千発の花火が夜空を飾りました。小船で行き来しながら海上に投げ捨てて打ち上げる水中花火。最後を飾ったナイヤガラ。いや、特等席で見た花火は全身に快感を宿して終了。
 「生まれて初めてだよ、こんな近くで、首が痛くなるほど見上げて花火見たの」感動した家内の目頭もうるうる。
 正直、8時からだったら、来年も見たいなぁと思った次第です。

 で、7日は、わが郷土の七夕まつりでありました。次回は七夕まつりの話だ。

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帰省 その1 「同級会」

 帰省した。週刊ダイヤモンドによる、市民の平均所得ランキングで全国最下位グループに位置づけられた故郷に。同級生たちの人生と一緒で、自然環境も、商店街も、地域社会も刻々と変化してきている。
 小鮒を釣った小川も、アユを釣った河川も、蜆を採った沼も、夏を彩った海も色あせてしまい、まちを北面から見下ろすように鎮座する霊峰の奥深く、宅地開発が進み、山肌を林道が抉る。豊かな自然そのものが人を引き付ける資源だと言うまちづくりの理念を再構築することは夢物語なのだろうか。
 過疎化の傾向は止まらず、加えて大型店の進出による地元商店の不況は深刻の度合いを増し、同級生が経営していたスーパーも倒産し、知り合いがメイン・ストリートに開いていた雑貨屋は家屋と土地利用を模索していた。

 「あっちゃんが帰ってきたから同級会をするぞ」と言う急な連絡にもかかわらず、郷里に住む中学の同級生が集まり、お互いの健康を祝う。昨年も一昨年も、そうだった。四季折々に開けば良いじゃないかと言っても、どうも、課題があるらしい。きっかけが必要で、それぞれの生活に忙しいのかもしれない。働いている者もいれば、農作業やアユつりに精を出している者もいる。だから、自分の帰省は、集まるきっかけを提供していることになるのかもしれない。
 今年は13名が、同級生が経営している小料理屋に集まった。遅れてきたSは「皆んなにアユを食べさせたいと思ってさ」と不漁にもかかわらず、大型のアユをどっさりと届けてくれた。
 
 中学の卒業時、男子は大工や左官の親方に弟子入りし、北海道や東京へ、職人を目指す旅に出た。女子は、集団就職の東京組と地元商店街への就職組に分かれる。そして、残りの約三分の一が高校に進学した。
 ずっと地元で生活してきた者、一人前になってから地元に戻り生活してきた者、定年後を故郷でと戻ってきた者、歩んできた人生は多様だが、お互いが太く繋がっている。代々の家系から、現在の家族の様子。生活の状態や日々の苦楽をほぼ正確に把握して、労わりあい、愛しみ合い、支え合っている。ずっと離れていて、年に一度ぐらいしか顔を出さない自分には、同級生がうらやましく、この関係の中にどっぷりと浸かっていたいといつも思って歳を重ねてきた。

 今年の話題は、病気とお寺関係に集中した。歳なのである。真剣に考えなければならない歳なのでもある。55人いた同級生も、これまでに9人が亡くなっている。そして、遊び仲間だったEが肺がんに侵され、別れの旅に故郷を願望し、月末に帰郷するらしい事も知った。つい春先まで、「今度の東京での同窓会は・・・。出て来てよ」と元気な声で誘ってくれていた彼が。翌日、偶然、彼の弟に会う機会があって無念の思いは深まるばかりであった。一度会っておきたいのだが、機会を与えていただけるだろうか。

 雑貨屋の建物を葬儀場に再開発しようと言う案が浮上したらしい。ところが反対があって頓挫したという。誰が反対したかと言うと周辺の寺、お坊さんの総反対を食らったらしい。郷里ではまだまだ、葬式は寺でやるものである。異端は許されない。ところが同級生の一人が葬儀場の経営にも手を延ばしたいらしい。まあ、ごく近い時代にそう言う展開になると言う結論で話は閉められた。
 二次会は、カラオケ。久しぶりで同級生の歌を聞いた。うなるほど、上手いものである。あの頃の個性はそのまま継続されていた。
 飲みすぎた体を3日ほど引きずって、誕生日を迎えた。支えられてここまで来たなぁと思ったとき、中桐雅夫さんの言葉が頭を過ぎった。
 「心の優しいものが先に死ぬのはなぜか、おのれだけが生き残っているのはなぜか」

 

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ちょっと ご無沙汰

 29日は、お疲れさまでございました。お楽しみいただけましたでしょうか。私ですか、飲み過ぎであれから約1週間、調子が悪くて、参っています。料理の前に生ビールを数杯。その後、ワインを浴びるほど、2次会では焼酎「三岳」をがぶ飲み。振り返りますと、相手かまわずに絡んでいたのではと反省すべき事、あまりにも多く、情けなさに心底より懺悔し、静かなる日々を過ごして参りました。
 内ちゃんあたりは「調子が悪いなどと、先日の飲み会には参加しなかったくせに、何これは」とぼやいていただろうなと想像しますと体の芯に溜まった疲れが再び頭を持ち上げてくるのでございます。
 もう当分、飲むのは止すことにしました。とりあえず、先日の無礼をお許しくださいますようお願い申し上げます。

 しかし、あの席でもいろんな姿にお会いできてそれはそれは、楽しゅうございましたね。Oさん夫婦は、物まねがお上手で、私の真似などは絶品ではなかったでしょうか。思い出しては笑っております。あれで、お二人のワイン・タイムに格好の材料を提供しているかと思うと思わず苦笑い、まあ、それにしてもお上手でした。次回もよろしくお願いいたします。
 井出さんのレインステック・ダンスは、最高でしたね。心も体も、井出さんに引きずり込まれたような、そんな時間でした。鍛えられた肉体が、生きる姿勢や崇高な精神を伴って舞っている。空間を共有している一員として、至福のひと時をいただきました。

 2日後の月曜日、東京文化会館小ホールで、児玉洋介くんのテノール・コンサートがありました。東葛飾方面からも大勢の方が参加され、満員のお客で埋め尽くされました。ドイツのブレーメンを拠点に活躍されている洋介くんですが、毎年夏に帰国され、コンサートを開催しております。参加するたびに、成長されている姿に触れ、感動も一入です。参加された方々も、冬の旅に感涙し、トークには爆笑しておりました。
 対角線の方向から井出さんが駆け寄られ「皆さんのお姿が見えましたので、お礼に伺いました」と変わらぬ清楚で端正な姿で挨拶を頂きました。そう言えば、達筆な礼状も届いておりましたので、次回、皆様にご紹介させていただきます。

 このブログが「ちょっとご無沙汰」しましたのは、「息子」「遥かなる山の呼び声」「下町の太陽」「幸福の黄色いハンカチ」と山田洋次監督作品の放送が続いているからであります。
 まずは、高倉健ファンとして、監督に感謝しているわけです。任侠映画で築いた大スターは、山田監督によって、社会のアウトサイダーを匂わせながらも幅広い観衆に受け入れられる映画のスターとして成長できたと思います。
 刑務所から出所した彼が食堂でビールを飲む。両手でコップを抱え、一気に飲む。どんくさい武田鉄也と舌足らずの桃井かおりが絶妙演技で応える幸福の黄色いハンカチ。
 刑務所に送られてゆく列車にハナ肇と倍賞千恵子が乗り込んできて、帰ってくるのを待つと言う言葉に涙するラストシーン「遥かなる山の呼び声」。
 東京の息子たちを訪ねて雪深い我が家にたどり着き、暖を取る父親が抱く、賑やかだったころの家族団欒の幻想「息子」。
 人の生き方、幸せとはを高度成長時代の走りを下町を舞台に描いた「下町の太陽」。
 いずれも心打たれる名作である。感動し、泣きまくり、笑いまくり、そして、考えさせられた1週間でありました。
 さあ、本格的な夏到来。出かけましょうよ。大自然の中に身を置いて、命の洗濯にでも行きますか。私も1週間ほど田舎に帰ってまいりますのでまたまた、ブログは休ませていただきます。次回は、帰省の報告をさせていただきます。それでは、盛夏に向かいますのでくれぐれもご自愛のほどを。再見。

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秋がスタート

 ◆ある図書館で、館長と課長によって構成する「運営委員会」の席上、ボランティアに活動機会を提供することが採択された。ボランティア受け入れ施設の仲間入りを果たそうと言う試みである。で、一日でも早くスタートさせたいと職員に趣旨を話し、不満足ながら現段階で実施できそうな原案が出来あがったので、意見をいただけないかと訪ねてこられた。

 導入までに必要な施設内の研修や共通理解を図るための方策、受け入れのためのボランティア研修会の在り方とプログラム、システムなど、意見を交換してみた。
 原案提示を受けて一番気になるのが提供する活動領域である。そこには「配架図書整理」と「図書整備」の2部門が記されている。ようするに、返却された図書を書棚に戻す作業と傷んだ図書を修復する作業である。

 「この領域だけなの?私だったら、応募しないよ」と言ってみた。
 「司書に問い掛けたら、この領域しかないと言うのです」と、苦りきって口調で答えられる。
 「初発のところから、再検討した方が良いと思いますよ」
 ボランティアに活動機会を提供するのは、施設としての目的を有機的に達成するためにもあるが、現代社会の教育的課題解決への方策でもあり、個の生き方を支え、まちづくりや宇宙船「地球号」の資質向上をめざす、関り合いでもあろう。
 再検討された内容を楽しみにしたい。

 ◆A市で新しい図書館を設置することになったとしよう。設置場所は設置主体である行政が決める。これがこれまでの一般的な手法である。しかし、市民の思いが反映された利用率の高い、快適な図書館にするためには、初発の段階から開館後の運営まで協働の作業が望ましい。

 市民と行政がそれぞれの特徴と限界を理解した上での信頼感を土台にした協働が望まれる。そこで、用地選定の段階から連携した取り組みを試みた。協議の検討材料として、まず、行政側が、候補地を選び、評価表を作成し、提示した。
 それをもとに市民との懇談会を4回ほど開催した。結果、地域ごとに身近な候補地がいいという意見に終始し、行政で決めて欲しいという総括で終わったと言う。

 政治と言うのは刻々と変化する。そして、急激な変化を伴う場合がある。限られた予算で優先しなければならない、限られた事業に重点が置かれる。
 アメニティの具現化に向けた、自立した市民とは、行政の役割、議会の役割など、まちづくりの課題を考えさせられる取り組みである。

 ◆M市の中央図書館は、設置場所を見失って数十年が経過した。話題に上った候補地は、大学になってしまい、最早、交通の便のよくない所を選んで行くしかなさそうである。
 浦安市のように、東京駅から15分、若い人口構成が予測された時、求められるものは文教施設。そこでまちづくりの中核に、図書館を据えた。このこだわりがまちの活力を生み出してゆく。己だけの繁栄から地域全体の繁栄を模索したまちづくりこそが生き残れるのではないか。
 どうだい、市立図書館を駅ビルの中に据えては。

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孤高の画家 高島野十郎

 手元に「没後30年 高島野十郎展」の画文集が届けられた。わが僚友の井上さんが三鷹市美術ギャラリーで開催された個展の感動をお土産として回覧されたものである。いちまい一枚の絵が丹念に描かれている。自画像、風景画、静物画など、どれをとっても心に響いてくる不思議な静謐さがある。特に、「日曜日の夕方 巴里オーステルリッチ橋」「ベニスの港」「大宮の富士」「山の秋」「春の海」「境内の桜」「壷とりんご」「れんげ草」「流」「桃とすもも」「すいれんの池」「林径愁色」「菜の花」「萌え出づる森」「雨 法隆寺塔」「からすうり」「御苑の春」そして、描き続けたという「蝋燭」、さらに、最終的な到達点と言われる「月」に心を引かれて止まない。

 このような作品を創作した彼の85年の生涯において、作品が美術雑誌で特集が組まれたり、画壇や美術界でとくに話題になったことはなく、画家として知られることもなく生涯を終えたと言う。それが死後、福岡県文化会館の企画展「近代洋画と福岡県」に飾られた「すいれんの池」がきっかけで、昭和61年には、福岡県立美術館で回顧展、63年には目黒区美術館で回顧展が開催されるなど、人々の前に登場し、脚光を浴びるようになったと言う。 

 実は、野十郎は、晩年を柏で暮らしている。年譜から柏との関わりの部分を抜粋すると、昭和35(1960)年、9月16日、千葉県柏市増尾2026の空き地を訪れた彼は、この地に転居することを決め、10月31日、家屋が完成、改造工事を施し、11月27日、入居。その後、宅地開発などにより、増尾1380に転居。昭和50(1975)年6月、田中農協病院に入院、7月、野田市特別養護老人ホーム鶴寿園に入園。9月、急逝心不全により死去。市川市市川霊園に埋葬。と言う様に東葛飾は彼の集大成の舞台でもあった。

 画文集に寄せられた、画家 菊畑茂久馬さんの文章が野十郎の人生をリアルに再現させ、心打つ文章なので、本人にことわりもなく、前半の部分をご紹介させていただきます。

 『この「睡蓮」の絵は、高島野十郎がはるばる訪ねて来た姉とその娘に渡した最後の絵である。この時すでに野十郎は85歳になっていた。人里離れた隠悽の地、千葉県柏市増尾のアトリエに、娘に連れられて姉スエノが最後の別れに来た。その時、傍の画架に立てていたこの絵を取って、絵の裏に「昭和五拾年四月六日 高島野十郎」と書いて渡した。身内の者に渡した遺品の絵である。姉も88歳になっていた。年老いた2人の姉弟は、長い旅路の終りを前に何を語らったのであろうか。
 残された写真から推測すると、ほぼ6坪ほどの朽ち果てた茅葺きの小屋。農家の納屋だったのか、すでに壁土はところどころ崩れ落ち、トタンや板を張って風雨を凌いでいる。中は粗末な流しと七輪、隅にブロックの上にふとんを敷いたベットがあるだけだったという。一軒の人家も見えぬ山深い里の廃屋で、水は井戸を掘り、明かりはランプを頼りに、野十郎は80歳を越えても一人で自炊しながら絵を描いていた。真夜中の裏山のうなり、吹き荒れる風雨、しんしんと降り積もる雪。弧絶の世界に身を投じた野十郎の生の姿は想像を絶する。
 姉たちが帰ったひと月後、野十郎は歩くことも立つことも出来ぬほど衰弱して、近くの田中農協病院に入院した。再び帰って来た野十郎は、ほとんど床についたままであった。見かねた村人や役場の人たちが、老人ホームに入れようと連れ出しに行ったが、激しく抵抗して手におえず、あきらめて帰った。再び連れ出しに行った時も、野十郎は泣き叫びながら、小屋の柱にしがみついてなかなか離れず、指を一本一本離すようにして連れ出したという。昭和50年7月7日のことである。
 それから2ヶ月ほどたった昭和50年9月17日、画家高島野十郎は、故郷から遠く離れた千葉県野田市の老人ホーム鶴寿園で、静かに85年の孤高の生涯を閉じた。死の間際「自分は本当は、誰もいないところで野垂れ死にしたかった」と云って、わずかに涙を流したという。
 この死を、或る名も無き絵かきの老残極まりない最後と云うのは易し。だが私には虚飾にまみれた自分の生を打ち砕かれたような強烈な死に映る。』

 東葛飾に住む者として、この地を会場に、高島野十郎の画業や人生に敬意を表し、孤高の画家「高島野十郎展」を開催したいと思いませんか。

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この夏 

 ◇高校野球の地区大会を勝ち抜いた笑顔が画面一杯に映し出される一方、今日・明日中に熱戦の最終局面を迎えようとしている地区も多い。
 大分県代表を勝ち取った鶴崎工業高校は、9回2死1塁から逆転サヨナラで権利をもぎっとった。しかも、四球で同点、死球で逆転サヨナラである。そう言えば、3回戦では、強豪津久見高校を8・9回に8点差を逆転して勝利を収めたという。なんと言う勝負強さ、強運を持ち合わせたチームなのであろうか。全国大会での試合運びを注目したい。
 いずれにしても、試合に勝つには、屈強な精神力が求められるに違いない。

 ◇昭和50年代の前半だったと思う、わがチームは順調に勝ち進み、4回戦に進出。相手は、春の甲子園代表校「I高校」であった。5回まで0対0、善戦である。もしかして、勝てるかも。極度の緊張の中で、あっという間に前半戦が終了。5回の裏の投球を終えてベンチに戻ったピッチャーのSが「ここまでが精一杯です。これから打たれると思います」と語り「怖い」ともつぶやいた。
 結局、5点を献上し、敗退した。
 今、このときのメンバーの一人が母校の監督として指揮をとっている。

 ◇選手としては決して上手い技術は持ち合わせていなかったが、粘り強く、練習熱心であった彼は、教師として野球部の監督として後輩の指導にあったている。
 そう言えば、夏休みに入り、部活動の成果を問う大会や練習試合が盛んに行われている。孫もテニスの遠征費がばかにならない金額になるらしい。親もたいへんだが、将来に対する投資と考えれば良いのではないか。
 
 ◇上越教育大で、生きがいを高く持って生活している高齢者の方の青少年時代を調査したことがある。結果、生きがいを高く持っておられる方は、学業の達成経験が豊かな人より、学業以外の面での経験が豊かな人が多数を占めた。つまり、「部活動」や「地域社会参加」の豊かな体験をお持ちの方や、「家庭の手伝い」「挫折の経験」等の経験を経て齢を重ねられた方が生き生きと生を楽しんでいらっしゃるというのです。

 ◇そう言えば、我らが世代は、みんな遊び上手だった。貧しく、遊びの用具などは皆無だった。自然の中にどっぷりと浸かり、夜明けから日暮れまで、遊びほけっていた。
 遊びの中から学びの興味・関心が芽生えたり、学びの必要性を感じ取れたら、これほど幸せなこともないだろう。第一、遊びは多様な人と出会える絶好の機会でもある。
 定員割れを起こしている大学の一方で、医学部の志願者が10万人を数えるほど急増しているのだそうだ。教師も大量採用時代に突入した。
 なんか、心配になってくるのは私だけなのでしょうか。

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学校と地域社会 その1

 ◆安房郡和田町(現:南房総市)上三原小学校は平成7年、120年の歴史に終止符を打ち、廃校となった。和田町上三原地区は戸数約100で形成さており、この集落の賑わいは小学校の行事と連動し、学校そのものが賑わいの中心として存在してきた。その核となる小学校がなくなるとなった時、集落はそれに変わる存在を模索し、学校の跡地を活用した関わり施設の設置を求めていった。
 宿泊体験施設「くすの木」は、こうして生まれた集落の中核施設である。快適な空間として生まれ変わった「一学年」から「六学年」という6つの宿泊室と食堂。そして、「創作室」として小学校の歴史を伝える講堂をそのまま残して活用。歴代の卒業生が集えるような工夫が施され、これまでの存在と変わらぬ歴史を歩み出している。
 この施設の料理は、集落の女性軍が、泊まりは男性軍が担当して経営するという出発点の理念に変化が起こっているのかは不明だが、地域の思いが施設の活力や快適さを維持できる源であると言うことを忘れずに、過疎地域におけるまちづくりのリーダー的存在として発展していって欲しいと願う一人である。

 ◆ある学校で卒業式を3ヶ月後に控えた日、「卒業式は男女混合名簿で呼名したいのですが」と、一人の担任から問いかけがあった。「そりゃ良いですね。ぜひ、やってください」
 ひとクラスだけでも、いやそのほうが「気づき」としては良いのかも、と思った。ところが、ここから式当日までが長かった。
 学年会議を数回重ねても結論が得られず、ついに、生徒(8クラス)に賛否を問うことになった。その結果、混合名簿での呼名賛成票が多数を占め、学年の意思として職員会議に諮られた。
 他の学年主任は「そんなセクト主義は認めがたい。わが学年は卒業まで現状で」とか、式担当の総務部長までが「これまで通りでなぜいけないのか」等と反対意見が続出した。
 最終的には教育的意義が認識され、学年の意思が尊重された。
 混合名簿で呼名された327名の生徒が卒業していった後、大きな課題が残された。
 賛否を問うた時、家政科(40人)の女性徒が投じた反対票は7割を占めていたことである。子どもの前に立つ、大人の生き方が問われている。

 ◆荒川洋治さんの「忘れられる過去」で知ったのだが、結城信一の長編「蛍草」の一編「柿ノ木坂」は結城自身の青春期が描かれている「私小説」なのだそうだ。
 左足が小児麻痺の体を引きずり、感性の豊かな結城氏が社会に絶望し、閉じこもった生活を是とし、下界との交渉が杜絶えていることの方が今は望ましいと思い暮らしているとき、知人と話す父親の声が聞こえてくる。
 「あれも、あんな不自由な体で、ふびんでならなかったが、今となっては兵隊にとられることもないので、かえって幸せかもしれない」「息子に死なれたら、もうわたしなど、生きていられませんな」と言う声が。
 その夜、彼は珍しく疲れを覚えなかった。彼は家に帰ると、机の上に日記帳をひろげ、次の一行を書いた。
 「私はまた都落ちをし、再び田舎教師になることも拒まぬ、もし東京に職がないならば」と。
 ここには親が子を思い、子が親を思う人間として、普遍の愛情が存在する。望まれるコミュニティや家庭教育の再構築の根源に、こうした愛や想いの交差が存在し、生きることへの励ましを送受し合っている存在が不可欠である。

 コミュニティの活性化と学校の活性化は地下茎として強固に連動している。コミュニティで人は育ち、コミュニティは世界を造れる。学校と言う舞台は宇宙船「地球号」の命運を担う責任ある巨大な存在である。 

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感動をもらった2日間

 22日、土曜日。昨年7月、亡くなった教え子の一周忌。5月の中旬だっただろうか、奥さんから「一周忌の法要を行いますので出席願いたいのですが」と丁寧な電話をいただいた。12月の自遊人忘年会では「学校に戻って駅伝で優勝させたい」と夢を語っていた彼が急逝して、一年が経った。あまりにも急激に訪れた生命の流転に一喜一憂を繰り返した。死の前日だったろうか、全身を黄疸で覆われて横たわる姿に愕然とし、涙が止まらなかった。
 奥さんは、法要の席にアルバムと一枚の賞状を持ってこられ、私に見せてくれた。

 彼は新卒の私が教壇に立って、初めて担任をしたときの生徒である。五年生の彼は、目がくりっと大きくて、坊主頭に特徴がある、活発な子どもだった。
 私の指導は、域を脱していて、今なら許されないことばっかりやっていたように思う。いや、当時でも許されないことだったろうが、我がままを通してしまったように思う。
 「朝は7時までに登校しろ」「放課後は6時まで学校で過ごせ」「3000メートル泳げない人は赤フンで泳げ(男子)」「宿題は目いっぱい出す」など、教育熱心な保護者の怒りは相当なものだったと思う。このような担任の教育方針に今でも、我が子の資質向上を阻害した重要な要因に数えている親も存在するかもしれない。

 彼は、この朝夕のトレーニングで不動の地位を築き上げて行った。4年生の時、肺炎を患ったと言う彼が、日に日に強くなり、クラスの、いや、学校のトップランナーに成長して行った。中学・高校・大学と進学し、長距離走に取り組んだ基礎は、私と過ごした小学校の5・6年の時につくられたのだと思う。
 奥さんが持ってこられた賞状は、彼がクラスのマラソン大会で優勝したとき、私が作った手書きの賞状だった。アルバムは6年の夏休み、私の郷里に5人の仲間で遊びに来た時の写真だった。海水浴場の看板の前に並んだこの上ない笑顔。我が家の前で嬉々とした声が聞こえてきそうな5人のきらめき。

 大学生・高校生と小学5年生の長男坊主を残して旅立った彼。涙ながらにお礼の挨拶をする母親をそっと抱える姉妹と坊主。「がんばってな」と泣きはらした目を向けると、3人が「はい」と言って、ちょっと笑った。私に向けられた眼は、濡れてはいるが力強い、まちがいなく彼の目そのものだった。

 法要を済ませ、県民プラザ主催の「高校生ボランティア研修会」の参加者に講義をする役割があったので職場に戻った。
 毎年、学習対象に、手賀沼を中心としたボラ活動などを取り上げているプログラムを組み込み、私にも出番を作ってくれている。
 眼がこっちの心に光を打ち込んでくるような、そんな高校生を前に気を抜いた話はできるはずがない。終わったら、彼らは拍手をしてくれた。そして、質問を受けた。
 この子たちの人生に挑戦して行く機会を豊かに支える社会を創造しなくてはいけないだろう。しかし、今の日本はそんな社会構造を欠落させているのではないか。

 日曜日、新松戸まつりに江野ちゃんが鳴子踊りで雄姿を披露すると言うので見に行きました。隊の先頭に立って、颯爽と踊る江野ちゃん。頭のてっぺんからつま先まで美しいと言う以外の何者でもありません。ああして、全国を踊りまくっていると思うと偉いなぁと同時に幸せだなぁなんて感動。お姿をカメラに収めましたのでお届けします。 

 さて午後は、柏市民文化会館で、大西裕貴子さんが指導しているダンス・スタジオの発表会「ONE’S LIFE]があった。大西さんは,我孫子でスタジオを開いておられ、毎年、練習の成果を発表する機会を提供されてきたらしい。
 先日、大西さんを同行されて、関浦さんがお見えになった折、催事を覘いて見ますと約束をしていた。お会いした時の大西さんは、とてもダンスを踊る人には見えなかったが、前半の最後に指導者集団のリーダーとして踊られた姿を見て驚きました。
 大西さん、貴方に感動しましたが、ちびっ子には思わず涙し、拍手を送ってきました。ジャズ・ダンスは良い。幼少年から踊っていたら、自然と自己啓発につながって行く。表現力が、身体機能が、運動神経が格段に豊かになってゆくのではないか。いや、とても心躍る時間を持てました。大西さん、関浦さん、ありがとうございました。

 帰り、とんかつ「小笹」で「にんにくとんかつ」を味わい申した。これが絶品。どうぞ、柏にお出での節は、東口、ホテル・サンガーデン裏の「小笹」でとんかつを召し上がってみてください。
 9月9日の山遊亭金太郎さんの落語会も小笹で開催する予定で準備を進めております。
 いやいや、とっても忙しかったのですが、感動を頂いた2日間でした。

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南から北へ 北から南へ

 そうか、江野ちゃんの夏は踊りまくりの夏なんだ。良いね、「乱舞の旅」とでも申しましょうか、途中で恋でもしながら着流しで粋に踊って飲みまくる。エネルギシュな江野ちゃんに会った人は、たじたじになり、汗がピタッと止まって「すげぇ」とか言って深呼吸すのじゃないでしょうか。病気などせずに行ってらっしゃいませ。と言うことは29日は欠席なのかな。それは寂しいなぁ。

 一番上の孫娘から「今日の午後、部活が急に休みになったので、洋服を買いに連れて行って欲しい」と電話があったらしい。かみさん、これ以上がない喜びようで「と言うことで連れて行ってきますから」と満面に笑みを浮かべ語りかける。「そう、じゃ、奮発して買ってあげてよ」とは言うものの、「じゃ、家には来ないんじゃないか。だったら俺は会えないじゃないか」と腹の底で不満虫がつぶやいた。
 中学2年生でソフトテニスをやっている。上達したらしく、学校代表で県大会などに出場し活躍しているらしい。去年の暮れにやはり同じような電話があり、洋服を買い、デパートのレストランでハンバーグをご馳走したことがあった。その時は、小学生の弟もいっしょで、「こんなにおいしいのは初めてだ」って感激してもらって以来、会っていない。

 この孫娘は、わけがあって生まれてから5年間ほど、家内と2人で育てていたことがある。かわいくてかわいくて、実の子より可愛がる。目に入れても痛くないほど可愛い。こんな育て方をしたらこの子がだめになるから程よい突き放しも必要だと言うと拒否され、言い争いになるなど、夫婦の間に亀裂を生じることもしばしばあった。だから私らにとっては、今でも特別な想いを抱いている孫娘なのだ。

 夕方、「これから家によって、それから帰るって言うのよ。夕食はどうしようか」と家内から電話が入った。このやろう、やるよな、俺に気配りしてくれて。「爺にも会って行ったら」とか言ったのだろうな。「駅まで迎えに行くから、そっちを出る時に電話を入れてくれ」と言うが早いか顔に髭剃りをあてる。久しぶりだもの、素敵なじいさんになってあげなくてはいけないだろうと服装を整えて駅に向かう。

 結局、「みせん」に行った。カウンターでマスターの手さばきを食い入るように見つめ、たらふく食べて電車で帰った。
 久しぶりで会った孫娘は涙が出るほど澄んでいて、美しく成長していた。「じぃじぃ、いくつになったの」「じぃじぃ、髪の毛、短くしたの」「痩せたんじゃない」。久しぶりで会った俺をどう感じていたのだろうか。この子の成長と家内の気配りに感謝しながら飲む芋焼酎のロック。そうだよ、せめてこの孫娘が成人して一人前になるまで生きていなくちゃいけないだろう。

 それにしても男なんて不器用なものだ。こうして、黙って腹の中で幸せを感じ、去ってゆく姿に幸せで過ごせよとか、祈るぐらいが関の山。一人になって涙している。
 ああ、踊り明かす夏か。そんな夏も良いだろうな。誰、「心臓に ご用心」って意地悪言っているのは。まあ、近い将来ね、「じぃじぃ、飲みに行こうか」って誘ってもらえるかも知れないから魅力ある心身で応えられるようがんばっぺがね。
 さあ、江野ちゃん。暑さに気をつけて行ってらっしゃい。

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夏休み

 3連休が明けると待望の夏休みがやってくる。青少年でもないのに待望はないだろうとおっしゃる貴方、まあ、お聞きください。 

 私の勤め場所に、朝の9時から夜の9時まで開放している学習室がある。開館と同時に学習熱心な青少年が駆けつけ、長蛇の列ができる。自転車で、車で送られてやってくる。まず、机上に飲料水を置いて、それから一心不乱に取り組む。そのような姿勢を静かに応援しているのは私だけではないのだろう。
 しかし、どの時代でも青少年はこのように熱心に学習したものなのだろうか。青少年期、いや、今でも遊びほうけている私などには異様な光景に思えないこともないのですが。現在は、このように取り組まなければ置いてきぼりを食うのでしょうか。同情とともにやりきれない空しさのようなものを感じます。

 何故かって言えば、私の夏休みは楽しいことばっかりだったように思います。あの時、あの場面が総天然色で蘇って来ます。まず、舞台がとびっきり素晴らしかったのです。2kmにわたる遠浅の白砂の海岸。その後、海岸を取り囲むように松林と古川沼(潟湖)。海岸の西岸に流れ込む気仙川。そして見下ろす氷上山(875メートル)。
 「海に行こう」って誘い合って出かける。海岸の近くは果樹園。1個1円の青りんごを10個買う。それを沖に向かって投げる。それを泳いで取りに行く。10個食べ終わる頃、海の日暮れを告げる風が立つ。それを合図に家路に着く。その時季にはハマグリを、ほっきを、あわびを、あさりを採る。たまには沼で泳ぐ。しじみを採る。菱のみを採る。フナを釣る。うなぎを仕掛けたドウで獲る。時には、川で泳ぐ。アユを釣る。ハゼを釣る。白魚を網で獲る。
 がき大将を頭にした、閉鎖的な遊びの集団が生き生きと息づいていた。そして、振り返れば、この集団での営みで身につけたすべてが人生の根幹で脈打ってきていると言えよう。

 21世紀、経済的な大競争時代に求められる人間の資質は何か。ハードディスクを知識で一杯にした人間は必要としません。知識はほどほどで結構です。知識の根底に、豊かな感性が息づいていて欲しいのです。コミュニケーション能力、他人と関わる能力、地球と共生する生活観などなど。ある年齢の、その発達過程で、関わらなければ身につけられない体験があるのではないでしょうか。と、リーダーたちは異口同音におっしゃるのではないでしょうか。
 この夏休みこそ、非日常的な舞台に自分を立たせ、能動的に立ち振舞う絶好の機会なのではありませんか。生きることや学ぶことの根幹に出会える夏なのです。

 この夏休みは、青少年にだけ必要なのではありません。「影響ある他人」として、社会や地域のリーダーとして行動されている大人にはもっと必要なのではありませんか。
 自然の中に身を置いて佇む時間。会いたい人に積極的に会う時間。文人と共有する豊饒の時間。創作に没頭する新鮮な時間。家族で、友人と、あるいは愛しい人と旅するかけがえのない時間。
 大人にこそ夏休みは必要でしょう。自分のための、自分でしか創れない、自分だけの夏休みを創造して、さらに魅力ある自分を育んでいきませんか。

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急激な変化を伴って 夏に向かう時

 通さん、大丈夫ですか。コミュニティの教育力は、関浦さんや通さん、富樫さん、和田さんたちの様な人生の大先達に直に接することができ、その姿かたちや、生き様に感動や共感を覚え、己の魂に活を入れて生きようと気持ちを新たにできることではないでしょうか。
 「そんなことを言っても会っていると尊敬の眼差しさえも感じられんぞ」と思われているかもしれませんがそれは違います。お会いした場面では、すごく甘えているのですよ。生意気な若造がという機会がたくさんあったのでしょうね。
 お許し下さい。人生におけるかけがえのない出会いを頂いたと感謝しておりますし、憧れの面々なのです。70歳になったら、80歳になったら、大酒も飲みが間違って90まで生きられたら、このような姿かたちで、このような生き方で存在してみたいといつも思い、尊敬しておるのです。

 私には幼い頃から父がおりませんでした。寂しくて、悲しくて、つらくて、母以上に泣き虫でしたね。ですから、先達の面々は父でもあり、甘えられる存在なのです。
 通さん、痛風なんか吹き飛ばして、この29日はもちろん楽しく飲み、来年また旅に行きましょうね。とにかく、季節の変わり目、ご自愛下さいます様に祈念申し上げます。

 今日は、上野の国立社会教育実践研修所でボランティアコーデネーター研修会があり、一日、関わってまいりました。私の経験から申しますと、夢中になって取り組んでいるうちに自分が見えなくなってくるのですよ。他人だけが見えて、お前はどうなんだっていう問いかけを欠落させてしまうのですね。難しいことを問うているのではなく、「自立しているか」という問いかけです。自分を開くことに努めているかと問うと、この業務で求められる必須の要素は具体的にあげられるのですね。
 まあ、いろんな人の学習成果を学べましたので後日、披露できればと思います。

 幸いなことに楽校には開かれた人がたくさんいますよ。だから、機会あるごとに会いたいのですが、なかなか会わせてくれない人もいますね。会いたい人がたくさんいることが人間が輝いて生きられる要件の一つですものね。29日、一人でも多くの人とお会いしたいものです。
 それから、9月9日は満月です。この夜、名月を背景に、山遊亭金太郎師匠の落語会と句会を開催することにいたしました。誰ですか、落語を開催して欲しいと言っておきながら顔を見せない御仁は。いけませんぞ。
 さあ、この蒸し暑さや肌を刺す梅雨明けの太陽に負けぬよう、心身をやさしくいたわりながら、盛夏に向かいましょうか。再見。

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奥日光 湯元温泉

 いろは坂は小雨模様。2速で挑んだカーブで後輪がスリップ。後部車体が大きく振られ、180度回転。運転席を下り坂に向けた形で止まった。ガードレールのない、自然の草木で勾配のある路肩に沿って停車。凍りつくような恐怖感。後続の車もなく、大事故につながらなかったが、それでもしばらくは、恐々のハンドルさばき。ちょっとした油断があったのだと思う。必要以上にアクセルをふかし、一気に加速して登りつめようとか、大きくゆっくりと回りこんで行く、そんな運転から程遠いものだったのだろう。

 小雨に洗われた木々の緑は格別に美しい。竜頭の滝をちょっとのぞいて、光徳牧場に。ここは自然のままがいいに決まっているが、それにしても商売気がなさ過ぎるのではないか。施設全体が、洗濯したての綿シャツを身につけたような、そんな身なりはできないのだろうか。森と溶け合った、おしゃれな空間に出会いたいと思った。経営者たちも、訪問客が放つストレスに自分の感性が汚染され、純粋な笑顔すら忘却の彼方に退けた疲労感におかされているように感じられた。

 日光湯元ビジターセンターには、私の好きな「村上康成」さんの作品を展示販売しているコーナーがある。彼の「森へようこそ」というカレンダーは毎年、私のメーン・コーナーを飾る。絵葉書も大好きな一品である。
 このビジターセンターが年6回発行している「楓通信」は1部100円、年間購読料・送料込みで1000円だそうだ。野外活動が大好き人間にはたまらない情報がてんこ盛り。問い合わせは、電話0288-62-2321にどうぞ。

 ここのお湯は熱い。一度、日帰り入浴でどこか良い所はないかと尋ねると「温泉寺」だという。よし、言ってみようと勇んで出かけたが熱いのなんのって、こんなお湯には初めてであった。「うめてお入り下さい」とは書いておるが、なにせ湧出元のすぐ隣にある寺で、いくら水を注いでもすぐに熱くなる。ゆっくりなんか入浴できない。茹でたこのような真っ赤な全身をさらして誰もが、これが温泉だよなって妙に納得顔で休息する寺の一室。これも忘れられない旅のひとコマである。

 山全体が妙に寂れてきているような気配の日光。廃墟と化したホテルや土産店。東照宮を核とした世界遺産が、共通入場券を販売し、これだけを見たいのだがと言う客を排除するように大声で誘導する。何か間違っていないか。出会える遺産には深遠なる感動の声や畏敬の念が生ずるものではないのか。ここには、世俗と違わない価値観の堕落が忍び寄っているように感じる。
 小雨に打たれながら、引き込まれるような威容で佇む、歴史を見据えてきた大木たちが泣いているような気がした。

 「当分、日光はいいなぁ」と言う気持ちと、世紀を超えて人を引き付ける魅力を創造して欲しいと言う願いが入り混じったまま、帰路に着いた。あなたの日光はいかがでしたか、淑さん、高さん、八さん。

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家族旅行

 7月29日(土)に、「祭を彩るレインステックの舞いと飲・食を愛でるつどい」と題し、楽校創立2周年記念の集いを開催いたします。どうか、ご参加くださいますようにお願いいたします。詳細は、事務局よりご案内申し上げます。
 当日は、児山ご夫妻、清水先生、金太郎師匠をはじめ、これまでご出演いただいた皆様にもご出席いただきたく、ご案内を申し上げているところでございます。
 特に、これまでの催事にお顔を出していらしゃらない皆様には、お話をする機会も持てずに過ごしておりますので、万障お繰り合わせの上、ご出席を賜りたく、お願い申し上げます。

 さて、年に一度、家のかみさんの一族が集う旅行に参加してまいりました。と言っても、私が旅行代理店兼幹事長を務めておりますので、長兄と義母、家内と私が主催者のようなものでございます。
 そうは言いましても、家内は7人兄弟の4番目、4女でございます。年下ではございますが長男、次男が上座に、以下、長女から順番に陣取るまではいかなくても、厳然とした序列がございます。つまり、家内は下から2番目に位置し、幹事ですから、常に座席は出入り口に一番近い末席を定席としております。
 だからと言って、窮屈に凝り固まってしまうかとそんなことはありません。いたって自由な雰囲気の中でのびのびと時間は過ぎて行くのでございます。ですから、そんなに硬く考えずとも良いのですが、自然にそのような振る舞いが事を上手く運ぶ場合が結構あるような気がいたします。かく言う私は、一人っ子でございます。

 今年の訪問先は、福島県二本松、安達太良山の麓、岳温泉にいたしました。曇天の空模様でしたが、さすがに土曜日、山は大変な賑わいでございました。私どもが着いたのは午後1時ごろでしたが、山頂に向かうロープ・ウェー駅の駐車場は予想を超える車で埋まっておりました。しばらく観察しておりますと、登山客が多いことに気がつきました。まあ、とりあえず、雨具に身を固め、往復1500円の切符を手に頂上を目指すことにいたしました。
 終点から100mほど歩きますと見晴台に着きます。さすがに日本100名山に名を連ねる名峰。なだらかな山肌が連なる雄大な全容を見せてくれました。
 いや見渡せば、中高年の登山客でいっぱいでございます。ロープ・ウェーの終点から山頂まで、90分の道のりと表記されており、なだらかに連なる山容は、中高年を引き付けて止まないのではないでしょうか。

 この曇天とこの時間では、頂上を目指す事は無理でしょう。いずれ、登山に来ようということで、一路、今夜の宿「松渓苑」を目指すことにいたしました。
 私の調査によりますとこの宿は、庭園、温泉、料理、部屋など、総合評価しますと高得点を与えることができ、決定した次第です。ただ、義母は車いすを必要とするため、湯殿に向かう段差の存在は、代理店としてマイナス評価をいただくことになりましたが。
 続いて料理ですが、田舎の人は、上品に少量ずつ盛られた品数の多い料理は向かないようです。「食ったそらない」とか、味付けがいろいろで口に合わないとか、全ての責任は私に降りかかってくるのでございます。で、私が嫌な気になるかといいますと、全く気になりません。何故かと申しますと、個々の性格を掌握し、個に応じた喜ばせ方を身に付けておりますので、平然と受け流し、総合的に満足できる舞台に仕上げてゆくのでございます。

 故郷を離れて生活している4兄弟は、お盆とか正月、時間を見つけては帰郷するのでございます。そうしますと、故郷に住む義母と3兄弟は、連日、歓迎の宴を開くなど、賑やかで幸せな時間を演出してくれるのです。
 なんとも幸せな義母でして、一人っ子の母とは大違いではありませんか。子沢山の方が楽しみも倍増しますぞ。
 お盆も近いこの時期に家族旅行を開催するのは、出会いの間合いから言えば再考を要するのかもしれませんが、それぞれの仕事の関係上、この時期になったのだと思います。

 宴もそうですが、翌朝の別れまで、話は尽きないのでございます。兄弟仲がとても良いのでございます。それぞれの思いやりが伝わってくる、そんな兄弟と連れ合い達なのだと思いますね。
 ふと、思ったのですが、私が、なんとか生きてこれたのも、この人たちの愛情があったからという部分が大いにあったからではないかと。感謝している自分がおりました。年を重ねると過ぎ去ったわだかまりの時間も消え、成熟した時間の共有が生まれて来るような気がします。

 翌朝9時、別れを惜しみつつ、喜多方にラーメンを食べに行く次男夫婦、いわきに向かう次女夫婦、故郷に向かう大家族。そして我が家は、日光湯元を目指して旅立ったのであります。みなさん、健康で長生きしてくださいますように。
 旅の続きのお話は、聞きたくないでしょう。今日はこの辺で失礼いたします。

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あらためて マリオネット

 参加者が少なかったのです 
 知らなかったのです 彼らの存在を
 でも マリオネットとの空間を共有した途端

 心の襞を震わす 音楽に出会え
 会ったこともない 魂に出会えました

 私が過ごしてきた人生が
 旋律に乗って 蘇えり
 映像になって 迫ってきました

 愛しい 人が
 愛しい 風景が
 恋しい 人が
 恋しい 風景が

 忘れていた 時間が
 忘れていた 舞台が
 別れてきた 時間が
 別れてきた 舞台が

 ともに歩きたい 現在が
 側に置いておきたい 現在が
 ともに飛びたい 明日が
 ともに潜りたい 明日が

 誰もが持っている 家族を 
 誰もが持っている ふるさとを
 呼び起こして やみません

 と言う声とともに、私の手元に「Exotica Dramatica」と「Marionette Live in Samboa」の2枚のCDが届けられました。参加された方のほとんどがCDを求められたそうです。次回は、どのような舞台を用意してお迎えしましょうか。
 さてと、想いを心行くまで広げ、安らぎの空間を楽しむことにします。

 
 

 

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老いること あれこれ

 マリオネットの会場借用料を支払いに出かけようかと言う話をしているうちに空が一変。梅雨前線が北上し、関東地方に停滞するのでしょうか。いや、昨日の雷と豪雨には驚きました。よく、梅雨の末期に集中豪雨が発生しますが東葛飾地方で発生した場合、深刻な被害が起こらないように祈りましょうか。中小河川が流れ込む手賀沼などは、強大な水瓶に化してしまわないと良いのですが。過去に、どのような干拓や宅地化の手法が採られたのか、不安が過ぎのは私だけでしょうか。

  ところで、年を取ると自然なことなのでしょうが、動きが緩慢になり、反応が鈍くなってきますね。例えば、メールを送っても、瞬間的な反応は返ってきません。忘れた頃に、着信音が鳴って問いかけたことが思い出される。人に対する気持ちも静かに沈下するのでしょうかね。
 私も一年に一度ぐらい、それも夏、帰省します。母が老いてからは、正月も帰えるようにしていますが、寒さに順応できない軟弱な体になってしまったようで、億劫ですね。
 そう言えば、帰省した私が上京する朝、母と祖母が早朝から台所に立って食事の支度をしてくれたものでした。狭い家ですから、包丁の音がうるさくて、「寝ていられないじゃないか」とか文句を言っていたものです。しかし、二人が老いてくるにしたがって、起きる時間や包丁の音に変化が起こるのです。だんだん、侘しいというのか、悲しくなってくるのです。旅立ちの朝の食事場面を思い起こすたびに、「よいしょ」「どっこいしょ」と言う声が聞こえてくるのです。

 昨日、かって私のところで働いていた女性に久しぶりで会いました。うつむいて記録を整理している様子でしたが「元気ですか」と言って声をかけたのです。「元気にやっています」と笑みが帰ってきたのでひと安心。ですが、気になったことが一つ。美しいから目立つのかもしれませんが、唇の周辺に老いが忍び寄ってきた様子なのです。ですから、「ちゃんと恋をして、キスもして、ふくよかな唇を保たないと」と心で言ってました。これセクハラですよね。よけいなおせっかいをやかなくてもいいのに。

 文庫本を探していました。文春文庫、久世光彦著「飲食男女」。ありました、浅野書店の書棚にならんでおりました。5店ほど探しましたがやっとありました。どうしてこの本がっておしゃるのですか。老いたからなのでしょうかね。久世さんと過去を旅してみたくなったのですよ。腰巻と裏表紙の宣伝文曰く「食べることは色っぽい。味わうという言葉も、口に合わないと言う言い方も、考えてみれば男と女の味がする・・・。湯豆腐、苺ジャム、蕎麦、桃、とろろ芋、お汁粉、煮凝、ビスケット、無花果、おでん。食べもののある風景からたちのぼる、遠い日の女たちの記憶。ひたむきで、みだらで、どこか切ない19の掌編集」

 輝いて生きるためには、一つ、「目的を持って歩みましょう」、二つ、「目的達成のための目標を持ちましょう」、三つ、「会いたい人をたくさん持ちましょう」、四つ、「感度の良い肉体を保持しましょう」と常々、語っています。「特に男性は、異性に会いたい人が沢山存在するほうが幸せですぞ」って続け、「急に励み出すと相手方が怒り出す可能性が大ですから、そのような話があり、俺もそう思うので励むことにした」と伝え、ゆっくりとお励み下さいと続けます。関浦さん、通ちゃんをはじめ、諸先輩のご意見をお聞かせ下さいませ。

 末期の梅雨が老年期の地形や人体に降り注ぐ季節。お互い、心身の健康に努め、能動的な夏を迎えましょうか。
 

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皆様 お疲れ様でした

 まずはお礼を。お疲れ様でした。私も全てを終えて今帰ってきました。ごめんなさいね、楽校事業なのに欠席。そんなのないよって怒っている石原さん、本当に迷惑をおかけしました。でも、ワケは後で話しますね。とりあえず、マリオネット。感動がありましたでしょう。旋律が全身に染み入ってきて、これまでの人生をしのぶような、あの光景が、この場面が、そして過去と未来が交差する、身をゆだねてたまゆらの時間を共感されたのでしょうね。
 ですから、これをきっかけに、年に一度はマリオネットにも会いましょうよ。私たちの人生を豊かにしてくれる音楽に出会える機会を持つことは、望ましいことではないでしょうか。

 この音楽を奏でるお二人は、それぞれの人生を、生き様を、ロマンを奏でているのでしょうね。だから、心が引き込まれるような、共感が生まれるのではないでしょうか。二人の私生活なんて知りませんよ。しかし、出会って、いかがでしたか。このような青年、いや大人に、めったやたらに会えるものではないでしょう。是枝裕和もそうですが、このお二人も少年のような輝きがあるでしょう。底光りのする純粋な大人の輝きがあるのです。人生って素敵でしょうとか。こんなに、芸術に命を燃やして生きるっていかがですかとか。

 ある時、ふと、この魂にふれたいときがあるのですよね、人生って。で、本日、私が皆さんに迷惑かけて、午前と午後と夜、勤めてきたお座敷って何なのかって言うことですが、

 白樺文学館の理事長で日本オラクルの創始者、佐野力さんは、「どんなに優秀な学校を出てきても、会社の掃除のおばさんにすら挨拶もできないような者は、使い物になりません。会社をとるか、地域社会や家庭をとるかの二者択一を迫られたら、迷うことなく家庭や地域社会をとりなさい」と語っています。これが彼の経営哲学でもあります。要するに、地域社会の一員としての生き方や生活しているものとしても視線を具備した社会性や社会力こそが仕事の土台に不可欠の要素であると言うことではないでしょうか。これは、教員でも公務員でも一緒でしょう。

 留守にしましたのは、S県の社会教育に携わる方々の研修会で、21世紀、どのような役割が課せられており、どのような姿勢で業務を遂行していったら良いのかを考える機会としてお話を依頼されたからなのです。いったい、生涯学習社会の創造に向けて、あるいは、住んでいいまち 訪ねていいまちづくりに向けて、自分たちの役割やおかれている立場は、という課題に私なりの考えを示し、懇談して参りました。

 21世紀のまちづくりを考えた時、「景観が良い」とか「利便性が高い」「安全性が高い」「衛生的である」とかの外的条件に加えて、住んでいる人たちに「仲間意識」や「所属意識」「役割意識」を保持しているかという内的条件が求められます。つまり、まちづくりの根幹に、「知縁」が不可欠だと思うのです。人と人とが「知り合う」「認め合う」「学びあう」「支えあう」「助け合う」など、豊かな関わり合が地域の隅々にまで存在して欲しいのです。そして、この知縁こそは、生涯学習活動によって創造されるものだと思うのです。ですからね、社会教育主事など、社会教育に携わる人こそがそのような学習活動をプロデユースでき、まちづくりの中核としての役割を果たさなければならないのです。

 市民が主体性を持ってまちづくりを進めてゆく時、「協働」とか「ソーシャル・サポート活動」が座右の課題として存在し、あらゆる学習や活動をネットワークし、コーディネートする社会教育関係者の役割が重みを増して行くのは必然のことと推察いたします。
 どうか日々、新鮮な感性を磨きながら、創造的な仕事を遂行して欲しいと願っている一人なのです。という思いを伝えて来たかったので、留守にしてしまいました。
 それなら、お前でなくてもいいのじゃないのかっておっしゃるのですか。いや、余人を持って変えがたい「こだわりを持つ」から私なのでしょうね。
 でも、「マリオネット」を聞きたかったな。あっ、順くん、CDを買っておいてくれたんだ。ありがとう。感謝・感激。

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あじさいの歌 石原裕次郎

 雨降りには紫陽花が似合う。雨と同居する花の色合いに、思わず立ち止まってしまう。白にしても、青にしても、紫にしても、淡い色合いにしても、心に飛び込んできて感動してしまう。ひとつ一つに、吸い寄せられような深さと個性があるからなのだろうか。
 紫陽花寺を名乗るお寺は、たいへんな賑わいをみせているらしいが、この花は、一人で、あるいは愛しい人と、程よい湿度を持って、しっとりと出会うのが一番良い様な気がする。

 裕次郎は、アクション・スターというイメージが強いのでしょうが、実は多くの文芸作品に出演し、私にとっては、こちらの演技の方がはるかに印象深い。「乳母車」「陽のあたる坂道」「太陽の季節」「狂った果実」「幕末太陽伝」「太平洋ひとりぼっち」「若い人」「憎いあんちくしょう」などを鑑賞するたびに稀有な才能を再確認している。
 1960年(昭和35年)に公開された「あじさいの歌」も文芸作品路線の一本ですが、心に響く、同名の主題歌がとても良いのです。

 花のよそおい 美しく
 匂うそよ風 朝露あびて
 ぬれた瞳に 火と萌える
 心に秘めた あじさいの歌

 花の香りも かぐわしく
 かわすささやき かなでる調べ
 咲いたあじさい あでやかに
 よりそいうたう しあわせの歌

 花のさかりを 美しく
 燃える紫 ほんのり紅く
 愛のしるしを ちりばめて
 やさしくそよぐ あじさいの歌

梅雨があけて、真夏の日差しが降り注ぐ季節が到来すると紫陽花の恋は終わるのでしょうか。夏、山中で、艶やかに匂う紫陽花に出会うと、愛しい人に出会えたような幸せを感じることがある。
 ポルトガル・ギターの音色とあじさいの歌、極上の組合わせかもしれません。歌う?
 

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コラム ほたる

 ある機関紙にコラムを掲載することになった。やわらかな題材にして欲しいと言うので、先日、癒された「ほたる」にしようと思った。職場で、「よう、ほたるはさ、オスとメス、どっちが光るんだい」って問いかけてみた。圧倒的に「オス」と言う答えが多かった。「しかしさ、暗い中でどうやってメスを見つけるのさ」と問うと、「匂いを出すんじゃないですか」と言う。
 結局、図書館の資料やネットを活用し、総力を挙げて調べた結果がコラムになった。全員で書いたコラムである。

◆「いつ頃、伺ったらよろしいでしょうか」毎年訪ねている山里に、蛍を見に行こうと思った。「五月の中ごろから飛んでいますよ。いつでもどうぞ」と言うことで、早速、訪ねてみた。まず、源氏蛍が飛び交い、遅れて、平家蛍が舞うのだそうだ。手にとって見比べてみたが、源氏のほうが大型である。日によって飛び交う数に変化があるという。

◆成虫の寿命は短く、自然界では数日から2週間ぐらいなのだろうか、オスは一斉に飛んで光を点滅させメスを探す。メスは葉っぱの上で、オスを誘う光を放つ。オスはその光に導かれ、葉っぱの上で交尾する。

◆闇が深まるにつれて飛び交い、放たれる愛の交信は、生命の賛歌、生きることへの畏敬と死者への慈しみのように共鳴して広がる。
 そう言えば、人間社会で放たれる光は蛍とはずいぶん違うような気がした。両性が輝きを放ちながら大らかに飛び交う学習社会の創造を目指して、知縁の輪を広げる光を放とう。

とまあ、このような作品になりもうした。一つの問いかけが、豊かな知縁の一歩をつくる。

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地域に帰る団塊の世代を迎える

 団塊の世代をどのように迎えようかと、今、各自治体が頭を痛めているらしい。そう言えば私のまちでも昨年から「シニア世代 歓迎の集い」なる催事がスタートしたのです。ことの発端は、既成の活動団体が後ろを振り返ったら新しい加入者は途絶え、高齢者集団と化してしまったことにあるらしいのです。どうにかして、新人を獲得しなければ死活問題になると。そこで、上記の集いなるものを開催し、がばっと獲物を我が集団にと。そこで、既成団体のリーダーたちは集いのネーミングを考えたらしい。「凱旋のつどい」とか。えっ、本気で考えたの?

 「団塊の世代の方々の知識や技術などを地域社会は待っています。どうか、思う存分発揮してください。わがまちにはこのように多種多様な市民活動があります」というような催事が各地で企画されまていますね。
 しかし、お待ちくだされ。退職後、すぐに活動に入れる方はどのぐらいの割合で存在するのでしょうか。家庭と会社の往復に明け暮れざるを得なかった方がふと一息ついて考える、「家族としての自分のあり方とは」「地域と言うものを少しも知らない」、「地域社会の一員としてのルールも十分でない」「新しい生き方を探ろう」と言う方のほうが多いのではないでしょうか。勇気を奮って催事をのぞいても、「行ってみたら、自分など入る余地がない様だった」とか、豊かな感性を喪失してしまった権現様が立ちはだかってござる。

 ですから、第二の人生へのゆったりとした移行期間を用意してあげてはいかがでしょうか。裃を脱いで、家庭の中で自立する努力を促すとともに、「地域を知る」「地域をつくる」「自分を活かす」「知縁を広げる」など多様な学習機会と体験機会をまちのあらゆる機能を有機的にネットワークさせて構築し、支援する。むろん、経済的理由で仕事が必要という方への対応策も緊急の課題ですから、複線型の舞台を提供する必要がありますね。主たる生活の舞台を地域へとシフトされる方が、「ちょっとのぞいてみようかな」とか「新たにグループを作って取り組んでみようか」と言う気持ちを起こさせる舞台を豊かに創造して行きたいものですね。迎える側にも、今まで以上に柔らかさや思い遣りが求められますね。もっと具体的な方策を言えよですか。今はないしょですね。やっとの思いで結論にたどり着けそうなのです。ですから、後で。

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第3回 えだまめ旬宴会に参加して

 第3回 えだまめ旬宴会が去る25日(日)、午後2時から野田市の宏文苑日本庭園において、野田商工会議所まちづくり協議会の主催で開催されました。参加費3000円、募集人員300名(チケット予約制)。3部構成で、1部が「えだ豆記念日」制定セレモニーと称して、「えだまめサンバ」「サルサ・えだ豆賛歌」というソング発表など、2部が、「めしあがれ」と称して、穫れたて、茹でたての「えだまめ」タップリどうぞと「枝豆づくしお弁当」、3部がお楽しみ抽選会という構成でした。

 今にもひと雨きそうな空模様でしたが、なんとか持ちました。頂いた資料が「旬宴会」のちらし、キリンビールの工場案内パンフ(ビールと枝豆の相性抜群という内容)、ソングの歌詞カードと「枝豆づくし御弁当」でした。驚いたのは、この御弁当です。おつくりになったのは「割烹 紫乃」さん。それでは、献立を紹介しましょう。
 口取り  有頭海老の枝豆芋寿司
       枝豆入りのし鳥もろみ味
       サーモンずんだ焼
       枝豆肉巻
       枝豆の伊達巻
       笹巻枝豆の水羊羹
       枝豆氷室梅ゼリー
       枝豆チーズ
       枝豆こんにゃく、辛し酢味噌
       枝豆金団

 煮物   枝豆の飛龍頭
       枝豆とひじきの煎り煮

 揚物   枝豆のクリームコロッケ
       枝豆ソース、サラダ菜

 食事   枝豆おこわ

いかがですか。おどろきました。全ての素材が枝豆で、これがおいしいのです。二段重ねで、、いや、ビールを飲んで、枝豆なんか口にしていたら、食べきれません。まず、この弁当を召し上がることをお勧めします。もちろん、来年、参加される御仁のために申しているのですが。
 まちづくりの仕掛けが良いじゃないですか。特産品を表舞台に立てて、知縁の輪が広がるじゃないですか。たぶん、近い将来、このイベントはもっと広い連携を生み出して大イベントに発展しそうな気がしますね。ただ、この弁当を考えるとこの規模がほど良いのかもしれませんが。主催者の遊び心が感じられるイベントでした。

 イベントと言えば、皆様のおかげで、楽校も創立2周年を迎えようとしています。そこで、これまでの歩みを振り返り、今後を展望する集いを持つことにいたしました。開催日は7月29日(土)、午後6時から、レストラン カプリ(柏検診クリニック 5階)で、「祭を彩る レインステックの舞いと飲食を愛でるつどい」と題して展開したいと思います。出演はレインステック奏者の井出智子さん。ゲストは、これまでご指導いただいた皆さんにおいでいただきたく、お声をかけてみたいと思っています。日程に入れておいてくださいますように。

 それから、最近、話題になりましたのは、「6市探訪」企画、つまり、文化の香り豊かなるところを訪問し、知縁を広げようという楽習の開催です。企画は、それぞれのまちの会員にお任せしましょうか。暑さを避けて、秋口からスタートすることでいかがでしょうか。
 ジュニア・ジャズ・クラブの立ち上げと言い、一人一役をお願いしないと空念仏になってしまいそうですね。詳細な提案は後日にいたします。

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週刊 ダイタモンド 6月24日号

「特集 金持ちはどこにいるの? ニッポン全都市 格差ランキング」 をごらんになりましたか。全国全802都市の所得ランキングが発表されています。まず、東葛飾を中心に千葉県を全国ランキングの高いほうから紹介しましょう。
 ちなみに、課税対象所得額とは、年収から必要経費を引いた金額です。

 順位  市区名  納税義務者   5年間伸び率   10年間伸び率
            一人当り課税    (%)          (%)
            対象所得額
             (千円)
 12   浦安市    4704     ▲ 0.7       ▲ 2.2
 28   印西市    4243     ▲ 7.9       ▲ 6.3
 37   白井市    4159     ▲ 6.8       ▲10.4
 42   佐倉市    4133     ▲ 8.9       ▲11.2
 53  我孫子市    4056     ▲ 8.7       ▲13.3
 55   柏  市    4042     ▲ 7.3       ▲10.4
 61   市川市    4003     ▲ 4.6       ▲ 7.3
 62   流山市    4000     ▲ 9.4       ▲19.7
 72   千葉市    3923     ▲ 6.3       ▲ 9.3
 77   松戸市    3876     ▲ 6.8       ▲ 9.1
 81   船橋市    3860     ▲ 6.7       ▲11.2
148  鎌ヶ谷市    3624     ▲ 9.2       ▲12.4
194   野田市    3518     ▲ 8.6       ▲14.6 

都道府県別で千葉県は4位、3781千円、伸び率▲6.3の▲9.0でした。ちなみに、私の故郷は、2551千円で795位でした。言葉がみつかりません。

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豊かな出会いの機会に

 いよいよ、「マリオネット」のコンサートが近づいてきました。
 7月1日、12時30分開場、13時開演、(終演は15時を予定)
 会場:麗澤大学 キャンパスプラザ (駐車場の心配はありません。お車でどうぞ)
 入場料:会員 2000円 一般 3000円(催事のチラシ持参の方は会員料金です)

 当日150席を用意しております。お誘いあわせの上、ご参加いただきたく、お願い致します。ところで、当日のスタッフを必要としております。作業としましては、
 案内(会場入り口、会場内など)
 駐車場(校門から駐車場、駐車場内)
 搬入・搬出(機材関係の。朝9時に搬入。3時過ぎに搬出予定)
 CD販売
 会場設営(机・椅子・ドリンクコーナーなど)
 接待
というような部門が挙げられます。
 参加者が主催者という運営を創出して行きたいと考えていますので賛同いただける方は、お手をあげてください。事務局(小野さん)までご一報下さい。

 昨日、21日は高知市で公演とのことでした。このマネージャーの海井さんがやさしいのです。儲かっていますか、ぼちぼちでんな、てな感じで、のんびりしておられるのです。今回、参加されたら、マリオネットの演奏を再びと思われると確信します。ですから毎年、東京方面に公演にお出でになる時、自遊人のところにも寄っていただいて、鑑賞したいとおもいませんか。実は、二人のしゃべりも魅力にあふれているのです。
 あなたのお力でマリオネットを今以上の大舞台に押し上げていただけないでしょうか。

 出会いって言えば、山遊亭金太郎さん。名月を天空に、秋風に揺らぐススキの穂が舞台、彼の人情話でも伺いながら、銘酒で一杯。山形出身の彼を応援してあげましょうね。桂小南の名跡を継げるよう、熱きご声援をお願いします。

 ジュニア・ジャズ・クラブの誕生に向けて、練習会場の確保に目途が立ちました。場所ですか。発表は、もう少しお待ち下さいね。詳細を詰めてから発表します。この夏、極力努力をしまして、秋口にかけて立ち上げて行きますのでご協力をお願いします。

 蛍観賞の記念写真は届きましたか。届いたよと言う連絡は、八ちゃんだけ。そういうものは、早い方がいいね。気持ちが、すーと生きているって言う感じでね。
 では、金子光晴詩集 若葉の歌より「しあわせの弁」

 なんのゆきちがひか 僕はまだ かうして生きている
 兄弟四人は、みんな死んでしまったのに。
 不摂生もし、ずいぶんからだもむりしたのに、
 神にも、仏にもそっぽをむいて、善根をつんだおぼえがないのに。

 金まうけも下手だし、そのほかになにかのとり柄があるわけでもなく
 人を愛しもせず 人からも愛されず それが長年のなれっこで淋しいともおもはず
 生きてゐねばならぬことのやうに 七十年も生きてきた僕。

 どんな風のふき廻しかそんな僕に、親切にも協会から寝びえをしないやうにといって、
 夏の毛布をおくられたうへ、墓場の世話までやいてくれて
 渋面つくった、いやな爺いも、この期に及んで勝手ちがひもいいところだ。

 まだそのうへにひとり息子に花嫁がきて
 これはまた 棚から牡丹餅の
 世のしあわせをひとりじめして さづかりものの孫娘がうまれて
 この皺づらをしたって抱かれたがる。
 いまだに僕は 信じられない。よその誰かのしあわせを、
 そっと失敬しているやうで、
 そはそはとおちつかない。

当家の2歳の孫君は、「マン」を卒業し、「ウルトラマン」と言えるようになり、敬礼して「了解」、親指を突き上げて「OK」と澄まし顔で動き回る。今夜も私は「バルタン星人」。

 さあ、明日の朝は、「奇跡の勝利 日本3対0でブラジルを撃破」なんて活字が躍りますように。早起きして応援しましょう。じゃ、明日。

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猛暑の予感が

  梅雨の合間でこの暑さ。温暖化と異常気象がますますクローズアップされてきていますが、深刻な問題ですね。猛暑、旱魃、集中豪雨、冷害など、今年の夏も不安が一杯、安心していられませんね。 

 ワールドカップでの日本、本来の力が出せずにグランドを去りそうですね。ほどほどに応援しているつもりでも、気が入っていたのでしょうか、疲れました。決定的なピンチを凌いで女神が微笑むかと期待が高まったのですが、決定的なチャンスをものにできませんでしたね。これが現在の実力なのでしょうかね。韓国は決勝リーグに進めそうですね。やっぱり、勝負に挑むものの魂を感じることができませんね。雰囲気に負けていますね。たとえば、これはサッカーという形を取る、国力をぶつけ合う戦争なのだと言う、そのような魂が求められるのかもしれませんね。まあ、あと一戦、気を送り、応援しましょう。

 マリオネットのコンサートが近づいてきました。詳細は事務局よりご案内があると思いますのでよろしくお願いします。一人でも多くの方においでいただきたいと思いますので、ご近所やお友達にお声をかけてくださいますように。必ず満足いただける出会いになります。このブログをめくっていただくとマリオネットについても紹介しておりますので参考にご覧下さい。

 今日(19日)の朝日新聞の夕刊によりますと、この22日(木)、午前8時5分からNHKラジオ第一で「伝説を走り続ける歌声~石原裕次郎レコードデビュー50年~」が放送されるそうです。未発表の貴重なマスターテープが発見され、スタジオでのやり取りや録音した歌が入っているのだそうです。忘れずに聞いてみようと思っています。お好きな方はどうぞ。

 言葉って大事ですね。表現するって大切なんですね。分かっていただきたいことを、どのような言葉で伝えるか、人によって様々です。会議などの場合は、できれば、客観的な事実を選別して列挙し、相手が判断できるような資料の提供に心がけ、自分の感情を極力抑えて表現すると言うことは大事なことだと思います。

 疲れた心身にお薬を。「金子光晴 詩集 若葉のうた」から「若葉の旅」

 若葉が、ママのふるさとの秋田へゆくとい
う。わずか十日か、十五日なのだが、
 わずか十日か、十五日なのだが、そのあい
だ、この家がどれほど痩せることか。

 若葉についてゆけないおもちゃたちも、ど
んなにさびしいおもいか。
 山牛蒡が伸び、油蝉がなき、太陽も、乳母
車も、しょざいないだろう。

 旅とは、旅立つものより、送るものの身
になおさら
 たえがたいものという。だが、まだ出立は
二、三日あとのこと。

 じじがかえると、もう若葉はねているとい
う。蚊帳越しにのぞく
 大輪の夕顔の花のようにうかぶ寝顔。買っ
てきた靴をそっと、その枕もとにおく。

いかがでしょうか。金子のじいさん、なかなかですね。うちの「2歳のマン」も、何か頼むと「りょうかい」と敬礼をするようになりました。質問も多くなっていますよ。後日、報告しましょう。それでは、蒸し暑さに負けぬ日々をお過ごし下さいますように。

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ほうほう ほたる来い

 梅雨の最中、17日は束の間の曇天、夕刻より「蛍の夕べ」に行ってまいりましたぞ。いや、忙しいのなんのって、朝から出発まで一息つけたという時間がありませんでした。でもね、楽しみが後に控えているから動けるのでありまして、そうでなければ身も心も息切れし、能動的にはなれませんよ。
 誰の行いが良いのか知りませんが、晴れたのです。豪雨の翌日、明日もまた雨という際どい空模様の季節の中、同行の士をはじめ、蛍に関わる万物に感謝しましたね。

 結局、窮屈なれども一台の車に7名が乗り込み、わいわいがやがやと参ろうということになりました。車はわが社の「ノア」。狭くて、能力も自慢できるほどではありませんが、良いじゃないの、楽しい旅ができればと我慢していただきました。なにせ同乗するのは普段から、やれベンツだ、それBMBだ、ジャガーだと高級車をアッシー君のように利用しているマダムばっかりですから、気遣いと言ったらありません。身も凍るような緊張感が走ります。

 で、北小金をスタートに途中、江戸川台で合流していただき、常磐道を一路「蛍の里」に向ったのでございます。車中の音楽はいつもどおり裕次郎。しかしこれは、若い人に気遣いが足りなかったかなと思っても、もう遅うございました。出発までが多忙すぎたのです。お許しを。で、2・3・2という隊形を組んだわけですが、中列の3人掛けの座席では日本と北朝鮮のような冷え冷えした空気が澱んでいるわけです。一応、前を見て運転はしていますが、後ろも気になりますよね。運転手というのは万事に心配りをするものなのです。嘘つけですって。まあ、ほんの少しですけどね。

 3列目は心配ないのです。日ごろから豊かな自己表現と実践活動を行っている女性群ですからね。きっと、内心思ったのではないでしょうか、「あと10年もすると私たちもこうなるのかしら」って批判的にね。いや、伺っていませんからはっきりは分かりません。あくまでも私の直感ですから、「どこか浮世離れした、派手なお姉さま」ってね。で、茨城に入ったら一人が切り出したんです。「どうして黙っているのか」って。「別に黙っているわけじゃないわよ」「しばらく話をしていないような気がするの」・・・「いつの高尚な・・」「またそんなに気を持たせて」「どこの男なの」「哲学を専攻したらしいのよ」という具合に、少し雪解けが始まったのです。

 この中ほど淑女連は幼馴染で仲が良いのです。根っから対立しているのではなく、人生、さまざまに忙しくなり、直接的な交流が断続的になると誤解や不安が襲うではありませんか。私は3人とも好きですから、なんとなく薄っすらと、心のより所が分かるのですが。まあ、だんだんと良い関係が広がってまいりまして、それでは早めの夕食をと予約しておりました「小野越」というそばやに入りました。ほどほどに結構なお蕎麦屋さんでして、満足感が広がったわけでございます。「蛍の里」はもう17Kmほど行った所ですが、時間も6時半になろうという淡い夕暮れ時があたりを包み始めてきました。

 山里の田畑を抜け、集落を縫って車は目的の屋敷に到着。奥様は我々の到着を待っていて下さった様子です。同行の諸氏には、明るいうちに周辺の景色を観察してもらい、背景を豊かに持っていただいたほうが良いのでちょっと案内をいたしました。さて、ワインを嗜み、闇が迫ってくるのを待ちます。
 屋敷の庭に流れをつくり、池には鯉が泳いでいます。その流れの奥の植え込みや庭木の茂みから儀式は始まりました。ちょっと少なめだったようですが、源氏蛍や平家蛍を手に取って観賞もできましたし、非日常的空間に身を置いて豊かな時間を過ごせたように思います。

 楽しい話題ですか。同行の諸氏のように人生の経験が豊かな年齢になりますと観察眼も成熟度が高いのでしょうね、飽きることのないワイドショー的時間も持てましたしね。ご一緒できたことに感謝しております。
 ほたるに何を見たのでしょうね。暗闇に放つ光は雄と雌の求愛のシグナル。放たれる神秘的な光は、どこまでも懐かしく、愛しいのです。全てを慈しむ心を育んでくれるような、淡く透明感のある輝きでした。また、人恋しくなるような旅に行きましょうね、皆さん。
 そう言えば、ふと、作品に自然の光をとても大切に取り入れている是枝裕和(花よりもなほ・誰も知らない などの作品あり)さんを思い出していました。あの人は目も、ほたるのようにやさしく、ゆったりと輝いていたと。

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梅雨見舞い

 NHKBS11の歌伝説が三夜連続で放映されました。「越路吹雪」「テレサ・テン」そして「ちあきなおみ」と。歌の上手い、まばゆい個性が踊っている歌姫ばかりで、感動の連続でした。
 うちの連合いは越路さんの大ファンですから、いくら疲れていても転寝なんかしません。普段は限界まで動き回る人ですから、夜の8時は睡魔に襲われるらしいのです。が、このような時は頑張りが利きます。清津峡でお話しましたように、生命力の強さでは女性にかないません。エネルギーの配分が実に、巧みに組み込まれているようで、脱帽です。

 私は、ちあきなおみの大ファンです。映像は昨年秋の再放送ですが、再度見ても見飽きることはありません。泣けるのです。理由なんかありません。心が震えるのです。この人、若い時は、容姿が好きになれませんでしたね。つけまつげがびっくりこけていて、歌の味が受け入れられなかったのです。30代の後半からですかね、良いなぁって思うようになったのは。こりゃ、良い女だって。顔が爽やかになりましたよね。すっきりしました。内面がとても充実してきたのだなって思えるようになりました。

 この日はちょうど、2歳になる孫が現れたんです。画面はちあきさんの若かりし頃の顔がアップで大写しの瞬間です。「じじ、これマン。これマン」と言うではありませんか。マンはウルトラマンのことです。もう、皆で大笑いになってしまいました。似ているのです。たいしたものですよ子どもは。
 で、歌は矢切の渡しも良いし、全て良いのですが、私は「紅い花」という、平成3年ですかね、最後に出された曲が好きですね。お聞きになったことがありますか。歌詞は、

 昨日の夢を追いかけて
 今夜も一人 ざわめきに遊ぶ
 昔の自分が 懐かしくなり 酒をあおる
 騒いで飲んでいるうちに こんなに早く時は過ぎるのか
 琥珀のグラスに浮かんで消える 虹色の夢
 紅い花 思いを込めて ささげた恋歌
 あの日 あの頃は いまどこに
 いつか消えた 夢一つ

と言う具合です。多少の間違いはお許し下さい。リクエストがあれば、出張して歌います。
 愛蔵の「ちあきなおみ・これくしょん ねぇ あんた」CD6枚組みを聞きながら、昭和22年生まれの彼女が、最愛の人を亡くし、どのような日々を送られているのか。しかし、いつの日かステージに立たれることを願っているのは私だけではありません。
 曲と歌い手が織り成す賛歌が心を震わすことは尊い時間ですよ。飛びぬけて上手でなくても「いいなあ」って思う時がたくさんあります。石原さん、荒井さんや順くんの歌には、共感できる感性を感じ、目頭が潤むことがしばしばあるのです。ねぇ、師匠格の江野ちゃん、伊藤さん、高木さん。違いますか。あっ、高木さんは違いますね。あの人は音痴ですから歌はだめです。踊りだけのようです。

 

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ワールドカップ雑感

 敗れましたね。最初から最後まで押され気味で、常に圧力を感じた一戦でしたね。川口の好セーブなどで凌ぎに凌いで、疲れました。気が高ぶってなかなか寝付けない夜になってしまいました。
 体がでかいチームで、後半ばてるだろうと思っていましたら選手交代で生き返ってしまいました。相手の監督の作戦は、素人の私にも分かりまいした。日本の選手もばててきた、後ろから正確なパスを前線に(FWに)送る、そこに上背のある、あるいは交代した元気の良い、シュート力のある選手を送り込んで高さと動きで攻め込む。守りが手薄になるが、得点機会を最優先させて戦いぬく。という作戦が見えてきました。
 日本の選手交代は、負傷もあり、後手後手に回ってしまいましたね。ばてていましたから、積極的に選手を投入し、玉田や大黒の投入を早め早めに行い、守りをかく乱しゴールを狙うべきだったのではと思います。

 FW陣も今一、調子が悪かったのかも知れませんね。でも、オーストラリアとの決定的な違いは何かご存知ですか。それは自国以外で活躍している選手の数です。オーストラリアはメンバー中、20人が該当するのだそうです。なんか、予想ではなめてかかっていませんでしたかね。世界でプレィしている選手は違いますよ。人口が少なく、国内にサッカーの土俵が少ない、ラグビーなどが主流を占める国のサッカー選手が自己実現のために、必然的に選ぶ海外チームへの所属。そこで培われるハングリーな競争心や闘争心、飽くなき向上心は違いを生み出すのでしょうね。
 ベンチに並ぶ日本選手の顔をご覧になりましたでしょう。何をお感じになりましたか。今戦う、戦っている時の顔には、挑む美しさがあるはずです。目玉が奥光りするほどの鋭さで、きりりとした戦士の姿が望まれると思いますが、そのような美学は(?)感じられませんでした。

 豊かなんでしょうね。全てが。奇跡を呼び込む人「ジーコ監督」の采配で、クロアチア、ブラジルに善戦できるのでしょうか、エネルギーを注ぎ込んで大いに応援してみます。一変したチームを見たいものです。

 17日は、多少の雨でも決行します。蛍が待っているそうなのです。今、飛び交っているのが源氏蛍で、その後に小柄な平家蛍が飛び交うのだそうです。両方、鑑賞できそうですが今年は源氏にしましょうか。

 そうそう、7月の29日、土曜日の夜、自遊人楽校の交流会兼暑気払い兼芸術鑑賞会を開催する予定です。予定をいれずに、空けておいてください。初めて鑑賞できる「?」の機会を用意できました。お楽しみに。

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広島お好み焼 「みせん」

 新松戸駅徒歩2分、みずほ銀行を左手に進み、その角を右折するとすぐに「みせん」である。ご主人が広島の出身で「広島お好み焼」と謳っていることでお分かりの通り、こだわりを持っておられる。
 昭和20年8月6日、原子爆弾投下。そのことをどのように体験され、記憶し、何を決断されたかは伺ったことがない。しかし、8月6日は、彼にとって忘れがたい日であり、社会に向けて平和を訴えつづける決意を新たにする日でもある。許してなるものか、過去の過ちを二度と再び犯してはならない。彼は、そうして店に立ち続けてきたのではないだろうか。

 「みせん」は主人と弟子(希望者を受け入れ、修行させている者)が鉄板に向かうカウンター席10席と20人ぐらいを収容できる奥座敷の構えで、賑わいが絶えない店である。メニューも豊富で、総じておいしい。何度伺ってもおいしい。私は、カウンターに空席がなければ入らない。座敷では楽しみがないという主義である。
 焼く・炒めるなどの所業が、目の前で展開され、主人の目がやさしく、人恋しい光を帯びて物語を語りかける時、酒もお好み焼きも、無上のおいしさを醸し出す。

 毎年8月6日、お好み焼きを86円で提供してきた。一日300食を、8時間かけて提供してきた。最低10人、交代要員も入れて知人やOBが総出で携わってきた。しかし、2年前からこの催事を止めた。止めざるを得なかった。スタッフが高齢化したのだ。彼は「そう言うともっともらしいでしょう」と。食材の高騰など理由はいろいろ考えられるが、断腸の思いで中止したのだろう。
 自分は催事中、一度も伺わなかった。86円では申し訳ないと思った。普段通えば、何らかの共感が得られるのではないか、だから、その日は遠慮しようと。

 ここの清酒は広島の酒「賀茂鶴」である。美酒。京都の先斗町で始めて口にしたことがある。15年ほど前の話だが、一合ビンで千円ぐらいの値段だった。おいしくて10本ぐらい飲んだだろうか。以来、賀茂鶴は憧れの酒である。広島に出張の時、酒造元を訪ねた。「明日から清酒祭でただ酒を振舞うのになぜ一日早く来たのか」と言うから、ご馳走してくれるのかと思ったら、とんでもない。一口もできず、買って帰る羽目になった。以来、ちょっぴり嫌いになっていた。
 しかし、みせんで再会してからはちょっぴり嗜む。が、日本酒はもたれる様になったので明日が心配なければ飲む。が、やっぱり焼酎がいい。だから、みせんに焼酎がないと困る。

 「芋焼酎を置いて欲しい」と言ったら主人は置いてくれるようになった。生ビール一杯の後に芋焼酎のロックで仕上げてゆく。たまらなくおいしい。酒もおいしいが、この人は客にいやだと言う顔をしたことがない。目で正直に歓迎してくれる。そして、心底笑って話す。人の心をつかんで離さない人である。うそだと思うなら行ってみて欲しい。あなたはこの店のファンになる。そう、予約して行く方が安心かもね。

 電話:047-340-2727
 PC:WWW.h3.dion.ne.jp/-misen
  E-mail:misen@h3.dion.ne.jp

 

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流山市生涯学習センター 誕生

 つくばエクスプレスが開通することが明らかになったある日、一つの決断を迫られたことがあります。それは、「県立流山青年の家」の至近距離に新駅が誕生することになり、新しいまちづくりのための区画整理事業が始められる。それに伴い、既存の住宅等に対し、4割減歩(区画整理などで、道路・公園など、公共用地を生み出すために、宅地面積を整理前より減らすこと)が課せられることになる。そこで、青年の家をどうするか、3つの選択肢から選ばなければならない立場に立たされたのです。

 3つの選択肢とは、一つ目は、現在の場所に残り、4割減歩した施設(グランド部分と玄関付近の庭が減歩の対象になる)として経営して行く。二つ目は、流山市古間木方面(東方面)に移転させる。三つ目は、流山市三輪野山方面(江戸川沿い、北方向)移転させる。という3案が提示されました。

 振り返りますと、青少年教育施設は、1959年(昭和34年)4月、皇太子殿下(今上天皇)のご成婚を記念して静岡県御殿場市、富士山の中腹に「国立中央青年の家」を整備したのをきっかけに、その教育目的や効果が広く認知されるに従い、都道府県や市町村でも施設を整備、もしくは類似施設において学習が展開される状況が普及して行きました。その結果、これらの施設で行われてきた学校外教育は、青少年の健全育成に多大の役割を果たしてきたと言えます。

 しかし、少子化や利便性の追求・施設の老朽化などにより、関係者の懸命な努力にもかかわらず、施設の利用率は減少や横ばいの傾向を余儀なくされ、加えて、財政事情の悪化は施設運営を困難な状況に追い込んで参りました。
 各地で、施設の閉鎖や転用・移譲などが行われ、私が選択の局面に立ち会った時点で青少年教育施設は、将来的に整理統廃合が免れない状況にありました。
 「流山青年の家」は、都市型の学習施設として、関東一円を対象にし、特に演劇・音楽活動の拠点として賑わいを演出できると確信して駅前に残る選択をしたのです。

 施設の運営は、これまで以上に創意・工夫が求められるのが現状です。生き残るためには特色ある事業を通して、地域社会に認知される経営が不可欠なのです。
 この春、国立少年自然の家・青年の家・オリンピック記念青少年センターは、「独立行政法人青少年振興機構」に統一され、名称も「国立青少年交流の家」として新たな出航をすることになりましたが、これも究極の選択だと思います。

 財政状況が芳しくない県は、青年の家を流山市に移譲することを決め、「流山市生涯学習センター」として新たなスタートを切ることになりました。
 私の夢は経営母体を変えて開かれることになりました。今でもこの地に残ることを選択した判断は正しかったと確信しております。
 自然の豊かな学習の場として「手賀の丘少年自然の家」が、24時間学習活動ができる通学型の学習の場として「流山市生涯学習センター」が、東葛飾市民の生涯学習活動を支えて行ってくれるでしょう。
 ぜひ、「流山市生涯学習センター」をご利用下さいますように、お願い致します。
 詳細は、電話04-7150-7474へ。利用の予約は流山市公共施設予約システム(下記のアドレス)で手続き下さい。
 パソコンから http://eyoyaku.city.nagareyama.chiba.jp/
 携帯電話から http://iyoyaku.city.nagareyama.chiba.jp/

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蛍がとぶ

 17日、晴天のもと、蛍鑑賞会を決行することにしました。昨夜、電話で伺いたい旨を述べますと何か騒がしい様子なのです。ざわめきが伝わってきます。「今日は、親戚が集まって鑑賞会なのですよ」とのことでした。準備でてんてこ舞いだったのでしょう。「いつ、おいでになりますか」「いつごろがよろしいのでしょうか」「今年は、5月の20日ごろから飛び始めましたよ。」えっ、そんなに早いのかって、驚きました。蛍って梅雨明けから夏じゃなかったけなどと思いながら、急がねばなるまいと思った次第です。

 子どもの頃は、蚊取り線香をたいて、蚊帳を吊って寝ていたように記憶しています。蛍は珍しいものでもなく、家の周りを飛び交っていましたね。
 御殿場の夏を3年ほど経験しましたが、田んぼに行くと懐かしいほど飛び交っていました。山麓の水は冷たく、確か8月の光景だったように思います。
 そうそう、蛍って言えば、数え切れない蛍の乱舞に酔いしれていたことがあります。昭和50年代の初め、30人ほど連れて新潟県の清津峡を1泊2日で訪ねたことがありました。清津峡温泉に泊まったときです。夜空が、空間が、全て蛍なのです。あまりのすごさに声も出ませんでした。感動でしたね。

 その後、清津峡は土砂崩れが発生し、通行止めが続いているのでしょうか。柱状節理の断崖を縫って幅1メートルもない道が石打に向かうバス停まで、約4時間ほど散策する行程なのです。油断したら落ちるんですよ。即死でしょうね。最初は男子が強いんですがバス停が近づく頃は女子が強いんです。私は先頭を歩いていますから、後ろのことは分からないでゴールすることが多いのです。この時は、テニスをやっていた女子が落ちかけたんです。とっさに、前を歩いていた同じ部活の男子の脚につかまったんです。で、助かったのです。この話をゴールしてから聞くわけで、一瞬、全身が氷ついてしまいました。その子もいまでは4人の子の母親です。

 薄墨色を背景に飛び交う蛍に出遭うとき、何を思うのでしょうかね。場面はまったく違うのですが、「マリオネット」の演奏に出遭うときと共通する想いを体験するような気がします。蛍を鑑賞する時間って、そんなに長時間ではないでしょう。でも、感性の豊かな方、たとえば、奥ちゃんとか江野ちゃんとか髙木さんとかは1時間佇んでも「もう、帰りましょう」とか言わないような気もしますが。この機会を与えていただく万物に感謝し、また、一句、詠んでみましょうか、奥ちゃん。

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金子光晴 賛歌

 早速、ご指導をいただきましたよ。読んでいただいているのですね。感激です。ありがとうございます。白凰社の「金子光晴詩集」を届けていただいたのです。その中の、友が薦める「若葉のうた」を読んでみました。思わず微笑み、ちょっぴり涙してしまいました。
 
 「若葉のうた」~孫娘その名は若葉~ は、昭和42年に勁草書房より刊行。初孫への老齢のこころからにじみ出る愛情詩集とのことです。その一編「森の若葉」を紹介しましょう。

「森の若葉」

なつめにしまっておきたいほど
いたいけな孫むすめがうまれた

新緑のころにうまれたので
「わかば」という 名をつけた

へたにさわったらこわれそうだ
神も 悪魔も手がつけようない

小さなあくびと 小さなくさめ
それに小さなしゃっくりもする

君が 年ごろといわれる頃には
も少しいい日本だったらいいが

なにしろいまの日本といったら
あんぽんたんとくるまばかりだ

しょうひちりきで泣きわめいて
それから 小さなおならもする

森の若葉よ 小さなまごむすめ
生まれたからはのびずばなるまい

いかがでしたか。この後に、「元旦」「問答」「さくらふぶき」「若葉よ来年は海へゆこう」「まんきい」「若葉の夢」と続きます。「若葉のうた」を手にとって読んでみましょうか。 

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孫とキングコングとウルトラマン

 ありました、ありました、TUTAYAさんにありました。新着DVDですから日帰りですと安くて済みます。借りてきましたよ。側に住む孫二人も鎮座し、映写開始。いや、コングが出てくるまでが長いのです。待てません。すぐに居なくなりました。結局、私一人で延々、3時間を見てしまいました。途中、現れたところで呼びましたが、2歳の方は、「恐いから、抱っこして」と膝の上で見ていました。コングが画面に居る時はじっとしていますが、あとは「見てろ」なんて、到底無理です。大人のお話ですかね。

 この2歳がおもしろいのです。うちに現れると私の側に来て「マン。マン」とねだるのです。「ウルトラマンを見たい」というおねだりです。そうしますと、「フレッツ・スクウェア」でアニメを選択し、ウルトラマンを出してあげるわけです。夢中なんです。強いんです。マンになりきるわけです。バルタン星人になって、負けてあげなければなりません。強烈なキックが飛んできます。で、やっつけて去る時は、のっしのっしと勝者のポーズで歩くわけです。

 今夜は、もう自分の家で風呂に入ってきたにも関わらず、私が入ったら「入る」となるわけです。風呂場に「マン」がたくさん居るわけです。それで遊びたいのです。で、マンにもお湯をかけてあげたいから空きビンが欲しいというので、まだ氷が残っているペットボトルを出してあげたのです。それに、湯を入れて、かける。冷たいわけです。おやっと、思います。振るとガタゴト音がします。また、湯を汲んでマンにかけます。数回しますと、氷は消えてしまいました。不思議なわけです。お湯の中、洗い場、探します。ありません。どうしてという顔で私を見ます。溶けたなんてわかりませんから、マンが食べたって言ったのです。

 そうしたら、マンを持って風呂をたたくのです。そうして「マン、マン」って、泣きじゃくるのです。「マンが食べちゃった」って。あわてて、あげるのですが、着替えている間中、泣いているのです。いや、感動するやら、疲れるやら、子どもってすばらしいですね。明日、また「マン、マン」って来るかと思うと楽しくなってきませんか。生きる喜びをちょっぴり頂いています。アトムに憧れていた夢がマンに引き継がれているのですね。

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清水先生 現れる

 今朝、図書館の職員から電話が入りました。「清水さんという人から電話ですが」と取り次いで良いものかどうか判断しかねている様子なのです。先生のことだからぶっきらぼうな調子の、あの低音で「あっちゃんいますか」とか言ったのでしょうね。職員は、どこかの悪徳業者じゃないかと「こんな怪しい奴を・・」と気を遣ってくれたのです。久しぶりのお声は、心身ともに絶好調なのでしょうね、軽やかでした。「これから、ウオーキングに出かけるのですが、その前に寄っていいいですか」と言うのです。久しぶりですものね、会いたいじゃないですか。いや、誤解の無いように申せば、久しぶりだから会いたいと言うのじゃないのですよ。毎日でも会いたいのです。久しぶりだから会いたさは一入なのですよ。あの先生、どこか人恋しいものをお持ちですよね。その辺が共感を覚えるところなのですが。

 実は、直に会ってお話するのは久しぶりなのですが、お姿はちょくちょくお見かけしているのです。何処で見かけるのかって言うのですか。それは、駅です。駅のベンチに座っているのですよ。黙々とワープロを打ちつづけているのです。そう言えば、友人がその姿を見かけたので「先生、清水先生」って声をかけたらしいのです。しかし、顔を上げてはくれなかったそうです。集中して執筆されていたのでしょうね。後日、その話をしますと、「えっ、そんなことあったの」と全く知らなかったとのこと。そのような理由でお見かけしても一切、お声はかけないようにしています。

 今回は、新しい著書「ウラ読みドストエフスキー」(清流出版)が出来上がったので届に来て下さったのです。腰巻には「人間と神の問題を徹底的に見つめ、描き出したドストエフスキー。21世紀の預言書ともいえるその文学に仕掛けられた数字や時間の謎とは? ドストエフスキー研究の第一人者が大胆に読み解く衝撃の書!!」と表現しております。ご講義を思い起こしながら読まれるのも楽しいのではないでしょうか。購入ご希望の方はご一報下さい。そのうち、楽校主催で会員以外を対象にした清水先生の講演会を開催するのはいかがでしょうか。

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惨敗 安田記念 と 洗面器

 安田記念は、惨敗しました。手を出さないで見る競馬ですと言いましたがその通りでしたね。外国馬の活躍が目立ってしまいましたね。勝馬投票券を的中させた方、おめでとうございます。敗因ですが、1600メートルはコーナーを2つ回りますので、息が入らない、逃げ馬にとっては難しい距離になります。加えて、最後に400メートルの直線と坂が待っています。中途半端な走りになりがちなのです。後続集団をあわてさせるような走りを控え、後ろを気にする走りになってしまいましたね。先頭集団につけた馬はことごとく散りました。結局、中団にいた香港を中心に活躍している4番ブリシュラックが圧勝しました。この中で1番ダイワメジャーだけが4着に残りましたのでこの馬の実力を記憶しておくことにします。私の本命17番オレハマッテルゼは最後の直線、坂を上がってから伸びを欠いてしまいました。東京・1600・G1では勝てない実力であり、1200・1400・直線の短い馬場や坂のない馬場で買いという結論にしましょうか。

  さて、的中させた御仁の晴れやかなご尊顔を拝しながら、心は早、宝塚記念から秋のG1レースへと飛んでいるのでございます。
 今週梅雨入りも予想されております。この辺で、紫陽花からひとしずく、しっとりと心に呼び込んでみましょうか。ちょっと、空しさを感じるさせるかも知れませんが鑑賞下さい。
 金子光晴の詩集「女たちへのエレジー」(昭和24年5月刊行)の中から、印象に残っている「洗面器」という詩をご紹介します。

 「洗面器」
  (僕は長年のあひだ、洗面器といふうつはは、僕たちが顔や手を洗ふのに湯、水を入  れるものとばかり思ってゐた。ところが、爪哇(ジャワ)人たちは、それに、羊や,魚や、鶏や、果物などを煮込んだカレー汁をなみなみとたたへて、花咲く合歓の木陰でお客を待ってゐるし、その同じ洗面器にまたがって広東の女たちは、嫖客(ひょうきゃく)の目の前で不浄をきよめ、しやぼりしやぼりとさびしい音を立てて尿(いばり)をする。)

  洗面器のなかの
さびしい音よ。

くれてゆく岬(タンジョン)の
雨の碇泊(とまり)。

ゆれて、
傾いて、
疲れたこころに
いつまでもはなれぬひびきよ。

人の生のつづくかぎり
耳よ。おぬしは聴くべし。

洗面器のなかの
音のさびしさを。

という一編でございます。金子光晴は、昭和50年(1975年)81歳で急逝しております。先日紹介しました「吉行淳之介 やわらかい話」に「夢かうつつかうつつか夢か(1974年 面白半分 4月号)」と題した二人の対談が掲載されています。この人、測り知れない魅力のあるお方だったようですね。時間をかけて探訪する価値のある方とお見受けいたしました。どなたか、金子光晴を紹介いただけませんか。

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安田記念

 明日(6月4日)は、「第56回 安田記念(G1)」が東京競馬場、芝1600メートルで開催されます。この距離を得意とする馬が揃い、激戦が予想されます。
 先週、ダービー検討会の報告をしましたが的中させた者は3名でした。勝負師は他人の言うことは耳にしません。何故かって言いますと、己を肯定し、我こそと思っていないと勝てないものなのでしょうね。そこのあなた、遊び心豊かに取り組まないといけませんぞ。今回も返り討ちに会いますぞ青木殿。

 と言ってはみましたが、今回の安田記念は一筋縄では行きません。難しいのなんのって、ダービーどころではありません。どの馬から入っても良いというぐらい、力の差がありませんね。つまり、このようなレースは馬券を買わない方が賢明なのです。しかし、テレビ観戦だけでは面白みが半減します。そこで、百円券を10枚ぐらい購入し、テレビの前にお座りいただくと結構、お楽しみいただけると思いますよ。

 検討材料としましては、距離に対する適性や東京競馬場での実績、騎手、負担重量、好不調の波、調教、脚質(逃げ・先行・追込み・差し)などの情報に加えまして、今夜からの空模様による馬場状態などを参考に、レース展開を予想します。どうです、かなり知的なゲームでしょう。こうして、自分に完璧だと決断させて予想は終結します。しかし、考えても御覧なさい。それなら、コンピューターにデータを入れて予想させた方が完全でしょう。そのようなソフトを開発してせっせと勝負している御仁もおいでなのでしょうな。

 しかし、相手は生きもですぞ。体調や気力、生理現象などなど、全部が万全のコンディションなんてあり得ないのです。加えて馬主や管理厩舎の思惑などもあるでしょうから複雑な要素が絡み合っているのでしょうね。ですから、素人が56回大会だから、5番と6番に引っ掛けてとか、名前が好きだからとかで的中することも度々ありますね。
 さて、私の予想をまとめておきましょう。レース展開を考えた結果、新聞等の本命予想は蹴飛ばしましてみたいと思います。
 逃げるのが12番バランスオブゲーム、先頭集団につけるのが17番オレハマッテイルゼ、2番ダンスインザムード、その後が1番ダイワメジャー、後ろから行くのが3番テレグノシズ、11番カンパニー、18番グレイトジャニーです。これらの馬以外は切り捨てることにしました。

 結果は、最後の400メートルで、17番抜け出し12番も粘り込みます。そこに2番以下の馬が追込み・差してきます。枠連は、1-8・2-8・6-8で、馬連は12-17・2-17・1-17・17-18、馬単は17ー12・17-2・17-1・17-3・17-11・17-18・18-17、3連単17-11-18のボックスで、各100円ずつ買うことにしますと合計2000円になります。言い忘れましたが、単勝(1着の馬)はもちろん17番オレハマッテイルゼです。何せ、大の裕次郎ファンで、私の得意とする歌の1曲でもありますから。雨が降って馬場が渋ればこの予想はますます揺るがしがたいものになりますぞ。さて、結果はいかに。明日、午後3時40分発走です。お楽しみに。

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山崎方代はいかが 

今週は、忙しかったですね。仕事も遊びも。本当か?ですって。えぇ、そりゃもうたいへんでした。数種の会議でいろんな人に会いましたので、後日紹介しますね。で、ブログもサボってしまいました。
 そうそう、昨日、昼食にいつものラーメン屋さんに出かけましたら、向こうから買い物帰りらしきご婦人が歩いて来られました。近づいてご尊顔を拝見しますと佐衛門守様の奥様です。山形紀行でたいへんなお世話をおかけしたことをお詫びし、感謝を申し上げましたところ、「皆さんに喜んでいただいて嬉しゅうございます。私もたいへん楽しい旅になりました。皆様によろしくお伝え下さい」とのことでした。佐衛門守ご夫妻をお招きし、砂払いをしたくなりました。いかがですか。

 今回は、歌人 山崎方代(ほうだい)さんの歌を紹介しましょう。

 ○手のひらに 豆腐をのせていそいそと いつもの角を曲がりて帰る

 ○おもむろに 茶碗のふたをそっと取り すすれどだれもいるはずがない

 ○こぬ人を 待ちくらしているこの吾の 背後と云えどのぞき給うな

 ○机の上に 風呂敷包みが置いてある 風呂敷包みに過ぎなかったよ

 ○土瓶の顔に日が当っている 時の流れは動かない

 ○卓袱台の上の土瓶に心中をうちあけてより楽になりたり

 ○こんなにも 湯呑茶碗はあたたかく しどろもどろに吾はおるなり

 ○おのずからもれ出る嘘のかなしみがすべてでもあるお許しあれよ

 ○死ぬほどの 幸せもなくひっそりと 障子の穴をつくろっている

 ○箸をもて茶碗のへりを鳴らしおる 日の暮れどきの男ごころは

 ○宿無しの 吾の眼玉に落ちて来て どきりと赤い一ひらの落葉

 ○こんなにも 赤いものかと昇る日を 両手に受けて嗅いでみた

 ○男五十にして立たねばならぬめんめんと辞書をひきひき恋文を書く

 ○世の中をはばかるように顔を出し又ひっこめて閉じてしもうた

 ○私が死んでしまえば わたくしの 心の父はどうなるのだろう

 ○声をあげて 泣いてみたいね夕顔の 白い白い花が咲いている

 いかがですか。心が安らぐような、人生を振り返り、人生を考えさせてくれる、とっても温もりのある人間性が伝わってきませんか。

 私の手元には「こんなもんじゃ 山崎方代歌集」(文芸春秋刊)しかありません。現在入手可能な歌集は、
 「山崎方代全歌集」不識書院
 歌集「右左口」短歌新聞社文庫
 歌集「こおろぎ」短歌新聞社文庫
 随想集「青じその花」かまくら春秋社
ということです。

 

 
 

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「張込み」と「波の塔」

 えのちゃん、私の予想がずばり的中したのです。職場でも、家庭でも一目置かれる日々を過ごすことになりそうです。優勝したメイショウサムソンは、皐月賞でもゲットしたのですが、並んでからが強いのです。もしかして、3冠馬になるかもしれませんよ。それに、あの石橋守と言う騎手、いいでしょう。とつとつと、何を言っているのか分からないぐらいなのに、秘めている喜びが伝わってきて。好きだね、あのような人間性って。涙してしまいました。

 それから「ほたる」ね。行きましょうね。己だけが生き残ってこうして佇んでいるが、「飛び交うほたるよ。主は、何ぞ言いたいんだね、わたしに」とかね。一口運ぶ酒が、初夏の夜を乱舞する姿に感動を深め、また一献。気がついたら己の化身が飛んでいたとかね。闇夜に交わす目と目が、蛍以上に輝いていたりして。行きましょうね。 

 孫に引かれてTUTAYA詣でに出かけました。「ウルトラマン」と「キングコング」をゲットしたいらしいのです。しかし、キングコングは店頭に見当たらず、ウルトラマンも見尽くしてしまったのか、長い時間をかけて、結局「幻のポケモン ルギア爆誕」というDVDに落ち着きました。面白いらしいのです。帰ってきてテレビから離れません。何を言っても聞こえないらしいのです。ちょうど、キングコングがレンタル開始であったから、それなら自分も見たいと思っていたのに残念なことをしました。しかし、足を運ぶと見たい作品が結構揃っているのですね。

 孫が一緒だと、どれにしようかと言う大人の時間は最短にしなければならなりません。結局、清張作品でも鑑賞するかと2本を選びました。「張込み」と「波の塔」です。「波の塔」は有馬稲子と津川雅彦主演の中村登監督作品です。原作は、1959年(昭和34年)から翌年にかけて女性自身に連載され、初版本は1974年(昭和49年)文春から出版されていまする。あらすじは、夫との間が冷え切っている頼子(有馬稲子)と情事を重ねる東京地検の新人検事である小野木(津川雅彦)。ある日、小野木は頼子の夫の汚職事件を担当することに。そして、追い詰められて行く二人。最後は樹海に中にひとり消えてゆく頼子。と言う内容で映画史上に残る名作とは言えないのかもしれませんが、しかし、この映画の有馬稲子は美しく、激しく、輝いており、その魅力的に圧倒されます。

 「張込み」は日本映画史上に残る名作です。1957年(昭和32年)の松竹作品で、監督は野村芳太郎です。あらすじは、警視庁捜査一課の下岡(宮口精二)と柚木(大木実)は、深川質屋殺人事件の片割れ、石井(田村高広)を逮捕するため、夜行列車で佐賀へ向かいます。石井は別れた女、さだ子(高峰秀子)に必ず会いに来るという可能性に賭けて。銀行員の後妻になっているさだ子の張り込みを始めます。人間味溢れ、淡々とした宮口、愛の苦悩を抱えながらもエネルギッシュに輝く若き日の大木、ういういしいほどまぶしい田村、そしてうなるほどの演技力の高峰秀子。若き刑事が、さだ子の日常と接することによって発芽させる人生や愛することの賛歌。ぐいぐいと引き込まれてゆく冒頭の夜行列車のシーン、そしてタイトル。キャストを写し出し、間をおいて、発車する蒸気機関車の画像と音響。そして、エンドマーク。刑事ドラマの最高峰と言っても過言ではないのかもしれません。芳太郎監督万歳。

 生きる喜びや楽しみすらなく、自分すらないような平凡な後妻。先妻の3人の子どもに向けるやさしい気持ち。が、夫は、けちな銀行員。この後妻を演じる高峰秀子が、その日常と恋人・石井に会ってから号泣して日常に戻らなければならないまでの変転を演じています。でこちゃんが、日本映画界を代表する女優であることを深く認識させられる作品でもあります。

 本当に、映画っていいですね。さあ、キングコングをみつけにTUTAYAへ行くか。孫ちゃんと。

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海外に飛ぶと蛍鑑賞のご案内

 今年の入梅は早そうだ。このところ、日本列島に前線が居座り続けている。連合いが「今年は五月晴れが無かったような気がするね」「爽やかな風に触れたって感じたことあった?」と不満そうに語り掛けてきた。そういえば、僅かだったかなと思える。連休のキャンプと山形紀行は天気に恵まれた。キャンプは共有しているが山形は別である。こっちがかなり得をしているような気がする。こういう時は、「そういえば、そうだな」ぐらいがちょうど良い。庭の花梨が実を結んだようだ。例年、強風に煽られ、小さいうちに落っこちてしまう。今年は5個ぐらいは大丈夫のような気がする。

 いつか人生相談で皆さんに問い掛けた友(?)は、週末、無事、飛び立った。いろいろ心配してくれて感謝している。心配の矛先が違ってはいたが、感謝はしている。「ねぇ、ねぇ、誰なの。あれは誰の相談なの」会う人毎に決まって問われた。それに実話だけで構成しているものではない。多少、創作しないとつまらない。第一、奥様劇場ではないのだから、なんと人生は面白いではないか、ぐらいに思っていただけると幸いである。

 どのように解決したのかというと、実にセオリー通りである。いやな相手とも旅をする。どこかで割り切って、自分流の楽しみを創造する。何と言うのか、ほどほどのお相手をしながら存分に楽しむとでも言ったらよいのか。こうすることで、友との旅が成立する。こちらの旅の方が数倍も楽しいだろうと思われるが、それはわからない。結構、今回の旅の方が味わい深いものだったりするかもしれない。再度、相談するようなことが起こったら親身になって、乗って下されたし。

 こう暑くなってくると庭の手入れも大変である。私のような9坪ほどの共有地を管理しながらの庭造りでさえ、骨がおれる。大邸宅ではさぞかし大変なことと推察する。草をとり、植木の手入れもしなければならない。やり始めたら途中で止めるわけにもいかず、一日がかりである。大きな屋敷では1日では終わらないのだろう。先日、とある邸宅の奥様が「たいへんだったの」と終日労働の疲れきった顔でおっしゃった。そんなに目の下に隈まで作って、いやはやご苦労なことで。

 このところ何を発言しても、反応がない。お会いすると「読んでますよ」と語ってくれる。なぜ投稿していただけないのですかと尋ねると「言い難い」らしい。要は、人のことは気にせずにしゃべっていろよという事らしい。それにしてもこの作業は根気がいる。多少、精神的に病的じゃないと続かないのかもしれない。

 さて、蛍鑑賞のご案内ですが、6月17日(土)に出かけましょうという話になって参りました。詳細は後日、連絡申し上げます。希望者は事務局まで一報下さい。それでは。

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第73回 日本ダービー

 ダービーのお話の前に、山遊亭金太郎師匠から便りが届きました。内容は、「ご案内 6月1日から5日まで、浅草演芸ホール 夜の部主任です。お忙しい事とは思いますが、ぜひご来場下さいます様、皆様にお知らせ願えれば幸いです」 と言うことです。どうか、足をお運び下さいますようにお願いします。それから、東漸寺句会で最後の5句に選ばれた方へと手拭を預かっております。申し出てくださいように。

 さて28日、東京競馬場で第73回日本ダービーが開催されます。距離2400メートルに3歳馬、18頭が力をぶつけ合います。職場の有志で誰呼ぶとなく「競馬同好会」なるものが誕生し、「ダービー検討会」を開催しようと、超多忙な中を時間を作って7名が参集しました。

 馬として生まれ、生涯にたった一度しかない最高の舞台がダービーであります。登場する18頭は選び抜かれた18頭で、どの馬も優れた能力を持っています。しかし、距離2400メートルへの適性や体調の良し悪し・遺伝子などによって違いが生じるのが当然であります。加えて、長雨です。重馬場でのコース取り、レース運びなど重視しなければなりません。そして、騎手です。これら全てを机上に移し、検討を加えねばなりません。

 検討会の結果、青ちゃんは◎アドマイヤムーン○アドマイヤメイン、◎にメイショウサムソンをと言うのが宇賀ちゃん・竹ちゃん・森ちゃん・あっちゃん。加トちゃんは複勝でアドマイヤメインとジャリスコライト。さて、プロ集団の予想は当たるのでしょうか。

 テレビ観戦のお楽しみを倍増してさしあげるために付け加えるますと、「素人の予想ほど怖いものはない」ということであります。淑女2人が飲んだ勢いで即断即決。高ちゃんは馬連でメイショウサムソンとマルカシェンクを、小ちゃんはアドマイヤメインとアドマイヤムーンをそれぞれ千円、注文されました。もし的中させたら魔女として崇め奉らなければならない存在に。おお、怖。結果やいかに。

 ちなみにあっちゃんの馬券は、馬連2-4・6、4-6、6-10、馬単2-4・6、4-2・6、6-2・4、3連複2-6-4、3連単2-6-4、2-4-6、4-2-6、4-6-2、6-2-4,6-4-2で勝負することに。さてさて、何が楽しいのかって言うのですか。本能なのでしょうかね。では、次回お会いする時は、笑顔で。

 

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こんなところで泣いては

 自宅では朝日を購読している。図書館に勤務しているわけではないが同居しているので、読もうと思えば新聞・雑誌には、不自由はしない。ただ、時間がないことが悩みで、たまにお世話になるだけである。
 5月23日、いつもはスポーツ紙の隣人がめずらしいことに、読売新聞を持参した。「ちょいといいかい」とページをめくると、「閑話休題」に「ある俳優の最期 妻に残した母の語り」という記事が目にとまった。読売の文化部「長井一顕」さんが執筆されているらしい。81歳で亡くなった俳優「沼田曜一」さんの紹介と交流が語られている。俳優で現代の語り部として存在してきた沼田さん。私はスクリーンの上の沼田さんしか知らない。ふーん、沼田さんは岡山の出身か。えっ、山崎方代。図書館長の井上さんに紹介されて以来、山崎方代が大好きになり、歌集「こんなもんじゃ」を座右において、時々、引っ張り出しては共感している。
 記事を読み終わったら涙が止まらなくなった。まずいぞ、これは。職場のこんな大勢の前で涙なんかまずいぞ。

 結構、涙もろい方で、込み上げてしまうと止めようがない。まあ、子どもの頃から泣き虫だったこともあるが、よく泣く。一人っ子で祖母ちゃん子と来れば想像していただけるだろう。自我に目覚める階段を踏むごとに強くはなるのだが、どうしても克服できない弱さがある。兄弟で切磋琢磨というのか遣り合いっこして、たくましく成長できる土俵で育った人と違うもろさのようなものを劣等感のように宿している。

 それでも子どもの頃、ガキ大将を頭に頂いた異年齢の閉鎖的な集団で遊び捲くっていたから少しは違うのかもしれない。大将は、腕力が強く、知恵もあり、正義感あふれる年長者が選ばれる。これだけならウルトラマンとそう変わりがないが、魅力的だったのは悪業にも果敢に挑むことで、記憶に残っているのは、むしろ、こっちの方である。実にいろんな体験を通して「冒険」と言うのか「遊び」を教えてもらった。
 大将は、遊び仲間の個性を把握し、落ちこぼれのないよう気配りをした。個に応じてそれぞれが自信を持てるよう対応してくれていたのだと思う。たとえば、「今度も、成績が良かったよな。がんばったな。みんな、見習えよ」とか「スケート、一番上達したぞ。○○に負けないように練習しよう」とか集団の前で褒めてくれるのだ。だから、この集団と遊びは、泣き虫を強くさせてくれたし、人間形成に多大の恩恵を与えてくれたと感謝している。

 泣くと言えば、大学受験に失敗したとき、自分は泣きじゃくっていたのだろうか、記憶が無い。たぶん、それどころではなかったのだ。明日から自分はどうしたらいいのか、悲しんでいる、悔しがっている余裕など無く、明日からの生活を考えたら泣いていられなかったのだと思う。恋で泣いたことはないような気がするが、愛で泣いたことはある。よくある。いや、いっぱいある。しょっちゅうある。
 朝飯を食べているときにニュースが流れる、朝ドラの感動的な場面にぶつかる。茶碗を持つ手が震える。感性が消し飛んだような冷静な妻の前で泣きながら飯を食う。そっと、ちり紙が手渡される。胃袋が苦痛を訴える。「あほか、消化に手間取るだろう」とか、ほざく。
 電車の中でも同じだ。泣いてから上目遣いに周囲を見渡す。誰も見ていないや。手で雫を拭う。まあ、泣いても老眼鏡になってから少し、楽になったような気もするが。

 沼田さんは、「死の1週間前、午前2時過ぎ。奥さんを起こし、40分間、自分史を正確に語った」「民話は母の語りが原点だと語った名優の最後の語り。妻はその時、母の語りを聞く子の心になっていたのだろう」
 沼田さん夫婦の魂の絆や人間性が長井さんの文章と相まって奥深い感動を呼び起こす。
 客席の後ろで聞いていた私は、嗚咽が止まらくなった。

 

 

 

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課題解決能力とまちづくり ~教師に期待されること~

 日曜日のフォーラムに参加してから、コミュニティスクールへの取り組みが気になって仕方がないのです。以下の意見は、3年ほど前、教職員向けの通信紙に掲載したものを再掲させてもらいました。ご意見を下さい。
 

   21世紀、「住んでいいまち 訪ねていいまち」として存在するための行政課題はと問われれば、「アメニティの具現化」と答えます。成熟した社会を生きる人間にとっての「快適さ」をどのように表現できるかが問われていると思います。
 アメニティの具現化要件を探ってみますと、第一に、「景観が美しい」「利便性が高い」「安全性が高い」「衛生的である」等があげられます。
 これらは、行政に委ねておけば達成されるものと思われがちですが、現代社会においては特に、主張する個や企業等に地域を形成する市民が主体的に関わっていかなくては解決できない課題を包含しているのではないでしょうか。
 具現化要件の第二は、市民が「仲間意識」や「所属意識」「役割意識」を持った個として存在し、人間関係を構築していくことがあげられます。
 この要件を育む働きを担うのが、「学び合う」「知り合う」「認め合う」「支え会う」「助け合う」というような「知縁」を創造する生涯学習活動なのです。学習活動は、知識や技術の獲得からさらに、自主的・主体的な活動へと継承され、社会力として開花されるよう、市民と行政の関わりが期待されているのです。
 各自治体がめざす「協働のまちづくり」とは、自立した社会力豊かな「市民」と市民に分かりやすく、開かれた、あたたかい、資質の向上に努める「行政」が、それぞれの特徴と限界をわきまえた上で、信頼関係を築き、保持しながら進められるものではないでしょうか。
 ところで、どのような学習活動が自立した市民の資質高揚につながるのでしょうか。
 このことに関する課題意識と取り組みは、学校も行政も一緒です。
 たとえば、生涯学習活動を支援する行政は市民が、自分の課題を課題として気づき、意識でき、考え、判断し、課題解決に向けて行動できるようなプログラム開発に努め、学習機会を提供していかなければならないと考えます。
 この学習機会は、学校の「総合的な学習の時間」で期待されている能力の養成と一致し、現代社会が抱える諸課題に気づき、考え、判断し、行動できる、児童・生徒の社会を構成する一員としての資質養成にほかならないのではないでしょうか。
 つまり、児童・生徒や市民の資質向上を支える側の教師や行政職員には今まで以上に地域社会を構成する一員としての学習や体験が求められているのです。
 「地域社会において、人と関わり合って生きることが幸せなのだ」という人生観を共有できたとき、「住んでいいまち 訪ねていいまち」として発展できるのではないでしょうか。
 何でも教えるという姿勢から、学習する者として「児童・生徒・市民と関わって一緒に学ぶ」機会を積極的に求め、社会力豊かな自分を育み、魅力ある教師として存在していって欲しいと願ってやみません。

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多忙な日曜日 お疲れ様でした

 5月20日、日曜日。台風一過の五月晴れ?一日順延させた甲斐があって絶好の運動会日和。それでも、保護者と教職員は朝から砂を入れるなど、グランドコンデションづくりに尽力されたらしい。まず、N小学校の運動会に伺った。プログラムをいただくと、中に六年生自筆の「お礼状」が添付されていました。色鉛筆できれいに彩色され、心温まる出迎えです。

 記録に残そうと親は必死ですね。ゴール付近や本部席付近はワンサカ人が集まります。撮影のための席まで用意してあるのですね。徒競走でも真剣そのものです。最近は保護者も係りを分担し、展開しているようで、目に入ってくる大人も熟年ばかりではありません。動きが機敏ですね。運動会って言う感じです。5つぐらいのプログラムを拝見しましたが、工夫が必要なのは「表現」つまりお遊戯というのか踊りというのか、昔から民謡などをやっていますけど、どうなのでしょうかね。子どもが表現したくなるものがあるのではないでしょうかね。それこそ地域に優れた指導者がいるのではないでしょうか。そのような人と連携して創作して行ってはいかがでしょうね。

 それから、養護学校の運動会に伺いました。こちらは、児童・生徒数も少なく、静かにゆっくりと進行するわけです。一人の子に先生が付きっ切りで参加させている場面や、達成感や参加する喜びを発達段階に応じて支援していると言う感じですかね。校長先生が「あの右側のA君は、去年と比べものにならないほど積極的になりました。あのCさんは、6年生になって自覚がでてきたのですね、皆を引っ張っていますものね」とお話くださいます。長雨で、グランドでの練習ができないまま、本番を迎えたのだそうです。どうして体育館じゃないのかってなかなか納得しないのだそうです。そうですね、もっと地域社会がこぞって応援し参加する運動会になったらって、欲張りでしょうかね。

 その後、「市民フォーラム 市民参加の学校づくり コミュニティスクールを探る」に参加。定員250名のところ、50名ぐらいでしたかね。松戸市内の4つの小学校を会場に展開されている「サタデーコミュニティスクール」の実践発表と、課題や展望を語るパネルディスカッション、そして、金子郁容 慶応義塾大学大学院教授の基調講演がありました。
ボランティアやコミュニティスクールに関して、また足立区の学校評価制度の取り組みなど、先生の先駆的な実践と理論には引き付けられる魅力に溢れています。私などは、黙っていても会場は、人で溢れると読んでおりました。ところが驚くほど少なかったのです。

 市民参加の学校づくりは21世紀の教育的課題であり、まちづくりの課題でもあります。意識するとしないに関わらず参加して欲しい人がいます。しかも、10年以上に渡って実践してきた地域もあるのです。今、その実践に耳を傾けないとその存在が危ぶまれるほど公立学校は危機なのだという認識が必要でしょうね。それなのに、学校関係者は皆無といっていいほど、参加していませんでした。教育委員会は何を考えておいでですか。と、怒りを通り越したむなしさを感じたのです。しかし、このままでなるものかとも思ったのですが。楽校のメンバーは和・石・八・谷・百に私、そして同僚の伊勢守だけでした。日曜の午後はだめよですかね。開かれた行政と自立し成熟した市民によるコミュニティスクールの具現化に向けて、小野ちゃん、がんばっぺな。

 笠間にお住まいの日本画家「東韶光」(日展審査員)さまの奥様よりお便りが届きました。「蛍の季節なりましたら、いつでもおいで下さい。お待ちしております」とのことです。実は2年ほど前、益子から笠間にかけて、蛍を探して右往左往し、日も暮れてしまいました。探しあぐねているところに品の良いご婦人が車でゴミを捨てに通りかかりました。わけを話しますと、「それでは家においで下さい。庭からご覧になれますよ」と先導いただきました。暗がりに浮かぶ屋敷は、さぞや高貴な方がお住まいになっているのではと思しき邸宅。その一角に設けられし高台から目を転じれば山の斜面から谷底にかけて、乱舞する蛍で埋め尽くされているではありませんか。感動、ただ感動。

 名刺をいただいて、ここが日本画家の東さんのお宅で、ご案内いただいたのが奥様であること知りました。今回、楽校でうかがいたい旨を申し上げましたところ快諾をいただいたと言うわけです。お言葉に甘えて訪問しましょうか。「あなたと行きたい 蛍狩」。おそまつ。

 いや、日曜の疲労感を癒そうと映画鑑賞に出かけました。渡辺謙・樋口可南子主演「明日の記憶」という映画です。突然襲った「若年性アルツハイマー病」。仕事を手放さなくてはならない苦悩、次第に薄れてゆく記憶力、閉じこもり自暴自棄に陥りがちな夫と側に寄り添い温かくやさしく支える妻。しかし、その最愛の妻すら忘れ行く日が・・・。何度も涙し、考えさせられましたね。特に、最近物忘れがひどい私めは。自分を同化させておりました。今、このときを大切に生きることを、そして人を愛すること想うことの大切さを再確認させていただきました。
 でも、癒されたのかな。ふむふむ。

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焼酎お好きですか 故郷の酒「酔仙」

 岩手県陸前高田に銘酒「酔仙」あり。岩手県の最南端、宮城県に接し、南陸中海岸の景勝地。白砂・遠浅の海岸と約2kmに渡る松原、その裏面に潟湖を配し、北に氷上山(ひかみさん)を背負い、西を気仙川(けせん)の清流が貫き、一年を通して温暖で風光明媚な地方である。農業・水産業の盛んな交通の要所として、また、気仙地方の中心として栄えてきた。 この地に古くから醸造業あり。大きな蔵を構え、酒造りに励んできた。昭和19年、古くからの醸造元8軒が合体、「気仙酒造株式会社」を設立。これが現在の「酔仙酒造株式会社」の前身である。

 さて、「酔仙」をお飲みになったことがありますか。生産しているお酒を数種紹介しますと、吟醸酒として、純米吟醸酒 酔仙「吟ぎんが」、酔仙 大吟醸秘蔵古酒「十年水温貯蔵」、大吟醸「鳳翔酔仙」、大吟醸「酔仙」、純米吟醸「煌琳酔仙」、酒匠吟醸「酔仙」、「酔仙の吟醸酒」が名を連ね、焼酎としては、はとむぎ焼酎「衣の館(ころものたち)」25度、「亀」35度と25度、「海賊の樽」25度、超特選「秘酔100」43度・「秘酒50」43度、「古古」40度、「秘酔デラックス」43度と40度、「とっとき」25度、「蔵の七千夜」40度があります。

 地域振興のため、地場産業の育成にぜひご協力をお願いいたします。詳細は、PCに「酔仙」と入力し、ホームページでご覧下さい。私のふるさとの酒でございます。「なんだよ、あっちゃんさ。今回はこのお酒を紹介したいと言うことなのかい」と付き合っている時間が惜しいよというせっかちなあなた、待たれよ。お付き合いあれ。

 実は、私の青少年時代、現在の「酔仙酒造」があるところには「片倉製糸株式会社」の工場でした。気仙地方の蚕を一手に集めて、絹糸の生産が盛んに行われていたのでございます。女子にとって、大切な労働の場でありました。女工さんが大勢働いていました。大きな麻の袋につめた繭が所狭しと何棟も並ぶ、でっかい倉庫に山のように積まれていました。父親が幹部職員で転勤族の同級生がいたのです。どの子も成績が優秀でしたね。で、時々、遊びに行くわけです。広い敷地仁並ぶ大きな倉庫で、何をしたのか、記憶が定かではないのですが、鬼ごっこのような、かくれんぼのような、悪漢対保安官のような遊びだったように思います。小中学生の遊びの舞台としては、海や川・沼・野山が豊かに広がっていて、遊びには事欠かない環境でしたね。

 この倉庫は、雨天とか曇天の時の遊び場だったように思います。薄暗く、ただただ広く、ある時期は、走り回っても騒いでも誰にも咎められる事がありませんでした。自由に遊びまくっていましたね。ところが、遊びに熱中しているうち、急におしっこと言うことがあるじゃないですか。もはや、便所に行く余裕がない。よし、そこの袋にやっちゃいって、しちゃうわけです。原料の山に。しばらくして、「誰だよ、やったのは。殴られてさ、もう遊ぶなって、怒られたぞ」って同級生がしょげ返って言うわけ。誰って、会社の子以外は皆やっていたからね。悪かったよ。ごめん。

 そう言えば、この町の七夕は8月の6・7日で、山車に飾りをして引きまわす祭なの。各集落ごとに山車を持っていて、それぞれの集落ごとに、4月から直前まで、毎晩、集会所とかどこかの倉庫を借りてその飾り作りに励むわけ。これが楽しいの。小学生から大人まで集まってわいわいがやがやと作るわけ。大人は当番で世話役の人が一人か二人ぐらい出て、中心は二十歳前のガキ大将と子どもたち。梅雨が明けた頃かな、大将が「明日は、ジャンバー着てくるように」って言うわけ。翌日、「さ、行くぞ」って。小さい子は残して、選りすぐりの10人ぐらいで出かけるわけ。最初はどこさ行くのがなって思ったら、着いた先がリンゴ畑。人が入れぬようにバラ線が張ってあるの。でも、入り込んでジャンバーがパンパンに膨れるほどいただくわけ。中学になったら、その畑の家の子が同じクラスになって、お前の家のリンゴに世話になったんだよって大笑いしてね。

 鳥のたまごを獲ろうやって、野山を駆け回ったのも良い思い出だね。やっぱり同級生に達人がいるわけ。うぐいすの巣は横から入るうようにできているんだぞって、実際に探して、言う通りの巣で緑色の卵を手に取ったりね。カラスの巣は高いところにあるんだよね。その卵を獲ろうって、木登りをするわけ、すると、攻撃してくるんだよね。くちばしで威嚇して向かってくるの。でも成功するまで止めないわけ。空気銃が流行っていて、すずめなんか落ちるけど、カラスは落ちないの。冬になるとウサギ獲りの名人がいて、雪が降ると、はりがねでワッカをこしらえて端を木に結び付けておくと翌朝、息絶えたウサギがかかっているわけ。もっともっと楽しい遊びはあったけど、またの機会に譲りましょうか。

 酔仙に託けて田舎のお話をさせていただきましたけど、要するに豊穣な自然が醸し出すところに極上の酒があり、人が育つ舞台があるというお話。あっ、そうそう、製糸工場の女工さんのお話は・・・。

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吉行淳之介はお好きですか

 旅に出たとき、何か一冊、購入しておく。後で、この本と旅の記憶を重ねるクセが出来上がっている。吉行淳之介は好きな作家の一人である。吉行淳之介対談集「やわらかい話」(講談社文芸文庫)には、対談の名手として活躍した彼と12人の選りすぐりのゲストとの対談が掲載されている。文芸文庫は、文庫版としては高価である。五百円玉でお釣りがきそうな身上のくせに、千円札を出しても足りないよと言い放つ。まあ、いいか、好きな人の本は自分の本として側において置きたいものだからと山形の駅ビルで購入した。多彩なゲストの人間性と表からはわからない素顔が覗く対談に、抱腹絶倒の連続である。その中から、開高健との対談の一部を紹介しましょう。感性を豊かにしてお読みください。

「名筆で初春を寿ぐ(ことほぐ)」
(対談の途中からです)
開高:それから字を書くのもありますナ。あそこに墨汁をひたした筆をはさんで・・・。
吉行:馬と言う字を逆さに書く・・・。
開高:私が浅草で見たのでは、続け字で「江戸一代女」。「寿」というのもあった。
吉行:それは、新字体でしょうね。(笑)
開高:もちろん略字で「寿」ですが、最後の点は打ってあった(笑)。古畳に半紙をのせて、
   四隅をピンで止めて、その上へ女が跨って墨痕淋漓、何枚も書く。で、その一枚を千
   円でもらってきました。
吉行:もらったのにはワケがありそうだな。
開高:そう。翌日、重役の一人に見せる。「これは、篠田桃紅さんではないさる女流の名筆
   で、莫大なゼニを払っていただいてきましたが、このまま新年の全紙広告に使おうと
   思います」なんて言ったわけよ。「男の強い手首で書いたみたいで、達筆でしょう」と
   念を押してね。すると重役も「女にしてはなかなかすごいなあ」なんて感心するんだ
   ワ。
吉行:たしかに名筆には違いないものね。
開高:それからが大変。黒地に白抜きしてみたり、白地に墨のせにしてみたり、アミをかけ
   たり、朝・毎・読、一紙ごとに変えましてね、全紙広告に仕上げてしまった。全紙いっ
   ぱいにたった一字「寿」とおき、ワキに、
   「まためぐりくる
   王城の春に捧げる
   この無声歓呼」
   などと書いてね。これが元旦、全部にでたわけです。こっちは宿酔(ふつかよい)、寝
   床のなかでよれよれの目で確かめ、ウフフフと陰気な笑い・・・。こういうダダイズム的
   反撃をやった。サラリーマンのはかない抵抗ですわ。
吉行:オールドについている字もそれじゃないのか?
開高:あれは違います。あれは私がやめてから売り出してますから。しかし、あの民俗芸
   術家たち、みんな一所懸命でした。

 いかがですか。広報○○もこんな風な作り手がいたら・・・。いや、和田さん、そんな怖い顔をなさらなくても。この対談の主催者は「サントリー」ですぞ。「サントリークォータリー」(第18号)1984年7月での対談です。いや、大企業は大らかですな。そして、巨匠たちも。学びましょう、見習いましょう。何をって。そりゃもちろん、創造的な仕事を成すための豊かさの創造をでございます。ね、石原ちゃん。

 

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山形紀行 お薬師様の縁日は

 佐衛門守さまがお越しになり、幼馴染の作曲家 服部公一さんがお書きになった「お薬師様」賛歌なる文献を発見、出発前にお見せできていたら、このたびの訪問をさらに意義深いものにできましたものをと持参されたのが下記の文章でございます。全文を掲載させていただきましたのでご鑑賞下さい。あの時の光景を思い起こしながらご堪能下さいますように。

 「わが懐かしのお薬師さま」  服部公一(作曲家)

 おまいりしましょう お御堂で      
 鳴らす鰐口 縁結び
 しあわせ祈った 四つの手 
 あの夏の日の思い出は
 あなたが二十二 わたしがはたち
 お薬師様の縁日は
 サーカス ジンタ ろくろ首
                 (高村健一 作詞)

 これは私が作曲した合唱組曲“山形わが町”の中の一曲「お薬師様」の歌詞の一節である。次々に、綿あめ、飴細工、みどり亀、苗木、など縁日で売っていた品々が登場する。
 四月八日のお薬師様の祭りは毎年五月八日に行われる慣わしであった。これはそもそも植木市であったそうだが、サーカスやら屋台やら、普遍的?縁日気分の祭りだった。サーカスどころか、お祭りのときには極めてあやしげな「衛生博覧会」等の出しものが繰り広げられているお薬師様の一隅は、いつもは子どもが鬼ごっこをしたり、ドッジボールで歓声を上げたりして、公園の広場のような雰囲気なのであった。
 この辺は今や市街地のど真ん中になっているが、六十年前わたしの子ども時分は山形市の東のはずれ。すぐ横、馬見ヶ崎川の九十九橋を渡った向かいは鈴川村、橋の上流南側は新興住宅地で今の緑町、そこが私の生まれ育ったところであった。お薬師様と川の間にはそもそも招魂社、戦争中に護国神社と改名した神社がある。
 お薬師様の本名は、国分寺薬師堂である。そもそも聖武天皇によって八世紀に創建されたとんでもなく古い名刹であるが「それがいちど消えかかった中世に最上氏の始祖斯波兼頼によって再建されたのだ」とさすがに柏山寺の息子で、富樫道広君が高校生のころ説明してくれたのを覚えている。柏山寺とはひらたく言えばお薬師様の別当、堂守寺のことである。れっきとした天台宗のお寺で、上野の寛永寺の姉妹寺?であるが、このお寺の長男が私の同級生富樫君なのだ。そして今はそこのご住職、と言いたいところだが、ブレーメンの大学でロジスティックス(物流学)を研究している。因みにご住職は舎弟富樫和広氏である。四月八日のお祭りには学校仲間がみんなで柏山寺のお赤飯をごちそうになった。しかし我々にとって本当に食欲的だったのは、やっぱり屋台で買って食べる、やきそば、玉こんにゃく、綿あめの類であった。
 最近この富樫君に、お薬師様のお祭りに広場でサーカスがかかっていたのはいつごろまでだっただろうか、と聞いてみたところ、たぶん昭和十九年までではないか、との話であった。ところがこれは違っていて、敗戦後の昭和二十二年に再開、三十三年までやっていたとはご住職からの正解であった。お祭りの出し物は「何とか組」が仕切って、有田洋行会サーカス、木下大サーカスなどが毎年来ていたが、昭和三十四年からは本来の植木市中心になったのだそうである。私がお薬師さまで初めてサーカスを見たのは戦争の末期ということになる。
 そのときはもっぱら若い女性団員の空中ブランコが中心だったが、小学生の私がもっとも魅了されたのは、オートバイの曲乗りであった。直径十五メートルほどもある金属網製の球 つまりまん丸の鉄製のざる、の中でオートバイが縦横無尽に走り回る芸である。最初は地上をぐるぐる回りしているのだが、やがて立て回りになる。その爆音もスゴかったが、よくまあ目が回らないものだと感心した。彼の名前はジョージ君と言い、ヒットラー総統の親衛隊の出身だというフレコミだったのをよく覚えているが、今考えると本当のドイツ人なら名前はゲオルグ君と言いそうなものである。
 このとき私は祖母につれられて行ったのである。祖母といっしょにお祭りに行くのは必ずしも楽しくなかった。彼女は露天での買い物は一切禁止だったからである。綿あめはおろか玉こんにゃくなどの食べ物はすべて駄目、「ああいうところで売っているものはバイキンがついているし、腐敗しかかっているからイケマセン」というシュギであった。
 サーカスはテント作りの小屋がけで、入り口の真上の渡り板の上にトランペットと太鼓の二人が立っていて、曲は定番の「美しき天然」ではなく、時局柄何か軍歌を朗々と演奏していた。サーカスのどの場面もトラペットと太鼓の伴奏者だったから楽士は二人だけだったのだろう。ショウのフィナーレはオールスター出場だったが男性はほんの数人、あとは全員女性、若いのはあのジョージ君だけ、ラッパの楽士もライトの中で見ると胸に傷痍軍人記章をつけた老人であった。終演後小屋を出るときに、また渡り板の上で演奏しているトランペットに祖母が手をあげて挨拶した。
 「あの人知っているの」と私、「そう長崎(今の中山町)から出た人なのよ」と祖母。長崎は我が在所である。後々聞いた話だが、あのトラペット氏は親戚すじの義理の悪い不幸な出自の人だったが、音楽が大好きな青年なので農家の手伝いをするよりは、と祖母がすすめて昭和初年に軍楽隊に入ったのだそうである。「サーカスにはもったいない音ね」とは、自分もかって音楽を志したことのある祖母の一言だった
 帰りがけにお御堂におまいりをした。手を合わせて拝礼する須弥壇には中央に薬師如来、左右に日光、月光菩薩、入り口の板の間に仁王様がおられた。
 「ここの仏様の像は明治四十四年の山形の大火事の後で、うちのお祖父ちゃんが全部修理したのよ。ここの御住職とお祖父ちゃんは大昔おなじお寺にいたことがあるんだって」
 「彫刻家のお祖父ちゃんがどうしてお寺にいたの」
 「子どものころお祖父ちゃんがあんまりキカン坊だったんでお寺に修行に行かされたんじゃないの。そこのシツケの係りのお坊さんが富樫宥晃さま、つまりここの昔のおっ様なのよ」とは祖母の説明であった。
 故富樫宥晃師は道広君のお祖父さんである。彼にこの話をしたら、
 「そうそうそれは本当の話らしいと。本尊の薬師如来は住職、つまりうちの祖父さんが背負って火の中を逃げたそうだけど、他の仏像は裏の池に投げ入れて焼失を免れたんだ、そしてみんな水浸しで壊れたのよ、だから大修理を必要としたんだな」との説明であった。
 現存の薬師堂の貴重な仏像の多くは四、五百年前の作品である。現に仁王様には寛永二十年と刻みこまれている。補修者の銘はなくとも我が祖父の手の入った仏様がずっと残ってゆく、というのは孫の私としてこころ楽しいことである。
 「だけどな、オマエんとこの爺さまの修理代があまり高いので後から頼まなくなった、っていうことだっけな」と。ロジスティックの先生は言葉を続けた。

  山形紀行が匂い立つような文に出会え、うれしくてたまりませんでした。現在、佐衛門守さまと、「服部公一と童謡を歌おう(仮題)」の開催に向けて協議を進めています。
 
 

 

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市民フォーラムへ 参加を

 学校における教育的課題の一つとして、よく、「開かれた学校」と表現されていますが、地域社会学校(コミュニティ・スクール)への取り組みがあげられます。具体的にどのような取り組みが求められるか私案を述べてみます。実は、後述する市民フォーラムが新松戸で開催されます。この機会にぜひご参加いただき、「市民による、市民のための、市民の学校」コミュニティ・スクールを地域活性化の方策とあわせて考える機会にしていただければ幸いと考えて急ぎお知らせ致します。 

 開かれた学校への方策例

 1 小学校・中学校と幼稚園・保育園の連携を図る

 2 地域住民と協働(連携・融合)した学校運営への取り組み

  ●学校評議員制度などの整備・拡充(名称の工夫、公募制の導入、委員構成の工   夫、合同研修会 など)

  ●市民と協働した学力支援(ゲスト・ティチャー、スタディ・アドバイザー、シニア・スクール、学力支援サポーター、サタディ・コミュニティ・スクール など)

  ●地域社会との協働による学校行事・クラブ活動の開催

  ●外部評価制度の具備

 3 地域住民の学習の場とする

  ●学校開放講座の開催(内が有する教育資源と保護者や学区社会による)

  ●各種講座の開催(行政・市民・民間教育事業者など)

  ●地域住民による学力支援活動(サタディ・コミュニティスクールなど)

  ●地域住民の授業への参加(シニア・スクールなど)

 4 学校と地域の交流の場(世代間交流の場)

  ●ボランティア・センターの設置

  ●子育て支援センターの設置

  ● 高齢者支援センターの設置

 5 交流活動基金づくり活動の導入(コミュニティ通貨、ファンドレイジング活動など)

 6 学校と地域社会の学習情報の収集と提供

 7 市民図書室の設置(市民図書館と学校図書室のネットワーク)

 8 学校と地域社会の連携によるイベントの開催

 9 インテリジェント化の推進

 10 体験学習の推進

 11 ボランティア・コーディネーターの設置(教職員・住民双方に) 

 具体的には、次ぎの機会にお話することにします。 

 「1.doc」をダウンロード 市民参加の学校づくり「コミュニティスクールを探る」(主催 松戸市コミュニティスクール連絡会)が、5月21日(日曜日)13時開場、13時30分開会、会場 流通経済大学新松戸キャンパス大教室303 にて開催されます。松戸市で展開されている「サタディ・コミュニティスクール」事業の成果と課題を発表し、今後の展望を考えましょうと言う催事です。主催者の一人が自遊人楽校の小野さんです。ぜひ、参加し、活動を応援しましょう。

 発表は、梨香台小学校の「地域ふれあいわくわく体験学習」、殿平賀小学校の「サタデー・コミュニティ・スクール 北小金」、相模台・北部小学校の「コミュニティ・サイエンス」、稔台小学校の「おかねの楽校」です。

 基調講演は、金子郁容さん(慶応義塾大学大学院 教授)です。コミュニティスクールに関する実践と研究で日本を代表する先生です。お楽しみに。

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実録 山形紀行 その5 蔵王

 濱ちゃん、部屋に入るなり平謝り。いや、無事な姿を見て安心したのですよ。で、「どうしたの、どうしてこうなったのか」って、聞いてみたいですよね。分かりましたよ。要約しますと、上野行きの直通電車に乗ったつもりで、安心しきって新聞を読んでいた。ふと気がつくと電車は逆走。成田に向かっていた。つまり、乗った電車は我孫子止まりで折り返し成田行き。自分が通勤していた頃、この電車は間違いなく上野直通だった。あわてて引き返すも、もう間に合わない。いったん家に戻り、あっちゃんの携帯番号を調べ、再びチャレンジ。しかし今度は、北千住近辺での車両故障で立ち往生。結局、12時台のつばさに乗車。一路山形へ。そこからが濱ちゃんらしい。タクシーで行程どおり追いかけた。国分寺、山寺と。最後にマイクロバスに乗り込む寸前で合流する予定であったがこれにも間に合わず。タクシーでホテルまで。いかがですか、この冒険心とエネルギー。観光を兼ねながら、和歌も詠み、「とっても親切な運転手さんでした」と語っておられました。あな、かしこ。

 さて、予定通り「懇親会」の幕開けでございます。これはこれは、広い宴会場ではありませんか。コの字方に配置されたお膳と、まあ、カラオケセットまで用意されていて、何と言う気配りでしょうか。涙が出そうでした。カラオケがあれば進行は楽ですよね。しかし、嫌いだろうなという面々もちらほら。むっつり、楚々と済みましたでは申し訳ない気もいたしますし。宴会部長は江野ちゃんです。適役でしょう。何せ主演女優賞は彼女以外に考えられませんからね、このような大事な席は。スター性豊かな人ばかりですから、その集団をリーダーシップで引っ張って行くのは並みの能力ではできません。ねぇ、小町さん、そうでしょう。

 佐衛門守ご夫妻も席に着かれ、宴はスタートしました。まずは喉を潤し、腹ごしらえを。ビールだけでは満腹感の餌食になるばかりと地酒「麦焼酎」を所望いたした。これが、大当たり。美味い。スイ、スーイと飲める、実に良い焼酎でした。結局4本も空けたのでしょうか。宴の出だしは、静かなものです。自己紹介のスピーチも一回りし、一段落。すると突然、このような瞬間、最初にマイクを握るのが楽校長の役割ですぞ、お分かりかな、と天の声。出発直前からのどの痛みに襲われ、参加を危ぶんでいたことなど微塵も見せず、歌の祭典が幕を開けたのであります。まあ、すごいことになりました。昭和歌謡史のオンパレード。皆さんマイクを握ったのであります。昔の歌、今の歌。百花繚乱と咲き乱れ、気がつけば我等が女性軍はダンス・ダンス・ダンス。乱舞しているではありませんか。いや、時の経つのは早いものです。お開きの後、まだ余裕のある方で車座に。話はつきません。仲居さんの迷惑にならぬよう一旦退散。二次会ですか。内緒です。

 雪を抱いた飯豊・朝日連邦が美しいシルエットを描き、空はどこまでも高く、澄み切った気が漂う早春の高原は、二日酔いの体をやさしく包み、深々と沈み行く湯船に身を委ねれば、ふと込み上げる陶酔の雫。ああ、なんというしあわせ。同行の諸氏に感謝し、与えられし天空に手を合わせる。二度叩きのご利益か。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。

 朝食の膳に向かえば、すでに対座する数名あり。皆、睡眠十二分の淑女なり。どのように腕力が強かろうが、生命力において、究極のところ淑女に敵うわけもなし。ただただ膳をにらむ男(おのこ)あり。お釜めぐりの体力はあるやなしや。

 午前9時、ホテル樹林の皆さんに見送られ、マイクロは蔵王の象徴「お釜」へ。結構な揺れが襲います。最後部席の3名は食べたものが胃をパスしていっきに小腸へ。舌を噛み切る危険を避け、ひたすら沈黙を守ります。頂上付近は残雪がバスの背丈ほど。ぶなの木は自ら発する熱で根の周りの雪を溶かし、見事な光景を作ります。いや、360度、穏やかに晴れ渡った大展望。来て良かったって、誰もが自分に言い聞かせた瞬間。お釜めぐりも温かく、半袖姿に。釜の淵まで行きました。湖水は早春の「青」。雪渓では熟年スキヤーが鮮やかなシュプールを。一息ついて連山に目を送れば、人恋しく思う蔵王の頂。

 足早に山を下り、佐衛門守さまのご案内で市内見学と相成った。まずは、腹ごしらえに、山形一のそばを嗜み、山形城址へ。県立美術館にてビートルズ展を鑑賞するものあれば、歴史的建造物を訪ねるものもあり。引き返し、土産の品々をと、まずは山田家の「銘菓白露ふうき豆」を。我先にと、しこたま買い込んだのでございます。さてさて、1泊2日の旅も終わりが近づいて参りました。一行、後の電車でお帰りになる佐衛門守ご夫妻にお礼を申し、つばさの人となり申した。さらば山形。ありがとう山形。今回の旅は思いのほか味わい深いものになり申した。なぜか我なりに考えるに、結ぼうとする糸の太さは人それぞれ違っても、一人一人を想う心が引きあう、豊かな知縁を育む旅であり申したと言うことでは。時が過ぎ、この紀行を思い起こすとき、あなたはきっと、微笑みそして「また、行くぞ」って小さくうなずくのでしょうね。お疲れ様でした。

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実録 山形紀行 その4 山寺・蔵王温泉

 山寺は何度目の参拝になるのだろうか。ふと、山寺への旅を共にした人と季節が浮かんでくるのです。確か、6度目になるのかな。仙台から近いこともあり、結構、気に入っているところなのかもしれません。宝珠山立石寺。860年、慈覚大師円仁(えんにん)によって開かれた天台宗の古刹。講話をいただいた根本中堂には、開山当時、比叡山から移された「不滅の法燈」が、1100余年を経た今も燃え続けています。信長が叡山を焼き討ちした後は、この山寺の灯明を運び、今日まで燃え続けているそうです。山寺は、天台宗、最古の法燈を保持し続けているのです。

 根本中堂で講話をお聞きし、見学を終えたところで、ここでの残された時間は30分。五大堂とか奥の院を往復する時間はなくなり、30分の自由行動に。行けるところまで登ろうという人。対岸の山寺芭蕉記念館へ足を運び、山寺全山を堪能しようという人。いずれの方も、山寺に酔っておいででした。同行の名人が詠んだ句を御覧になれば一目瞭然でしょう。たとえば、

見上げれば 青葉若葉の 光あり(荒井守)

山笑う 岩にそびえる 五大堂(三千代)

それぞれに 芽吹き色あり 若緑(ひろこ)

新緑に はなやぐ山の 五大堂(小町)

新緑の 色香にむせぶ 山の寺(あっちゃん)

というように、新緑に酔って、ほとんど酩酊状態だったのです。ないしょですがね、皆さんにそっと教えましょう。実は、この段階でも超遅れ濱ちゃんの姿はありません。ところが、お気づきですか。その1で紹介したように、彼、この地に足を運び歌を詠んでいるのです。えっ、いつ来たのかって。後でお話しましょう。とりあえず、濱ちゃんの歌。

みちのくの 山のお寺の階段に うぐいすの声 春はきにけり

ね。いつ、誰と来たかって。さあ、知りません。今日来ていることは間違いありません。しかし、もう濱ちゃんのことは忘れていました。それどころではありません。仙山線、山寺駅のホームで新緑に囲まれ、電車を待つ一行の心は幸せでいっぱいだったのでございます。電車は軽快に山形駅に滑り込みました。改札口には佐衛門守廣道ご夫妻がお待ちでした。ありがたいことでございます。二度打ちのご恩がさらに心の襞にひびきます。ここからホ